「自由と進歩の追求」 法大を9年ぶりの甲子園ボウルに導いた有澤玄HC

2021年12月08日
共同通信共同通信
宍戸 博昭 ししど・ひろあき
インタビューに答える法大の有澤玄ヘッドコーチ=川崎市中原区の法大グラウンド
インタビューに答える法大の有澤玄ヘッドコーチ=川崎市中原区の法大グラウンド

 

 短く刈り込んだ独特のヘアスタイル。鋭い眼光は、嘘をついたらたちまち見抜かれてしまいそうな威圧感がある。

 49歳。就任5年目で、法大を9年ぶりに全日本大学選手権決勝「甲子園ボウル」に導いた有澤玄ヘッドコーチ(HC)は、12月19日に開催される関学大との決戦に向けて、学生と協力しながら準備を進めている。

 

 冷たい雨が降る、川崎市中原区にある法大グラウンドを訪ねた。クラブハウスでは「分析スタッフ」が5日に行われた西日本代表決定戦、関学大―立命大のビデオを見て、学生王者「ファイターズ」の攻守の傾向を分析していた。

 

 今シーズンの法大は、新型コロナウイルスの影響でリーグ戦が短縮されたことで、昨年に続いて関東のライバル日大と初戦で顔を合わせた。

 結果は35―28で前年の雪辱を果たし、この勝利をきっかけにチームは成長。無敗で関東大学リーグ1部TOP8を制し、東北大との東日本代表決定戦でも快勝した。

東北大に勝利し、9年ぶりの甲子園ボウル出場を決め、記念撮影する法大の選手たち=アミノバイタルフィールド
東北大に勝利し、9年ぶりの甲子園ボウル出場を決め、記念撮影する法大の選手たち=アミノバイタルフィールド

 

 「日大には、去年負けていることもあって、同じような負け方はしたくないという思いで学生がやってくれた。でも、去年以上のチームが作れたかというと、そうではない。チーム力は去年の方があった」と有澤は言う。

 

 今年は、エースRB星野凌太朗をはじめ3年が中心のチームである。有澤は「けがで出場できない主将のLB太田(成哉)が一匹狼にならないように、他の4年にはもっとチームを引っ張ってほしいとお願いしている」そうだ。

 

 今年のチームには、大型でスピードのあるWRがいる。小山昭瑛(4年=188センチ、78キロ)と工藤裕康(3年=186センチ、83キロ)だ。

 2年前の甲子園ボウル。早大が「WRブレナン翼」というスピードスターを擁して関学大守備陣を翻弄したシーンを思い出す。

 そのことを有澤に問うと「小山と工藤はしっかりやってくれているが、ブレナン君のようにはいかない。総力戦で臨む」と慎重な答えが返ってきた。

 

 法大ではLBとして活躍した有澤は、在学中に2度の甲子園ボウルを経験している。

 2年だった1992年は京大に7―17で屈し、主将として出場した94年は初出場の立命大に22―24で敗れている。

 「2年の時はパンターで出場したが、雨の試合で10ヤードぐらいしか飛ばなかった」という。その試合で、京大のディフェンスコーディネーターをしていたのが、その後有澤がコーチを志す上で大きな影響を受けた森清之さん(現東大HC)だった。

 

 大学卒業後は、鹿島に就職した。日本社会人Xリーグの「鹿島ディアーズ」(現ディアーズ)は強豪で、常に優勝争いをしていた。

 99年にイタリアのパレルモで開催された第1回ワールドカップ(現世界選手権)にはLBとして日本代表に選ばれたが、故障を理由に辞退した。

 日本代表は50人の選手枠を補充することなく49人で戦い、初代王者に輝いた。その時のユニホームは、今でも持っているという。

 

 選手としての限界を感じ始めた2001年、森さんが鹿島のHCに就任した。

 「森さんからは、選手としてできないならコーチはどうだと打診された。当時はコーチに全く興味がなかったが、森さんに興味を持った。自分が思っていたコーチ像と森さんは違った。人間性など、アメリカンフットボールを通じて森さんからいろいろ吸収できると思った。コーチングはスキルを教えるだけではないことを知った」

 コーチの仕事は、人間教育であることを学んだという。

 

 法大では3、4年がいわゆる「雑用」を担当することになっている。

 有澤によれば「文武両道を求められる時代。高校から入ってきたばかりの1年は、緊張したり文化が違ったりと大変。今は昔と違って授業に出てしっかり単位を取らないといけないので、既に単位を取って余裕のある上級生が下級生に寄り添うのは当然」となる。

 

 ただ、今の学生特有の感覚には戸惑いもあるという。

 「他人にあまり関心がない。同学年の学生がいなくても気がつかない。携帯電話の連絡ツールで済ませてしまう。一方で承認欲求は強いので、コーチはちゃんと見て評価しないといけない」

サイドラインでコーチ陣に指示を出す有澤玄HC=法政大学アメリカンフットボール部提供
サイドラインでコーチ陣に指示を出す有澤玄HC=法政大学アメリカンフットボール部提供

 

 有澤は、東京の立川市で銭湯を営む一家に育った。今年の6月に17回忌を迎えた父親の隆さんは法大アメフト部のOBで「破天荒な自由人だった。でも、不思議と人に好かれていた」(有澤)。

 地元で少年アメフトチーム「立川ジェッツ」を教えていた父の影響はないと言うが、指導者の道に進んだのは必然だったのかもしれない。

 

 指導理念を尋ねると、有澤は「自由と進歩を追求しながら、それに沿ったフットボールをすること」と答えてくれた。

 自由と進歩。それは、有澤が実践してきた大切な人生のキーワードでもある。