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北極を喰らふ

北緯約77度。北極点まで千数百キロのグリーンランドで、日本の北極観測隊と現地イヌイットは何を食べているのか。同行記者がルポする。

極寒の観測に生きがい(犬ぞり探検家山崎哲秀さん)

2013.6.5 16:19
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カナダ・レゾリュート沖の海氷上で氷の厚さを測る山崎哲秀さん(2013年2月)
カナダ・レゾリュート沖の海氷上で氷の厚さを測る山崎哲秀さん(2013年2月)

 極寒の観測に生きがい 
 北極に感じた温暖化 
植村直己に魅せられて 


 氷点下40度。凜(りん)とした空気の中、13頭の犬たちが一斉に走り始めると、そりはゆっくりと海氷上を滑りだした。「アッチョ、アッチョ(右へ、右へ)」。掛け声とムチで一つの方向へと進める。北極圏のカナダ・レゾリュート。 山崎哲秀(やまざき・てつひで) (45)の鼻先には鼻水のつららができ、長いまつげには氷が張り付いていた。
 北極海は昨年、氷の面積が観測史上最小を記録した。四半世紀にわたり北極の変化を見つめてきた山崎には、北極の声なき声が聞こえる。
 ▽原点
 高校3年の冬、父に初めて思い切りぶたれた。「将来、外国の山や海を探検したい」。京都市の進学校に在籍、当然大学に進むと思っていた父は山崎の夢を頑として認めなかった。泣きながら部屋を飛び出した。
 原子力発電所の技術者として働く父の後ろ姿を見て育った。米国から原発技術を日本に持ち帰り、昼夜を問わずに働き続ける父。厳しかった。
 福井県の美しい海の近くで暮らした。高校1年の時、冒険家植村直己(うえむら・なおみ)の遭難をニュースで知る。手に取った植村の「青春を山に賭けて」を読んで衝撃が走った。人生が変わった。
 卒業後に上京し、アルバイトで資金をためては海外へ。19歳の時、初めて挑んだアマゾン川はいかだが転覆し失敗したが、翌年、44日間で5千キロを下った。「冒険は知らないから行ける。知れば知るほど怖くなるから」
 ▽凍傷
 探検家を夢見た青年は2013年2月、北極の海氷上に犬と共にテントを張っていた。北緯74度。気温は冷凍庫よりさらに20度も低い氷点下41度。寒さで目覚めるとテントの内側は霜でびっしりだ。体から放出された水分が霜となった。寝袋も凍って箱のように硬い。
 「結構冷え込んだな。これで風が吹くと凍傷にやられてしまう」
 昨夜は、地吹雪でテントがバタバタと揺れ、外では犬が何度もほえていた。「シロクマが来ると犬がほえる。油断できない」。これまで何度も遭遇した山崎は、寝袋の脇に必ず猟銃を置く。
 こんろに火を付け鍋に氷を入れる。乾いたコメとステーキ大の肉2枚を入れて沸騰させ、一気にかき込む。「いっぱい食べないと体が冷えてしまう」。使い終わったスプーンは1分足らずで冷えて手に張り付いた。
 外では犬たちも腹をすかせていた。犬ぞりの技術はグリーンランドでイヌイットと長年生活している大島育雄(おおしま・いくお) (65)の所に通い詰めて教わった。
 犬ぞりは、人類で初めて北極点を制した冒険家ピアリーや、南極点を制したアムンゼン、そして憧れの植村も使った。
 イヌイットの間でも近年、スノーモービルが普及しているが、故障したら終わりだ。「犬ぞりなら故障しないし、遠くまで行くことができる」
 テントの中からドリルを持ち出すと氷に穴を開け始めた。氷の厚さを測る。118センチ。「今年は随分と薄いな」。例年ならこの海域は2メートル近くあるという。年々薄くなっている気がする。
 他にも気温、雪の温度、風速など15項目の観測を終え、その場でノートに記録した。急がなければ凍傷になる。「日本の研究者にデータを送っています。温暖化や気候変動の研究に役に立ててもらいたくてね」
 ▽勲章
 観測に興味を持ったきっかけは南極だった。04~06年、政府が派遣する南極観測隊に参加。国家事業として行われる大規模な観測の現場を目にした。「冒険だけじゃなく、観測も面白そうだな」
 帰国後、北極に飛んだ。犬ぞりチームをつくり自分で観測を始めた。やがて研究者から氷や雪に関するデータの依頼が寄せられるようになる。
 北極や南極の気候変動や生物の調査をする国立極地研究所(東京都)。北極観測センター長の榎本浩之(えのもと・ひろゆき) (55)は、山崎のデータを毎回心待ちにしている。「衛星写真では分からない実際の氷の状況が分かる。貴重なデータです」
 07年1月、海氷上を犬ぞりで走っていた時に突然、氷が割れた。とっさに陸地に飛び移ったが、犬たちを乗せた氷は沖に流された。大切なパートナーを全て失った。「真冬にあそこで氷が割れるなんて考えられない。北極に異変が起きている」
 現在のリーダー犬「陸」は、流された犬の子どもだ。山崎にも昨年、長男が生まれた。妻も元南極観測隊員。大阪府で大学職員をしながら夫を支えている。
 1年の半分を北極に単身赴任し、残りの半年は日本で講演をして費用を集める生活。最近は研究者の観測をサポートすることで給料をもらうこともある。「自分にしかできないことがある。なすべき仕事がはっきり見えてきた」。顔にいくつも残る凍傷の跡は、探検家の勲章だ。(敬称略、文と写真・沢野林太郎)

 

澤野林太郎

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