次の舞台はNFL プロ入り宣言したアラバマ大QBブライス・ヤング


「次はNFLでチャンピオンになりたい」―。アラバマ大の3年生クオーターバック(QB)ブライス・ヤングは、晴れやかな表情で記者会見に臨んだ。
前日の1月1日、カンザス州立大とのシュガーボウルで5TDパスをヒットし、45―20の勝利に貢献。「最高のパフォーマンス」と自賛したゲームで最優秀選手(MVP)に輝いたヤングは、試合会場となったニューオーリンズからの帰路、アラバマ大のチャーター便に搭乗するのはこれが最後と決意を固めて地元に帰還した。
最終学年を前にNFLドラフトへの出願を決心した背景には、信条である粘り強くプレーに取り組む姿勢を貫き、カレッジレベルで自ら掲げた幾つものゴールを達成したという自負がある。
アラバマ大のプレー構成からヤングはポケットパサーとくくられるなか、183センチ、88キロというサイズに疑問符がつくのは当然だ。しかし、QBカイラー・マレー(現NFLカージナルス)=178センチ、94キロ=の存在が引き合い出され、ネガティブな評価は打ち消されている。
それを裏付けるように、評論家からの評価はおおむね高いものがある。機動力はもちろんのこと、素早いリリースからの正確なパスコントロールは折り紙つきだ。レシーバーがキャッチアンドランでビッグプレーにつなげられる制球力がある。
▽磨いてきた自信
カリフォルニア州パサデナのアーテル・デイ高でのヤングは、多くのメディアから五つ星の評価を得、一旦は地元の名門・南加大への入学に傾きながら常勝アラバマ大の門をたたいた。
初年度の2020年は全米王座に輝いたシーズンで、エースQBマック・ジョーンズ(現NFLペイトリオッツ)のバックアップとして出場機会は限られた。
大きな飛躍を遂げたのは21年。全試合に先発し、パスでは547回試投366回成功で4872ヤードを稼ぎ、47TDパスでインターセプトは7。チームは大学王座決定戦でジョージア大に敗れたが、ヤングにとっては「ハイズマン賞」を獲得したほか、QBに与えられる個人賞を総なめにした。
迎えた22年シーズン。ヤングは、開幕前予想で1位に推された強豪が2年ぶりに全米王座を奪還するためには、史上2人目となる2年連続ハイズマン賞獲得につながる活躍が自らに課された使命と意気込んだ。
だが、アクシデントは4連勝で迎えたアーカンソー大戦で起きた。皮肉にも前年の対戦では5TDパスを決め、52年ぶりにスクールレコード更新する559ヤードを獲得した相性のいいチームだった。
右にスプリントアウトしながらの投球直後、相手守備のヒットを逃れようとスライディングをしての着地の際、右肩関節を捻挫し退場した。次戦を欠場し、本調子からはほど遠い状態で復帰したテネシー大戦は49―52で敗れた。2週後は、ルイジアナ州立大にタイブレークで屈し2敗目を喫した。
その後は全勝し10勝2敗。10位まで落ちたランキングは5位まで回復したものの、カレッジフットボールプレーオフ(CFP)に出場する上位4枠に届かず、全米王者にはつながらないシュガーボウル出場でシーズンを終えた。

ヤングにとっても22年は380回試投245回成功で3328ヤード獲得、32TDパス、5インターセプトという成績ながら個人賞には縁のない一年になった。
それでも可能な限りの栄誉はすべて手に入れ、幾つもの学校記録を塗り替えた3シーズンだった。アラバマ大で培ったメンタリティーの強さと研ぎ澄まされたスキルを携え、最高峰のプロリーグに飛び込むときが来た。
「BE A CHAMPION(王者たれ)」。アラバマ大の選手たちがロッカールームを出る際に誓いのタッチをするボードに書かれたスローガンを忘れることはない。
ブライス・ヤング 2001年7月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。その後移り住んだカリフォルニア州のアーテル・デイ高から20年にアラバマ大に入学。2年生から正QBとして活躍し、ハイズマン賞のほかAP通信社の年間最優秀選手賞など、QBを対象とする個人賞を独占した。

浅岡 弦 (あさおか・げん)プロフィル
1957年生まれ。駒澤大学でOG、ラインバッカーとしてプレー。卒業後はコーチ、スタッフとして活動。AFCA(アメリカンフットボールコーチズアソシエーション)元海外会員。ベースボール・マガジン社の『アメリカン・フットボールマガジン編集部』在籍中から国内学生、NCAAフットボールのレギュラーシーズン、ボウルゲームを取材。ケーブルテレビのカレッジフットボール番組のコメンテーターを長く務める。