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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

アレックス・ギブス元OLコーチが死去 「カットブロック」で一時代築く

2021.7.14 11:45 生沢 浩 いけざわ・ひろし
ブロンコスのトレーニングキャンプでOLを指導するアレックス・ギブス氏(中央)(AP=共同)
ブロンコスのトレーニングキャンプでOLを指導するアレックス・ギブス氏(中央)(AP=共同)

 

 NFLで30年近くアシスタントコーチを務めたアレックス・ギブス氏が、脳梗塞などの合併症でアリゾナ州フェニックスの自宅で亡くなった。80歳だった。

 

 ギブス氏はOLの「カットブロック」で有名なコーチだった。カットブロックはディフェンス選手の膝のあたりを低く狙うテクニックで、斜めの角度で当たるとDLはバランスを崩して倒れてしまう。

 RBにとっては大きなランニングレーンが開けることになり、多くの1000ヤードラッシャーを生み出した。

 

 ギブス氏の名前を一躍有名にしたのは1995~2003年のブロンコスでのOLコーチ時代だ。

 1995年に49ersの攻撃コーディネーターからブロンコスのHCに就任したマイク・シャナハン氏はギブス氏を招聘し、彼のカットブロックをランプレーのメインスキームとした。

 当時はまだ現在のように「ゾーンブロッキング」を採用するチームは少なく、正面のディフェンダーを縦に押し込むスタイルが主流だった。

 ギブス氏はランプレーが展開する方向に合わせてOLを全員同じ方向に斜め前にブロックするゾーンブロッキングをブロンコスに導入し、そこで使うテクニックとしてカットブロックを指導した。

 

 これによってブロンコスのラン攻撃はNFLトップクラスになった。RBテレル・デービスは95~98年までそれぞれ1117、1538、1758,2008ヤードラッシングを達成し、チームは97、98年シーズンに2年連続でスーパーボウルを制した。

 

 デービスは99年に膝の靱帯断裂で戦列を離れたが、控えだったオランディス・ゲイリーが1159ヤードラッシュを記録した。

 翌年以降もマイク・アンダーソン、クリントン・ポーティスらが1000ヤードを超えるラッシングをマークする。

 当時は「ギブスのカットブロックがあれば、誰でも1000ヤードラッシャーになれる」とまで言われたほどだ。

 

 カットブロックはDLに忌み嫌われた。大きくゲインされるだけでなく、深刻な負傷につながる危険があるからだ。

 カットブロックは膝を刈るようにDLに当たるため、角度が悪ければ膝や足首に大きなダメージを与えることになる。事実、カットブロックを受けて靱帯損傷や骨折、脱臼などの重傷を負った選手もいる。

 

 ルール上もクリッピング(腰より下に背後から当たるブロック)やチョップブロック(すでにOLのブロックを受けているDLに別のOLがブロックすること)といった反則ギリギリのプレーになることが多く、ディフェンスからは「ダーティー(汚い)ブロック」と呼ばれた。

 

 選手の安全を守るためにブロッキングに関するルールは幾度も変更され、少しずつカットブロックは使われなくなった。

 それでもギブス氏は、2004年にブロンコスを退団した後もファルコンズやテキサンズ(テキサンズではブロンコス時代の攻撃コーディネーターだったゲーリー・キュービアクHCに招かれた)でコーチを務め、03年を最後に引退した。

 そして、コーチを務めるチームで確実にラン攻撃を向上させた実績は今でも高く評価されている。

 

 筆者はスーパーボウルでギブス氏を取材したことがある。

革新的な「ゾーンブロッキング」のスキームを徹底し、ブロンコスのスーパーボウル連覇に貢献したアレックス・ギブス氏(AP=共同)
革新的な「ゾーンブロッキング」のスキームを徹底し、ブロンコスのスーパーボウル連覇に貢献したアレックス・ギブス氏(AP=共同)

 対戦相手(97年はパッカーズ、98年はファルコンズ)を含めて、彼ほど多くの取材陣に囲まれるアシスタントコーチはいなかったと記憶している。

 

 彼が有能なコーチであった証だが、歯に衣着せぬ物言いもメディアを魅了した。

 毒舌と言うとまだ聞こえはいい方で、とてもではないが文章や放送に耐えないような言葉を平気で使う。トレーニングキャンプでは、メディアやファンの目の届かない場所をあてがわれていたとも言われている。

 今だったら言葉尻をとらえられて大問題になっていることだろう。ただ、ギブス氏の発言にはユーモアもあり、フットボールに対しては真摯な態度があった。だから多くの人に敬愛されたのだろう。

 

 NFLの表舞台から去ってしばらく経ち、ブロッキングスキームも変わってきた。

 しかし、ギブス氏がランオフェンスにもたらした革新的なスキームは多くのコーチに受け継がれ、今も色あせることはない。

生沢 浩 いけざわ・ひろし

名前 :生沢 浩 いけざわ・ひろし

プロフィール:1965年生まれ。上智大卒。英字新聞ジャパンタイムズの運動部長を経て現在は日本社会人アメリカンフットボール協会の事業部広報兼強化部国際戦略担当。大学時代のアメリカンフットボール経験を生かし、フットボールライターとしても活動。NHKーBSや日テレG+でNFL解説者を務める。大学時代のポジションはRB。日本人で初めて「Pro Football Writers of America」の会員となる。

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