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全て失い、人生見つける  最高のチョコレート作る男 サントメ・プリンシペ

2019.10.16 18:52 共同通信

 オレンジ色に熟したカカオの実がギニア湾から吹く風に揺れている。
 「味はどうだい」。クラウディオ・コラロ(68)が差し出すカカオ豆を口に含むと、香ばしさが広がった。
 西アフリカのギニア湾に浮かぶサントメ島とプリンシペ島の二つの島からなる小国サントメ・プリンシペ。ここでコラロが育てたカカオは「世界最高の品質」とされ、この豆で作るチョコレートは各種のコンクールで高い評価を獲得してきた。
 コラロはカカオ生産からチョコレート作りまでを一人で手掛ける世界でもまれな職人だ。彼のチョコレートに魅せられ、アフリカで2番目に小さなこの国に多くの観光客が訪れる。

プリンシペ島にある農園で、熟したカカオの実を刈り取る従業員。奥はギニア湾=3月(共同)
プリンシペ島にある農園で、熟したカカオの実を刈り取る従業員。奥はギニア湾=3月(共同)

 ▽森の生活に憧れて
 イタリア有数のワインとオリーブの産地、中部トスカーナ地方フィレンツェで生まれた。「子どもの頃に見た映画のターザンに憧れた。都会は嫌いだね、森で生活したかったんだ」。少年のようなちゃめっ気のある表情でコラロが語る。
 大学で熱帯農業経営を学び、1974年にザイール(現コンゴ民主共和国)に渡った。23歳の時だ。農地調査をする傍ら、コーヒー豆の仲買を手掛けた。だが「自分は商売には向いていないことが分かったから」、1250ヘクタールの土地を購入、コーヒー栽培を始めた。
 駐ザイールのポルトガル大使の娘と結婚、ようやくコーヒー園の経営が軌道に乗り始めた90年代半ば、ザイールは民族間の対立で内戦に突入。夫婦は政情不安を避けて、旧ポルトガル海外州だったサントメ・プリンシペへ95年に移った。
 年間880トンを生産するまでになっていたコーヒー園も捨てた。「300万ユーロ(約3億8千万円)の財産を失ったよ」と苦笑いする。

 ▽カカオとの出合い
 サントメ・プリンシペは20世紀初頭、世界有数のカカオ生産高を誇り、“チョコレートの島”と言われたほどだった。だが75年の独立で本国などからの投資は落ち込み、世界的なカカオ価格の暴落もあって農園は荒れ放題に。この間に、ガーナやコートジボワールなどで大資本によるカカオ産業が台頭した。「全てを失ってここに来た時、放置されたままのカカオの木を見て心が躍った。とことん知りたくなった」。ザイール時代のつてで欧州のカカオ業者と接触、あらゆるカカオ豆を自らの舌で味わった。だが満足できるものはなかった。「だったら、自分で育てよう」
 収穫時期、発酵・乾燥・焙煎の方法―、さまざまな試行錯誤を繰り返し、理想的なカカオの栽培ができたと思った時、「今度はこの豆で最高のチョコレートを作りたくなったんだ」とコラロ。
 プリンシペ島でカカオを栽培し、発酵、自然乾燥させたカカオ豆をサントメ島中心部の工房に運び、サントメ・プリンシペで初めてのチョコレート作りを始めた。
 2003年、本格的に欧州市場に参入。「混じり気のないカカオで作った最高のチョコレート」という評価を受け、有名老舗百貨店から声が掛かるまでになった。16年に開かれた欧州最大級のチョコレートの祭典ユーロチョコレートでは「環境を尊重し持続可能な開発のモデル」として、最優秀国際プレゼンス賞を受賞した。
 コラロは壊滅状態にあったサントメ・プリンシペのカカオ産業の息を吹き返させたのだ。

サントメ島にあるチョコレート工房で従業員と笑顔のクラウディオ・コラロ(右)=3月(共同)
サントメ島にあるチョコレート工房で従業員と笑顔のクラウディオ・コラロ(右)=3月(共同)

 ▽飾りは要らない
 「無農薬、高品質なんて当たり前。宣伝文句に使うのはおかしいよ。カカオと真剣に向き合うことが大事なんだ」。製品の包装には余計な飾りも宣伝もない。コラロの信念がうかがえる。
 高床式の工房に入ると香ばしい匂いが漂う。従業員がカカオ豆を焙煎してチョコレートを作り、切りそろえ、箱詰めする。昨年は28・8トンのチョコレートを作り完売、55万ユーロを売り上げた。
 プリンシペ島のカカオ農園ではアルリンド(45)が無駄な枝や葉っぱを切り落とし、雑草を抜いていた。成長が阻害されるから、こまめな世話が不可欠だ。「ボスが真っ先に草取りをするから俺たちがサボるわけにはいかない。住民はみんな彼を尊敬してるよ」。創業当初から一緒に働いてきた男がコラロを語る。
 コラロに学んだアルリンドのような従業員が、環境を破壊することなく持続的な資源利用の方法を他の住民に伝え広げていく。これまでに200人以上の住民が新たな職を得た。
 チョコレートの魅力は「深みと苦味」ともいわれる。だがコラロは頑固に苦味のないものを追求してきた。「僕は苦味を否定した初めてのチョコレート職人かもしれない。ミルクやバニラなど香料を混ぜたものもチョコレートとは思わない」。
 国際食品展への誘いは多い。だがコラロはそんな世界とは距離を置く。「僕が目指すのは品質の追求だ。賞を狙って注目を集めることじゃない」(敬称略、文・写真は中野智明)

取材後記

生まれ故郷の恩恵

地図
 

プリンシペ島で作業をする際にコラロが寝泊まりするのは廃屋と見間違うような2階建てだった。かなり古く、赤さびた鉄製の門には「1898」の飾りがあった。サントメ・プリンシペがカカオ産業に沸いた頃の名残だという。
 カカオは南米からポルトガル人によって持ち込まれた。カカオ渡来の時期には諸説あるようだが、コラロは「1817年のはずだ」と言う。
 コラロの生まれ故郷トスカーナは豊かな自然と天候に恵まれ、その恩恵を受けた食材は美味、スローフードの地としても知られる。世界最高のチョコレート職人の感性は、この故郷の風土に育まれたものなのだろう。(敬称略)

 

 

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