メニュー 閉じる メニュー
国際

国際

壁の向こうへ

ベルリンの壁の崩壊から間もなく30年。分断の後に訪れたグローバル化は多くの人に豊かさをもたらした。だが、その裏で今、環境破壊が進み、巨大な貧富の差や差別が生まれている。一方で新たに生まれた「壁」に挑み、それを打ち破ろうとする人々がいる。2015年には「「誰一人取り残さない」を理念とする「持続可能な開発目標(SDGs)」が採択された。大きな壁に挑む人々の姿を世界各地に追った。

見えない国境に振り回され 紛争に幕、歓喜の再会 エチオピア・エリトリア

2019.4.5 22:10 共同通信

 晴れ渡った高原地帯にそよ風が吹き、小鳥のさえずりが響き渡る。アフリカ東部エリトリアの首都アスマラ。古くなり傷みが目立つ空港の外で、白い民族衣装を着た女性たちが入国審査を終えた乗客を今か今かと待っている。見覚えのある顔を見つけると、涙を流しながら頰に口づけし、言葉を発せず固く抱きしめ合った。
 エリトリアと隣国エチオピアは1998~2000年、国境線を巡る紛争が起こり、推定10万人が命を落とし国交が断絶した。だが、両国は今年7月の首脳会談で歴史的な和解を実現した。直行便が就航し、紛争で引き裂かれた家族たちが連日、約20年ぶりの再会を果たしている。
 ▽憎しみはない
 「見違えるほど大きくなった」。祖父カサイ・フェサーチエン(76)は、孫娘のダナイト・チャネ(25)を見ながら目を細めた。

 空港の外で20年ぶりに再会した姉妹。何十秒も抱擁した後、「会えてうれしい」と声を振り絞った=9月、エリトリア・アスマラ(共同)
 空港の外で20年ぶりに再会した姉妹。何十秒も抱擁した後、「会えてうれしい」と声を振り絞った=9月、エリトリア・アスマラ(共同)

 カサイはエリトリアがエチオピア領だった1967年、職を求めエチオピアに移住した。養鶏などで少しずつ金を蓄えてホテルを創業し、エリトリアの独立が国際的に承認された93年ごろにはかなり繁盛するまでになった。
 だが紛争が始まった98年、当局に連行される。わずかな現金しか持つことが許されないまま、国境行きのバスに乗せられた。当時、何万人ものエリトリア人が強制送還された。
 長女はエチオピア人と結婚しダナイトを出産。エチオピア国籍のダナイトらは送還を免れたため別れ別れに。カサイは「バスの外から私に手を振り、見送ってくれた。もう会えないと思った」と振り返る。
 エリトリアに戻ったカサイに仕事はなく、親戚の援助で暮らした。だがもう憎しみはない。「平和になり家族と再会できて幸せだ。財産を失った嫌な記憶はもう忘れた」
 ▽日常の一部
 サバンナ特有のアカシアの木が点在する丘陵に、センダングサの黄色い花が咲き誇る。ウシが草をはみ、木陰で遊ぶ子どもたちが道行く車に手を振る。アスマラから車で約1時間半。エチオピアとの国境地帯は、どこまでものどかだ。
 「ここは激戦地だった。銃弾が飛び交い、あちこちに兵士の遺体が転がっていた」。2000年にエリトリア情報省のカメラマンとしてこの地を訪れたアマニュエル・ハドグ(60)が、丘陵を眺めながら記憶をたどった。「兵士は無我夢中で戦っていた」と語る。
 二つの国を分断した国境は、幅約10メートルのマラブ川だ。流れは穏やかで浅く、乾期には干上がる。
 「あの川が国境だなんて、戦争が起きるまで知らなかった」。川のそばのガザハレン村で農業を営む60代の女性ムル・オバゲルギシュにとって「国境」は日常生活の一部だった。幼い頃から川を渡り、エチオピア側の村の市場でニワトリや卵、野菜を買っていた。「家から一番近い市場だったから」。双方の村人同士が結婚することもあったという。
 だが、ムルの兄はエチオピア兵に撃たれ命を落とした。「戦争で得られるものは何もない。人が死ぬ。ただそれだけ」。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
 ▽懸け橋
 9月15日、マラブ川に架かる橋へ向かう道が、足早に歩く千人以上の住民でいっぱいになった。首脳会談による和解から2カ月を経て国境の一つが20年ぶりに再開し、お祭りムードだ。「レレレレレレレレ」。青空の下、女性たちが舌を小刻みに奮わせて甲高い声を発し、両手を広げて喜びを爆発させた。
 エリトリア側の町アデクワラでは、数百人の住民が通りに集まり、両国の国旗を掲げたエチオピアのバスやトラックを笑顔で迎えた。かつて敵だったエチオピア兵も軍服姿のままバイクでやって来て、「ハッピー!」と声を上げながら人々と握手を交わした。

エリトリアとエチオピアの国境の川に架かる橋。多くの住民が20年ぶりの再会を祝い、様子を見に訪れていた=9月(共同)
エリトリアとエチオピアの国境の川に架かる橋。多くの住民が20年ぶりの再会を祝い、様子を見に訪れていた=9月(共同)

 


 会談時に抱き合う首脳、大使館再設置、電話の開通―。和平が急速に進み、国交断絶時には想像もできなかったことが立て続けに起きている。
 和平の立役者は4月にエチオピア首相に就任したアビー・アハメド(42)。エチオピア国内で抑圧されてきた民族出身だ。国内外の安定化を目指し、就任直後からさまざまな改革を断行。エリトリアに対しても「争いは問題解決の手段にならない」と呼び掛け、係争中の国境線画定で譲歩した。
 「あまりに多くの人が紛争で亡くなり、国も打撃を受けた。隣国同士が仲良くしないと、お互いが発展できない」。エリトリア情報相のヤマネ・ゲブレメスケル(66)が和解の背景を語った。
 国境の持つ意味をヤマネに尋ねてみた。しばらく間を置き、こう口にした。「国境は平和な時代には国と国の懸け橋になる。だが、争いが起きると国と国を隔てる壁になる」。そして、付け加えた。「人々は平和を待ち望んでいた。後戻りはしない」(敬称略、文・中檜理、写真・中野智明)

取材後記
動きだした経済 

国境再開から4日後、再び訪れたエリトリアの国境地帯は活気に満ちあふれていた。内陸国エチオピアから穀物を載せたトラックが何台も土煙を上げて到着。運転手によると、帰りはエリトリアの港町マッサワから海外の電化製品や洋服をエチオピアに運ぶ。
 マッサワではエチオピアナンバーの車が走り、普段海を見る機会がないエチオピア人の家族連れらが観光を楽しんでいた。
 エリトリアは紅海に面した交通の要衝で、エチオピアは地域経済の中心地だ。エリトリア外相のオスマン・サレー(70)は「エリトリアはアフリカの玄関口になる」と意気込む。早くも経済が動きだしているのを実感した。(敬称略、中檜理)

 

SDGsの第16目標 平和と公正をすべての人にエリトリア・エチオピア

 

最新記事

関連記事 一覧へ