息づく「奉仕のための練達」 東大の創部に深く関わった関学大の先人たち

6月12日。神戸市王子スタジアムで関学大と東大の交流戦が開催された。両校の試合は、1966年以来56年ぶりだ。
関学大と東大のアメリカンフットボール部は長い交流の歴史がある。1957年の東大の創部や発展には、関学大OBが深く関わっている。
昨年度の東大「ウォリアーズ」のイヤーブックのインタビュー記事で、創部のために奔走した当時東大の1年だった市川新さん(都立戸山高OB)は、こう語っている。
「アメフト部の創部を思い立った際、関学高等部でアメフト部のマネジャーをしていて東大に進学した小宮太郎さんと知り合い、当時関学大の監督のまま国内留学し東大で研究をしていた米田満さんに協力をお願いして部の活動が始まった」

米田さんは2020年8月に92歳で亡くなり、市川さんは今年2月、84歳で急逝した。
ウォリアーズの誕生に尽力した二人の功労者は、12日の試合を観戦することはできなかったが、86歳の小宮さんと米田さんの長女・堀田悦子さんらが、ハーフタイムに行われたセレモニーに立ち会った。
セレモニーでは、米田さんが東大の創部時に着用していたユニホームを、関学大の竹田行彦OB会長が東大の三沢英生監督に寄贈。会場には、両校の交流の歴史を初めて知るファンや関係者も多く、大きな拍手に包まれた。
関学大OBの東大アメフト部への思いは、脈々と受け継がれてきた。
2005年から16年までヘッドコーチを務めた細田泰三さん(享年59)は、1970年代後半に「ファイターズ」の名DBとして活躍した。
セレモニーに出席した妻の細田松枝さんは「主人は12年間、東大のコーチをしていたが、夢は関学に勝つことだった。いつか実現してほしい」と、夫の生前の願いを披露した。
東大と米田さんをつないだ小宮さんは、創部当時をこう振り返る。
「私は市川君に『米田先生が来年、東大に国内留学してくる』と情報提供しただけ。あとは市川君が西宮の米田先生の自宅まで押しかけて指導をお願いした。米田先生が快諾してくれたことが、東大アメフト部の歴史にとって、非常に大きなことだったと思う。創部当初は運動会(体育会)に加入できず着替える場所もなく、私が所属していた写真部の大きな部室の一部を貸してもらって着替えていた」

市川さんが戸山高の監督時代に指導を受けた、ファイターズOBの小野宏ディレクターは、「今年は春の試合の組み方を思い切って改変し、東大と試合をすることが決まってそれを報告しようと思っていた矢先に市川さんが亡くなった」と残念がった。
試合は関学大が31―7で勝った。小野ディレクターによれば、その後に開催された懇親会は、多くの両校関係者が参加し盛会だったそうだ。
「関学さんとの歴史的なご縁、結びつきの強さに感動した。皆さまのお話の一つ一つに、涙をこらえるのがやっとだった」。三沢監督のコメントである。

関西学院のスクールモットーは「マスタリー・フォア・サービス(奉仕のための練達)」。その精神を尊びそして実践した先人たちの思いが、東大の創部から65年の時を経て再び形となって表れた一日だった。(宍戸博昭)