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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

NFLレーベンズの元名DTシラグサ氏が死去 55歳、スーパーボウル制覇に貢献

2022.6.30 12:36 生沢 浩 いけざわ・ひろし
2000年シーズンのスーパーボウルを制したレーベンズの選手として、パレードで優勝トロフィーを掲げるトニー・シラグサ氏(AP=共同)
2000年シーズンのスーパーボウルを制したレーベンズの選手として、パレードで優勝トロフィーを掲げるトニー・シラグサ氏(AP=共同)

 

 6月下旬、NFLのコルツやレーベンズでDTとして活躍したトニー・シラグサ氏が亡くなったというニュースに接した時、思わず「えっ」と声を上げてしまった。

 55歳という若さも惜しまれるが、筆者にとっては留学していたピッツバーグ大学の出身ということで格別な親近感を持つ選手の一人であったからだ。

 

 筆者がピッツバーグ大学の英語学校に通っていたのは1989年だ。この年のピッツバーグ大学パンサーズは強かった。

 8勝3敗1分けの成績で全米ランキング10位のシラキュース大を破り、同9位のウエストバージニア大と引き分けるなど、最高で7位にランクされた。

 

 このシーズンの先発メンバーのうち、少なくとも10人が後にNFL入りしている。当時4年生だったシラグサ氏もその一人だ。

 ただし、ドラフト外でのプロ転向だった。当時は知らなかったのだが、シラグサ氏は高校時代にニュージャージー州代表に選ばれるほどの有望選手で、86年にピッツバーグ大学に入学するとすぐにスター選手として名をはせた。2年生を終えるころにはすでにドラフト1巡指名候補の評価を得ていた。

 

 しかし、3年生時のシーズン前に膝の靱帯断裂という重傷を負ったことで、彼はNFLスカウトのリストから排除されてしまう。その後2年間は故障とリハビリを繰り返したそうだ。

 そんな彼が本来の姿を取り戻したのが最終学年の89年で、この時は60タックル、5・5サックという好成績を残した。

 

 現在とは違い、当時は膝の靱帯断裂からの完全復調はほぼ不可能と信じられていた。シラグサ氏がドラフトで指名されなかったのも、それが要因だ。

 シラグサ氏はドラフト外でコルツに入団するのだが、彼がNFLで高く評価されるようになったのはフリーエージェントでレーベンズに移籍した97年からだ。

 

 レーベンズは95年シーズンを最後にボルティモアにフランチャイズを移転した旧クリーブランド・ブラウンズが母体だ。

 クリーブランド市民が起こした裁判の結果、チーム名や球団史が同市に帰属するとの判決が出たためブラウンズを名乗ることができず、96年に「ボルティモア・レーベンズ」という新しいチームになった経緯がある。

 

 名前もロゴもユニフォームも一新した初期のレーベンズには、当然のごとくチームとしての特徴、すなわち「アイデンティティー」がなかった。

 コルツがインディアナポリスに移転してから、ようやく地元のNFLチームを取り戻したボルティモア市民は、何をもってレーベンズを応援したらいいか分からない状態だったのだ。

 

 そこでチームが見出した答えはディフェンスだった。堅固なディフェンスをチームカラーとし、それによって勝つチームを作り上げた。

 その中心にいたのがLBレイ・ルイスであり、CBロッド・ウッドソンであり、DTシラグサ氏だった。

 

 時に過激な言動をするシラグサ氏は、アグレッシブなレーベンズディフェンスのイメージにぴったりだった。

 レーベンズがNFLトップクラスのチームに成長するにつれて、元々実力のあるシラグサ氏が脚光を浴びて再評価されるのは自然な流れだったのだろう。

 そして、レーベンズは2000年シーズンに史上最強とも評されたディフェンスを看板にスーパーボウルを制覇するのである。

 

 その頃の筆者はNFLのテレビ解説の仕事を始めたばかり。緊張しながら放送席で試合の模様を伝える筆者にとって、ピッツバーグ大学出身のシラグサ氏の活躍は嬉しいものだった。

 

 シラグサは2001年限りで引退し、その後はNFL中継のフィールド解説者などを務めた。

 軽快でユーモアに富んだトークは人気を博した。彼自身は「グース(ガチョウ)」というニックネームで親しまれていたが「ムース(ヘラジカ)」の愛称で知られた、元カウボーイズのRBダリル・ジョンストン氏(テレビ解説者)との「ヘイ、ムース」「何だい、グース?」のやり取りは楽しかった。

 

 シラグサ氏の死因は公表されていない。就寝中に亡くなったと報じられているだけだ。

 彼のプレーや軽妙なトークがもう見られないのは残念だ。プロフットボール殿堂には縁のない選手なのかもしれないが、彼もまたNFLの一時代を彩った名選手であったことは間違いない。

生沢 浩 いけざわ・ひろし

名前 :生沢 浩 いけざわ・ひろし

プロフィール:1965年生まれ。上智大卒。英字新聞ジャパンタイムズの運動部長を経て現在は日本社会人アメリカンフットボール協会の事業部広報兼強化部国際戦略担当。大学時代のアメリカンフットボール経験を生かし、フットボールライターとしても活動。NHKーBSや日テレG+でNFL解説者を務める。大学時代のポジションはRB。日本人で初めて「Pro Football Writers of America」の会員となる。

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