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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

名LBケビン・グリーン氏が死去 ラムズなどで一時代築く

2020.12.23 11:08 生沢 浩 いけざわ・ひろし
昨シーズンのスティーラーズ対ベンガルズの試合前に関係者と歓談するケビン・グリーン氏(AP=共同)
昨シーズンのスティーラーズ対ベンガルズの試合前に関係者と歓談するケビン・グリーン氏(AP=共同)

 

 1980年代から90年代にかけて、ラムズ、スティーラーズ、パンサーズなどでプレーし、NFL歴代3位となる160回のQBサックを記録した名LBケビン・グリーン氏が12月21日に、58歳という若さで亡くなった。死因は明らかにされていない。

 

 グリーン氏は、一言でいうなら「キャラの立つ」選手だった。大型OLのブロックを巧みにかわしてQBに襲いかかるテクニックはもちろん、ブロンドの長髪や歯に衣を着せぬ言動、試合後にスタンドにいるタラ夫人に駆け寄って抱擁するパフォーマンスなど、すべてにおいてスターの要素を兼ね備えていた。

 

 筆者が唯一グリーン氏を取材する機会に恵まれたのは、1995年シーズンのスーパーボウルだ。

 当時のグリーン氏はスティーラーズに在籍しており、グレッグ・ロイド、ルフォン・カークランド、チャド・ブラウン、ジェイソン・ギルドンといった強力LB陣の一角をなし、「ブリッツバーグ」と呼ばれたアグレッシブなディフェンスを象徴する選手の一人だった。

 

 印象に残っているのは、カウボーイズに敗れた第30回スーパーボウルの後の記者会見だ。

 この時のグリーン氏はスティーラーズとの契約の最終年にあり、残留を希望する本人の意思とは裏腹に年俸の高騰を嫌う球団側が契約延長を渋っていた。

 試合後の最大の関心事はグリーン氏が残留するか否かであった。それを尋ねられたグリーン氏は、まるでそれが聞こえなかったかのように「次の質問は?」と答えたのだった。

 

 取材する側にとってこれほど不愉快な対応はない。木で鼻をくくるような態度とはまさにこのことだ。

 しかし、不思議なことにその場にはグリーン氏のその回答を容認する空気が流れた。なかなか再延長の条件を提示されないグリーン氏への同情もあったのかもしれないが、それ以上にグリーン氏の持つカリスマ性が周囲を納得させるオーラを放っていたのだと思う。

 新聞記者になって5年目だった筆者は、それまで経験したことのないスターの持つ抗いようのない迫力を感じたのを憶えている。

1986年12月、ドルフィンズのQBダン・マリーノ氏(13)にプレッシャーをかける、ラムズ時代のケビン・グリーン氏(91)(AP=共同)
1986年12月、ドルフィンズのQBダン・マリーノ氏(13)にプレッシャーをかける、ラムズ時代のケビン・グリーン氏(91)(AP=共同)

 

 名選手でありながら一つのチームに長く滞在することはなく、複数のチームを渡り歩いたのも他の選手と一線を画す点だろう。

 ビル・カウアー氏(前スティーラーズHC)やドム・ケイパース氏(初代パンサーズHC)ら、自分が傾倒した指導者に最大の忠誠心を誓うという姿もグリーン氏の一面だった。

 96年にスティーラーズを退団して移籍したのがケイパース氏がHCに就任した新興チームのパンサーズだったこともそれを表すエピソードだ。

 

 引退後は2016年に殿堂入りし、パッカーズやジェッツでコーチを務めた。

 現役時代は「自分はトップクラスのサイズもないし、スピードもない」という自覚に基づき、徹底したスカウティングで相手の弱点を探り出し、それを自分のプレーに生かしていたという。

 

 弱点を克服して実績を残した選手のノウハウは何ものにも優る教科書だ。グリーン氏が指導者として多くの選手を育てたかもしれないと思うと、残念でならない。

生沢 浩 いけざわ・ひろし

名前 :生沢 浩 いけざわ・ひろし

プロフィール:1965年生まれ。上智大卒。英字新聞ジャパンタイムズの運動部長を経て現在は日本社会人アメリカンフットボール協会の事業部広報兼強化部国際戦略担当。大学時代のアメリカンフットボール経験を生かし、フットボールライターとしても活動。NHKーBSや日テレG+でNFL解説者を務める。大学時代のポジションはRB。日本人で初めて「Pro Football Writers of America」の会員となる。

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