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76億人の海図

東西の冷戦終結から2019年で30年。国連によれば、76億を超える人々が地球上に暮らす。テロや自国優先主義の拡大、そして地球環境問題の深刻化・・・。国際秩序が大きく揺らぎ、世界が不安定化する中、自らのよりどころとなるものを求めて行動を始めた人々がいる。新たな海図を描こうと試みる姿を世界各地に追った。

誤報が招いた惨事を糧に 日本支援、地震に強い国へ チリ

2019.9.30 17:11 共同通信

 「津波は来ません。安心してください」。2010年2月27日土曜日午前3時34分。南米チリ中部沿岸部をマグニチュード(M)8・8の強烈な揺れが襲った。夏の終わりの週末。跳び起きて慌ててつけたラジオの声に胸をなで下ろし、避難先の丘に向かう足を止めて自宅に戻った人も多い。
 だが、それは海軍の事実誤認や当局間の連携不足が導いた誤報だった。退任直前のバチェレ大統領が早朝の会見で「津波のリスクはない」と述べたとき、津波だけで既に少なくとも156人が命を失っていた。死者500人以上に達した惨事を糧にチリはその後、大きく変わる。改革を支えたのは日本の技術と心構えだった。

▽天命を知る
 「建物が瞬く間に崩れた。信じられなかった」。1カ月半前の同年1月12日夕。チリ陸軍の将官リカルド・トロ(63)は赴任先のハイチでM7・0の大地震に遭遇した。国連ハイチ安定化派遣団の副司令官として派遣されていた。車に乗った途端、直前まで会議で中にいた国連施設が崩壊する様に言葉を失った。
 首都ポルトープランスが一瞬で壊滅し、30万人以上が死亡。現地トップを含む国連関係者100人以上が命を落とした。対応に追われ、帯同していた妻から連絡がないことに気付いたのは翌日未明になってからだ。

国家緊急対策室で、災害発生時の対応を説明するリカルド・トロ長官=2018年12月、サンティアゴ
国家緊急対策室で、災害発生時の対応を説明するリカルド・トロ長官=2018年12月、サンティアゴ

 早朝にヘリコプターで上空を通った滞在先のホテルも含め街全体ががれきの山。「心配で仕方なかったが、妻の捜索を優先させるわけにはいかなかった」。直後に現地入りした、当時の潘基文(バン・キムン)事務総長にも妻が不明とは言い出せなかった。
 後日、遺体で見つかった妻=当時(49)=の葬儀で戻ったチリで、今度は自国の地震に巻き込まれる。2月27日。ハイチに戻る寸前、離陸直前の航空機内で大きな揺れを感じた。窓が崩れ落ちるターミナル。滑走路も損傷し空港は閉鎖された。家々が崩れた未明の道を歩いて自宅に戻った。
 後手に回った災害対応を改善するため次のピニェラ大統領は、まれな経験を乗り越えたトロを国家緊急対策室(ONEMI)長官に指名。凄惨(せいさん)な民主化弾圧の暗い歴史を持つピノチェト軍政以前に士官学校入りした生粋の愛国者としては「地震と闘い国に尽くす。これこそ天命だと思った」。

 ▽消えた爪痕
 地域全体の避難訓練、全国民の携帯電話への緊急警報、津波避難標識の整備、当局間の情報共有…。トロらの尽力で10年の地震以前には実現できていなかった改革が次々と進められた。耐震基準強化もその一つだ。
 「しっかりできている。地震に強い橋になるね」。公共事業省で橋の耐震検査を担当するビクトル・ディアス(36)は首都サンティアゴ郊外の高架橋建設現場を訪れ、笑顔を見せた。受注した大手ゼネコンの現場監督は「耐震基準改定で建設費は2割も増えた」と苦い顔だが「大地震を経験して国民も強い建造物を求めている」と語る。
 ディアスの未来を決めたのも被災体験だ。建築を学び、民間企業で建築家を目指していたとき、運命の日が訪れる。「地面に波が来たようだった」。動転した母親がベッドの上で「もうだめ、死ぬ」と叫ぶ。「地震から命を守る仕事をしたい」。折しも幹線道路の橋が壊れ、通行中の車が崩落し死者が出ていた。「橋を造るのは政府だ。橋に身をささげよう」

サンティアゴ郊外の高架橋建設現場で現場監督(右)と話すビクトル・ディアス。公共事業省で橋の耐震検査を担当する=2018年12月
サンティアゴ郊外の高架橋建設現場で現場監督(右)と話すビクトル・ディアス。公共事業省で橋の耐震検査を担当する=2018年12月

 政府内では「地震対策は日本が一番」との共通認識がある。ディアスも日本で研修を受けた。「災害に備える文化を持つ日本を参考にチリは劇的に良くなった」。10年の地震の爪痕は既に消え、被災地には強固な防波堤と新しい住宅が整然と並ぶ。14、15年に起きたM8超の地震と津波でも死者は少数にとどまった。一方、最貧国ハイチでは今も多数の被災者がテント暮らしを続けている。
 民間企業より給料は3割少ないが「技術をさらに学び、チリから中南米に広めたい」。国民を地震から守るには昇進も必要。「耐震政策や規制を策定する幹部になりたい」と出世欲を隠さない。

 ▽優等生
 政治経済が安定し「南米の優等生」と呼ばれるチリだが、備えが後回しだったのは事実だ。トロは「災害対策に終わりはない。常に進化しなければならない」と戒める。
 副長官としてトロを支えたビクトル・オレジャナ(46)は東日本大震災2日後に日本を訪れている。「備えが万全だと信じていた日本でさえ限界があったのは衝撃だった」。それでも日本から学ぶことは依然多い。心のケア、風化を防ぐ伝承施設…。野に下った今は被災者支援団体を率いながら大学で教壇に立ち、経験共有に努める。
 「災害はなくせない。だが、万全の準備と技術で命を失う危険を減らすことはできる」。夢は日本への留学。「家を売ってでも行きたい」。将来再び国に尽くす日のため、学べることは全て学ぶつもりだ。(敬称略、文、写真・遠藤幹宜)

取材後記

1万7千キロ離れた深い関係

チリ
 

地球のほぼ反対側にあるチリと日本は約1万7千キロ離れているが、災害が多く勤勉な国民性という点で似ている。チリ産サーモンやワインは日本でも人気が高く、国立天文台の観測所があるほか、銅関連企業が多数進出し、関係は案外深い。
 1960年のチリ地震では高さ6メートル超の津波が太平洋を越えて岩手県などを襲い、140人以上が死亡・行方不明に。逆に、東日本大震災では約1メートルの津波が達し約200人が被災した。実は高齢化社会という共通点もあり、協力できそうなことは多い。
 だが、家族の絆の強さは段違いだ。週末や食事時は家族で過ごすのが当然の中南米。政府高官から「日本人は家族で過ごす時間がほとんどないと聞いたが本当か?」と問われ、家族をすっかり忘れ出張を満喫していた自分が恥ずかしくなった。

 

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