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76億人の海図

東西の冷戦終結から2019年で30年。国連によれば、76億を超える人々が地球上に暮らす。テロや自国優先主義の拡大、そして地球環境問題の深刻化・・・。国際秩序が大きく揺らぎ、世界が不安定化する中、自らのよりどころとなるものを求めて行動を始めた人々がいる。新たな海図を描こうと試みる姿を世界各地に追った。

今も終わらぬ戦い  「絶滅」した先住民の子孫 オーストラリア

2020.3.18 18:43 共同通信

 オーストラリア・タスマニア島南東部ホバート近郊のなだらかな丘陵。南に穏やかな湾を望む一帯の草原には小型カンガルーのワラビーやウォンバットなどの野生動物が時折姿を見せ、オーストラリアの田舎らしいのどかな風景が広がる。
 「年長者や子どもたちが丘の上から追い込んだワラビーを、やりを構えた男たちが下で仕留める。ここは狩猟に最適な場所だったんだ」。タスマニア・アボリジナル・センターの文化コーディネーター、デウェイン・エベレットスミス(32)が祖先の先住民アボリジニに思いをはせた。
 だが、リスドンコーブと呼ばれるこの地域は、かつてタスマニアのアボリジニと英国人入植者の間で起きた衝突「ブラック・ウォー」(1820~30年代。期間は諸説)に先駆けて、1804年に入植者が初めてアボリジニを大量虐殺したといわれる場所だった。最近の研究により数百人が犠牲になったとされる。

タスマニア島リスドンコーブの丘をアボリジニを祖先とする子どもたちと散策するタスマニア・アボリジナル・センターの文化コーディネーター、デウェイン・エベレットスミス(右端)=2019年8月(共同)
タスマニア島リスドンコーブの丘をアボリジニを祖先とする子どもたちと散策するタスマニア・アボリジナル・センターの文化コーディネーター、デウェイン・エベレットスミス(右端)=2019年8月(共同)

 

 ▽衝突激化
 氷河期にはオーストラリア本土とタスマニア島の間のバス海峡が陸続きで、約4万年前には本土からタスマニアにアボリジニが渡ったという。氷河期が終わり、海面が上昇するとタスマニア島は孤立。以来、タスマニアのアボリジニは外部と隔絶された中で独自の文化を守って生活していた。
 1770年に英国人探検家ジェームズ・クック(通称キャプテン・クック)がオーストラリア本土に上陸し、英国領を宣言。88年に英国からの最初の船団がシドニー付近に到着し移民が始まった。英国は1803年に囚人らを連れてタスマニア島でも入植を始めた。
 当時、島には数千人のアボリジニが暮らしていた。「部族ごとに九つの“国”に分かれ、狩猟採集の生活を送っていた」(エベレットスミス)。
 そんな中、英国からの入植者たちはアボリジニの狩猟場にも農場を作ろうとし、衝突が激化。エベレットスミスは「入植者たちはタスマニアのアボリジニを本土の先住民よりさらに下層に位置付けた。ゴリラと人間のミッシングリンク(進化の欠落部分)と見ていたほどだ」と語る。

 ▽ジェノサイド
 1824年までにタスマニア島の入植者は1万2千人を超えた。対立は島の広範囲に及び、英国人はアボリジニの一掃を企てた。ブラック・ウォーでは、約千人のアボリジニが殺害されたほか、約200人の入植者もアボリジニの反撃で命を落とした。
 タスマニアアボリジニから先祖伝来の聖地や文化的遺産を根こそぎ奪ったこの戦闘は、オーストラリア軍を巻き込むことがなかったため、オーストラリア政府は「戦争」とは認めていない。
 先住民の歴史に詳しい同国ニューキャッスル大教授のリンダル・ライアン(76)は「オーストラリア人にとっては耳をふさぎたくなるような話だろうが、タスマニアで起きたことはジェノサイド(民族大量虐殺)と言える」と指摘する。
 生き残った約130人のアボリジニはタスマニア島を追われ、北東部のフリンダース島に強制移住させられた。その後も再移送されたタスマニア島内のオイスターコーブなどへ移転を余儀なくされるうちに、入植者が持ち込んだ疫病にかかるなどして減少し、76年に最後の一人、トルガニーニが64歳で死亡。純血のタスマニアアボリジニは絶滅したとされる。
 エベレットスミスは浅黒い肌に平べったい鼻というアボリジニ特有の容貌とはかけ離れている。白人との混血だからだ。かつて九つあった国の一つのリーダーの娘の子孫と教えられて育った。
 「トルガニーニが最後のタスマニアアボリジニ」。学校でそう習った時、エベレットスミスは違和感を覚えた。混血とはいえ「自分はれっきとしたタスマニアアボリジニ」との思いからだ。

デウェイン・エベレットスミスの携帯電話に残る実母の写真=2019年8月、タスマニア・オイスターコーブ(共同)
デウェイン・エベレットスミスの携帯電話に残る実母の写真=2019年8月、タスマニア・オイスターコーブ(共同)

 

 ▽「偽者」のレッテル
 「タスマニアにもうアボリジニはいない」と思っているオーストラリア人は多い。エベレットスミスは「偽者」のレッテルを貼られることが屈辱だという。
 オーストラリアでは本土で移民が始まった1788年1月26日を「オーストラリアデー」として祝う。だがアボリジニにとっては「侵略を受け、悲劇が始まった日」。「オーストラリアの歴史は、英国人の入植以降に焦点が当てられすぎだ」。エベレットスミスはオーストラリアデーの変更を訴える。
 一方で両親や祖父母から「過去を否定的に振り返るより、文化の保護を考えるべきだ」と教えられてきた。今、力を入れているのは言語の復活だ。ほとんど書き残されず、断片的にしか伝わっていない言語をつなぎ合わせて次代のためにいくつかの辞書を作った。
 「奪われたままになっている土地も取り戻さなければならない。私たちにとって戦いは決して終わっていない」。エベレットスミスは自分に言い聞かせた。(敬称略、文・板井和也、写真・仙石高記)

取材後記

徹底的な差別

地図
 

 今や「多文化国家」を誇るオーストラリアだが、1970年代までは白人優先の白豪主義を掲げていた。先住民アボリジニは徹底的に差別され、67年の憲法改正まで人口統計にも含まれていなかった。
 今回の取材を通じ、タスマニア島のアボリジニが本土以上に厳しい状況に置かれ、絶滅までさせられていたことを知り、何度も言葉を失った。
 アボリジニは今も貧困、平均寿命の短さ、失業率や若年層の自殺率の高さなど多くの社会的不利益を抱えている。そんな中で2019年、アボリジニの閣僚が初めて誕生。ケン・ワイアット先住民問題相(67)がその人だ。就任に際し、アボリジニの生活改善実現に強い意欲を示した。一筋の光明だと思いたい。

 

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