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76億人の海図

東西の冷戦終結から2019年で30年。国連によれば、76億を超える人々が地球上に暮らす。テロや自国優先主義の拡大、そして地球環境問題の深刻化・・・。国際秩序が大きく揺らぎ、世界が不安定化する中、自らのよりどころとなるものを求めて行動を始めた人々がいる。新たな海図を描こうと試みる姿を世界各地に追った。

誰が大統領を撃ったのか  真実への問い掛けを映画に ジョージア

2019.9.24 17:56 共同通信

 権力も名声も失い、1発の銃弾が残った。あの日、カフカスの山中で引き金を引いたのは誰か?
 旧ソ連の一部だったジョージアを独立へ導いた初代大統領ズビアド・ガムサフルディアが内戦に敗れ、逃避行の末に謎の死を遂げたのは1993年12月31日のことだ。
 ジョージア西部ヒブラ村の一室で、こめかみが撃ち抜かれていた。まだ54歳の壮年。自殺か、他殺か。「真相を明らかにしなければ、この国は前へ進めない」。ジョージアの映画監督ゲオルギ・オバシビリ(55)は、そう考えた。

 ▽幻想
 旧ソ連末期の89年4月9日、ジョージア(当時はグルジア共和国)の首都トビリシの中心部を、独立を叫ぶ数千人が埋めていた。治安部隊が催涙弾を使用して乱入し、十数人が死亡した。
 悲劇は「トビリシ事件」と呼ばれる。その後、ジョージアは独立へ突き進み、ソ連は崩壊した。独立運動の指導者で集会を組織したガムサフルディアは、91年5月の大統領選挙で、86・5%の圧倒的支持を受けた。だが同年12月に起きた内戦で政治生命を絶たれた。
 「国民が彼を選び、国民が彼を死に追い込んだ。なぜだろうか?」。2017年公開の映画「ヒブラ村」は、このような問い掛けから生まれた。

2017年公開の映画「ヒブラ村」の冒頭場面。ガムサフルディア(右から4人目)が側近らとともに雪の山中を行く光景を描いた
2017年公開の映画「ヒブラ村」の冒頭場面。ガムサフルディア(右から4人目)が側近らとともに雪の山中を行く光景を描いた

 撮影の前に逃避行の足跡を丹念にたどり、証言を集めた。冷たい清流を渡り、オオカミが潜む闇に目を凝らし、脚本を練り上げた。
 静かな作品だ。群衆の熱狂も、戦闘の場面もない。「政府軍」に追われ、側近や警護の十数人とともに、雪の山中をさまよう主人公は、なかなか敗北を認めない。「大統領、私たちは負けたのです」。側近が出国を説得するが応じない。
 同行者が一人、また一人と去る。独立の英雄は孤独を深め、諦めの心境に至る。「権力や名声という幻想が消えてゆくプロセス」(オバシビリ)が、詩情豊かに描かれる。
 ガムサフルディアが護身用のピストルに、銃弾を1発だけ残して、ヒブラ村に着いたところで映画は終わる。彼がソ連時代に書いた詩が画面に現れる。
 「全て終わった…夜明けはおまえを見捨てた…おまえは間もなく最後の死の知らせを聞くだろう」。まるで運命を予見していたかのようだ。

 ▽革命家
 86歳の映画監督エルダル・シェンゲラヤは、トビリシ事件の映像を公開して、弾圧を批判したジョージア現代史の生き証人だ。「ガムサフルディアは文人で、人々を熱狂させる才能があったが、国づくりができる実務家ではなかった」と言う。
 彼は革命家の役割を終えたと悟り、自ら命を絶ったのだろうか? 
 「そのような弱い人物ではなかった」と断言するのは、大学でガムサフルディアに教えを受けた映画史家のマリナ・ケレセリゼだ。
 「あの時代に何が起きたのか、まだ歴史に定着していない。真実が解明されないうちに、こんな作品を撮れば、混乱を招く。時期尚早だった」
 「ヒブラ村」は海外で高い評価を受けた。だが国内では強い逆風にさらされた。ケレセリゼによれば「ガムサフルディアを支持する人々も批判する人々も、この作品を受け入れなかった」。
 東京の映画館「岩波ホール」で、数々のジョージア映画を紹介してきた原田健秀(はらだ・たけひで)は、昨年末トビリシを訪れ、再会したオバシビリのやつれた様子に心が痛んだ。
 原田は「ヒブラ村」を「時間の経過とともに評価が高まる作品」と称賛する。だが、ジョージア国民の多くは、最も苦しかった時代を直視する心の用意が、まだできていないのかもしれない。

ジョージア映画の歴史をたどる展示室で古い撮影機材を手にするゲオルギ・オバシビリ。デジタルではなくアナログのフィルム撮影にこだわる=2018年12月、トビリシ(共同)
ジョージア映画の歴史をたどる展示室で古い撮影機材を手にするゲオルギ・オバシビリ。デジタルではなくアナログのフィルム撮影にこだわる=2018年12月、トビリシ(共同)

 ▽父と子
 90年代から続いた内戦や民族紛争のため、ジョージア映画界も空白の時代を過ごした。オバシビリがジョージア国内の民族紛争を背景に最初の長編「向こう岸へ」を制作したのは、2009年になってからだ。既に46歳になっていた。
 独立後に本格的な活動を始めたオバシビリらは、ジョージア映画の「失われた世代」と呼ばれる。彼らの作品には、内戦や社会の荒廃をえぐり出すリアリズムと、閉塞感の中に小さな希望を探る繊細な視点がある。
 オバシビリは語った。「『ヒブラ村』を撮った後は、私の人生で最も苦しい時期が続く。重い荷物を背負っている。前へ進もうとしても、自分で描いたガムサフルディアが引き留めているようだ。早く解放されたい」
 次作は全く新しいテーマを撮る。「父と子」の関係を見つめる。授業を抜け出し、教師だった父に顔を打たれた。父も子も無言だった。死別した今も沈黙は続く。「頬には手のひらの感触が残っている」。焼けるような痛みと、歳月を経て知る深い慈愛。それは祖国の感触でもある。(敬称略、文・松島芳彦、写真・ゴギタ・ブハーゼ)

取材後記

平穏の危うさ

ジョージア
 

 「ジョージア人のためのジョージア」。民族自決の叫びはもろ刃の剣だった。少数民族を主体とするアブハジアと南オセチアが独立を宣言、ロシアの勢力圏に入った。紛争で多くの命が失われた。ジョージア人は国土をロシアに奪われたと感じている。
 だが首都トビリシでは、ロシア人観光客が目立つ。ロシア語が通じ、物価も安い。欧州より手軽に海外旅行が楽しめる。市民も収入源として歓迎している。
 国同士は断交していても、人の交流は再生しつつある。だが相互不信が消えたわけではないだろう。かさぶたが破れれば、まだ血が出る深い傷だ。肉親や友、資産を失った庶民は、平穏の恩恵と危うさをかみしめている。

 

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