【編集後記】Vol.338

アメリカンフットボールの「シニアチーム」の生みの親で、広告界のカリスマ的存在だった岡康道さんが7月31日、死去した。63歳だった。
岡さんは東京都立小石川高校を卒業後、憧れの「京大ギャングスターズ」でのプレーを望んだが受験に失敗。1浪後に進学した早大では、体育会ではなく学内の同好会に入部した。
大手広告代理店には営業職で入社した。社内試験に合格してクリエーティブ部門に移り、その後独立。数々のCMヒット作品を世に送り出した。
「アメフトに関わっている時が、一番楽しい」と話していた岡さんは、50歳をすぎてからアメフトに対する情熱が再びわき上がり、シニアチームの「アンダーフィフティナイナーズ=59歳以下」を立ち上げた。
シニアフットボールはフル装備で対戦するが、キックオフを行わないなど、安全面に配慮したルールが設けられている。
岡さん自身は、膝を痛めて50代半ばで選手を断念し、代表やヘッドコーチとしてチームの運営に携わってきた。
アメフトを、いくつになっても続けられる「生涯スポーツ」にという熱い思いが、岡さんを支えていた。
プロ野球の横浜DeNAベイスターズのファンで、無類のスポーツ好き。
NFLのナンバーワンを決めるスーパーボウルについて語る時、目線はいつも自らがプレーしていたQBで、会食の席では子どものように興奮し細部にわたって論評していた。

その岡さんと最後にやり取りをしたのは6月の下旬。新型コロナではないウイルス性の感染症が癒え、自宅で療養中の時だった。
広告代理店の関係者から訃報が届いたのは、それからわずか1カ月後だった。
「スポーツは、選手としての実績が全てだから」と、大学の体育会出身ではないという理由で、公の場でアメフトについて語ることを避けていた。
しかし、低迷する人気回復の起爆剤になり得る〝秘策〟を、クリエーティブディレクターとして胸に秘めていると明かしてくれたことがある。
それを聞けなかったのが、今となっては残念でならない。
8月15日の「終戦の日」は、岡さんの64回目の誕生日。早すぎる死を、いまだに受け入れられない自分がいる。(編集長・宍戸博昭)