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76億人の海図

東西の冷戦終結から2019年で30年。国連によれば、76億を超える人々が地球上に暮らす。テロや自国優先主義の拡大、そして地球環境問題の深刻化・・・。国際秩序が大きく揺らぎ、世界が不安定化する中、自らのよりどころとなるものを求めて行動を始めた人々がいる。新たな海図を描こうと試みる姿を世界各地に追った。

命を懸けた古文書移送 知の源、アフリカ人の魂 マリ

2019.9.19 18:24 共同通信

 荒涼とした砂地に広がる朝焼けの空は澄み切っていた。2012年、サハラ砂漠の交易で栄えた西アフリカ・マリの世界遺産の町トンブクトゥ。「止まれ! 何を運んでいるんだ」。土壁の家が並ぶ市街地を出た直後、イスラム教徒のモハメド・トゥーレ(33)が乗る小型トラックが、機関銃を持った男らに止められた。国際テロ組織アルカイダ系の過激派だ。
 過激派から逃れる約10人の住民の中に、トゥーレが紛れ込んでいた。荷台に積んだ金属の箱には、過激派が敵視する何百年も前に書かれた千冊以上の貴重な古文書。見つかれば殺される。トゥーレは「洋服だよ」と戦闘員らと雑談し話題をそらした。
 「行っていいぞ」。鉄のゲートが開けられると、ほっとして全身から汗が噴き出た。トゥーレにとって、30回ほど続く首都バマコへの古文書移送作戦の始まりだった。

過激派から貴重な古文書を守る移送作戦を指揮したアブデル・ハイダラ。古文書の多くは穴が開いたり破れたりして保存状態が悪い=2018年10月、マリ・バマコ(共同)
過激派から貴重な古文書を守る移送作戦を指揮したアブデル・ハイダラ。古文書の多くは穴が開いたり破れたりして保存状態が悪い=2018年10月、マリ・バマコ(共同)

 ▽恐怖政治
 トンブクトゥでは、偶像崇拝を認めない過激派が町を支配し、聖廟(せいびょう)を破壊した。市内35カ所の図書館に保管されていた占星術や哲学、詩、医学などの古文書約38万冊も「教義に反する」として焼却されようとしていた。
 マリでは12年にクーデターが起き、混乱に乗じて過激派がトンブクトゥなど北部を制圧。恐怖政治を敷き、女性にベール着用を義務付け、音楽やダンスを禁じた。違反者にはむち打ち刑を科し、時には殺害した。
 ある夜、トゥーレは四輪駆動車に古文書を積むところを過激派幹部に見つかり、手首切断の刑を言い渡された。有力者の根回しで危うく難を逃れ、「命より古文書が大切だ」と作戦に戻った。
 検問所を回り道して野宿しながら、約千キロの道のりを毎回1週間ほどかけて古文書を運んだ。伯父で図書館員のアブデル・ハイダラ(54)が作戦を指揮。トゥーレをはじめハイダラの親戚ら200人以上が参加した。
 マリ軍に賄賂をせびられたり、過激派の掃討作戦を展開するフランス軍のヘリに武器密輸を疑われて撃たれそうになったりもした。6カ月間で延べ100回以上行き来し、一人の犠牲者も出さず約38万冊の大半を移した。

 ▽黄金の輝き
 ヤギの皮の表紙に幾何学模様が刻印され、ページ一枚一枚に貼られた金箔(きんぱく)が数百年の時を経て輝きを放つ。14~16世紀に金と塩の交易で栄えたトンブクトゥは「黄金の都」と呼ばれ、大学などの教育機関が発達、アフリカや中東から学者が集まった。彼らがアラビア語やアフリカの言語で執筆した最先端の研究に関する原本と写本が、市場で盛んに取引された。
 「何年もかけて集めた古文書を過激派から守るのが、私の使命でした。古文書はアフリカ人の魂なんです」。干し草のような香りがする古文書に囲まれながら、ハイダラが移送作戦を振り返る。
 トンブクトゥで寄宿学校を営む父の下で育った。紙を大切にする父だった。床に紙切れが落ちているのを見ると「紙は知の源だ。拾いなさい」と諭した。探求熱心な父はスーダンやナイジェリア、エジプトを旅し、散逸した古文書を集めた。
 古文書の魅力に取りつかれたハイダラは、1985年ごろからトンブクトゥの公立図書館で収集を担当。シロアリに食われぼろぼろになったまま一般家庭に埋もれている古文書を集め、図書館で保管する計画だった。
 ロバやラクダに乗って砂漠を進み、丸木舟で川を渡り村々を訪ね歩いた。「正気ではない」と笑われたが、お金や家畜と交換し約10年間で4万冊以上を集めた。前図書館長のアブドゥル・マイガ(56)は「彼がいなければ収集は成功しなかった」と言う。
 ハイダラが一番好きなのは、18~19世紀に西アフリカのイスラム指導者が書いた人権に関する書物だ。「立場が弱い女性や赤ん坊、さらに胎児の権利も尊重すべきだと記している。過激派の主張とは正反対で、学ぶことが多いです」と柔和な表情を浮かべた。

かつて主要大学だった礼拝所の前で警戒するPKO部隊。治安が劣悪で観光客の姿はない=2018年11月、マリ・トンブクトゥ(共同)
かつて主要大学だった礼拝所の前で警戒するPKO部隊。治安が劣悪で観光客の姿はない=2018年11月、マリ・トンブクトゥ(共同)

 ▽民族の誇り
 「アフリカには文字で残された歴史がない、と学校で教わりませんでしたか」。話の途中で突然ハイダラの目つきが鋭くなり「それは間違いです」と強い口調で言った。
 フランスは1960年まで長くマリを植民地化し、貴重な古文書を持ち去った。住民は略奪を恐れて床下や洞窟に隠し、古文書は歴史の表舞台から姿を消した。
 ハイダラたちが収集したことで、90~2000年代、古文書の存在が世界に知られるようになった。欧州や中東の研究機関が価値に注目し保存活動が本格化した直後、過激派の標的となった。
 なぜ古文書に人生を懸けるのですか? ハイダラは落ち着いた口調で答えた。「アフリカは長年、世界中から偏見の目で見られてきました。古文書はそんな私たちの誇りであり、アイデンティティーそのものなのです」(敬称略、文・中檜理、写真・中野智明)

取材後記

偏見なくすきっかけに

マリ
 

 トンブクトゥには現在、国連平和維持活動(PKO)部隊が駐留しているが、過激派のテロが頻発し治安は悪い。古文書をトンブクトゥに戻すめどは立たないままだ。
 ハイダラたちは首都で1ページごとにデジタル化したり和紙で修復したりして、英語やフランス語に訳しネットでの公開を計画している。公立図書館長のモハメド・ジャガイエティ(49)は「古文書は全世界にとっても宝だ。共有して初めて意味がある」と夢を語る。
 「イスラム教徒=凶暴」「アフリカ人=未開」との偏見は日本人の間で根強い。ハイダラたちの地道な取り組みが、固定観念を打ち破るきっかけになればと思う。(敬称略)

 

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