【編集後記】Vol.339

関学大アメリカンフットボール部元監督の米田満さんが8月19日、前立腺がんのため、兵庫県宝塚市の老人ホームで亡くなった。92歳だった。
QBとして「甲子園ボウル」で2連覇する原動力となった米田さんは大学卒業後、1年間だけ神戸新聞の記者として活動した。
社会人2年目には関西学院に教員として迎えられ、その後母校の教授、名誉教授も務めた。2004年には殿堂入りしている。
新聞社を離れた後も、神戸新聞やデイリースポーツにアメリカンフットボールに関する文章を寄稿していた。
「ファイターズ」のコーチ、監督としても手腕を発揮。チームを甲子園ボウルの常連校に育て上げた功労者である。
東大アメリカンフットボール部の創部にも貢献した米田さんは、関西学院の建学の精神である「MASTERY FOR SERVICE(奉仕のための練達)」を実践した人だった。
「米田先生」と最後にじっくり話をしたのは、15年ほど前だったと記憶している。
神戸で行われた関学大と日大の定期戦の後に開かれた、両校OBの懇親会の席で「関学にとって日大は常に目標であり特別な存在なのだから、強くないと困るんや」とおっしゃっていた。
言葉の一つ一つに、ライバルへのリスペクトと熱い思いを感じた。
多くの教え子に慕われ尊敬を集めた米田さん。関係者によれば、眠るように穏やかな最期だったそうだ。
ファイターズは来年、創部80周年の節目を迎える。名門チームの礎を築いた名伯楽の冥福を祈りたい。(編集長・宍戸博昭)