女子アメフト選手の先駆者 プルデンシャル生命執行役員・長谷川尚子さん


ベージュのパンツスーツを綺麗に着こなし、颯爽とフィールドを歩く158センチの体が大きく見えた。
1月3日に東京ドームで開催されたアメリカンフットボールの日本選手権(ライスボウル)で、試合前のコイントスを任された長谷川尚子さんは、大会の特別協賛社であるプルデンシャル生命保険の執行役員で、本格的な女子アメフトチームの草分け的存在「レディコング」の中心選手として活躍した経歴を持つ。
日本一を争う富士通とパナソニックの熱戦を見届け「いい試合でしたね」と、レベルの高い攻防に満足げだった。
毎年ライスボウルが行われる1月3日は、長谷川さんの誕生日。ここにもアメフトとの縁が垣間見える。
東京の渋谷区で生まれた長谷川さんは、大手建設会社に勤務していた父・高彦さんの仕事の関係で2歳の時にマレーシアに移住した。
幼稚園と小学校4年までは日本に戻って学校に通ったが、その後は再び海外のリゾート開発に携わる父親の転勤でオーストラリア、フィジーで過ごした。大学は得意の英語を生かして、獨協大学の外国語学部英語学科に進む。
海外の学校には部活というものがなく、スポーツは「オーストラリアでテニスと水泳をしていた」という。
「早稲田大学の柔道部出身の父親は、フィジーに柔道を普及させフィジー代表監督としてオリンピックにも参加した。私を柔道選手にしたかった父は帰国後、講道館に私を連れていくと同時に、柔道の補強のためにトレーニングジムにも入会させるほどの熱の入れようだった」と振り返る。
ところがバーベルを持ち上げる才能に気付いた周囲から、パワーリフティングの大会に出ることを勧められる。
パワーリフティングはデッドリフト、スクワット、ベンチプレスなどの記録を競う競技だ。まずは実業団の大会に出て、その後は全日本選手権に出場。48、52キロ級では一時日本記録を保持していたという。

パワーリフティングの次はボディービルだ。膝を痛めたこともあり軽い重量でもトレーニングができるボディービルでは、20歳で初めて出場した東京都大会で優勝。「減量が嫌で参加するつもりはなかった」という全日本選手権で7位になり、23歳だった4年目に優勝して引退した。
アメフトとの出会いは24歳。新卒で就職した東京都内のトレーニングジムでトレーナーをしていたときだ。長谷川さんが指導していた社会人アメフトチームのトップ選手から「女子チームを立ち上げる話がある。プレーヤーとして参加しないか?」と声をかけられた。

元々球技が好きだった長谷川さんは、まず人集めから取りかかる。そして誕生したのが「レディコング」だった。
コーチには関西学院大学の元名選手らが就任し、熱心に教えてくれたそうだ。
長谷川さんはRB、DEをメインにQB、SFなどあらゆるポジションをこなし、主将としてチーム運営の先頭に立っていた。
「25歳からアメフトを始めて、37歳でプルデンシャル生命に入った。チーム活動が中止になり2年ほどで一旦やめたが、引退した人たちを集めて40歳を過ぎてからまた試合をした。アメフトは面白く、本能で動く自分に合っている。特にディフェンスは」という。
生命保険会社での仕事ぶりもまた、バイタリティーにあふれている。
「転職したとき、プルデンシャル生命と聞いて分かる人は少なかった。自分の可能性を、どれだけ他人から評価されるのか。自分を試したかった」と話す。

長野支社長などを経て、ライフプランナー(営業職)出身の女性として初の執行役員になったが、まだまだ女性の活躍の場を増やせると思っている。
「女性が働きやすい職場=男性も働きやすい職場」が持論だ。アメフト選手時代から「自分は背中で見せるタイプ」だという。仕事ぶりを見せてこそ、人はついてくるのだという言葉には、説得力がある。
「転職者がほとんどのこの会社には、誰にでもチャンスがある。みんなに人生を変えるチャンスをあげたい」
社員の人生に関わる管理職として大切な要素に「誠実さ」「公平さ」「傾聴力」を掲げるのも、その延長線上にある。
オフの楽しみは、トイプードルのショーくん(8才)とリクくん(6才)と過ごす時間だ。「あの子たちはかけがえのない家族。ゴルフに行くときも一緒」と溺愛している。

忙しい中で時間をつくり、フラッグフットボールで汗を流す。慶応大学のOBチームのメンバーとして、練習や試合にはできる限り顔を出すのだという。
「20代中盤でアメフトと出会って、今もフラッグという形でフットボールに関わっている。人生の中でアメフトの存在は大きく、知り合った誰かと誰かが必ずつながっていて、そこで築いた人脈は宝物」という。
ナンバー「34」。アメフト選手時代に好んで付けていた番号は、かつてNFLと大リーグの両方で活躍した「二刀流」の名選手ボー・ジャクソンに由来している。
自分の可能性を信じて努力し、結果を出す。アスリート、そして社会人として常に一流を目指してきた長谷川さんは、前職であるトレーナーとして所属していた会社の親会社である、大手不動産会社の社外監査役に就任する予定だ。
社会人として育ててくれた古巣に恩返しができることを、とても喜んでいる。

宍戸 博昭 (ししど・ひろあき)プロフィル
1982年共同通信社入社。運動記者として、アトランタ五輪、テニスのウィンブルドン選手権、ボクシングなどスポーツ全般を取材。日本大学時代、「甲子園ボウル」にディフェンスバック、キックオフ、パントリターナーとして3度出場し、2度優勝。日本学生選抜選出。NHK―BSでNFL解説を30年以上務めている。