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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

アメリカンフットボールと母校を愛した丹生恭治さんを偲ぶ

2020.8.3 15:19 宍戸 博昭 ししど・ひろあき
関学大―プリンストン大を観戦する丹生恭治さん(左)=2015年3月21日、大阪・キンチョウスタジアム
関学大―プリンストン大を観戦する丹生恭治さん(左)。中央はチャック・ミルズさん、右は中学からの同級生、故鈴木智之さん=2015年3月21日、大阪・キンチョウスタジアム

 

 アメリカンフットボール記者の草分け的存在だった丹生恭治さん(関学大アメリカンフットボール部OB、元共同通信社記者)が7月31日、死去した。86歳だった。

 

 関西学院中学部からタッチフットボールを始めた丹生さんは高等部、大学でも選手として活躍。大学卒業後に東京新聞社に入社し、後に共同通信社に移籍した。

 専門誌「TOUCHDOWN」の編集顧問を長く務め、国内だけでなく本場米国のNFLやカレッジフットボールに精通した記者として、的確な評論には定評があった。

 

 フットボールと母校・関学をこよなく愛した人だった。

 お酒を飲まない丹生さんは、会社の忘年会ではいつも同僚の話をニコニコしながら聞いていた。

 宴会が終わると、旅館の部屋で外電を鞄から取り出し、米カレッジフットボールのカンファレンスごとの勝敗表を嬉しそうに眺め、最新の情報をノートに書き込んでいた。

 

 丹生さんといえば、忘れられないのが1977年の関西学生リーグの関学大と京大の

一戦だ。

 「涙の日生球場」と、今でも語り継がれる歴史に残る激戦である。

 

 11月13日。関学大と京大が、優勝を懸けて対戦したこの試合は、20日に大阪・万博記念競技場で予定されていたが、地元テレビ局が急きょ中継することになり1週間早まった。解説を務めたのが丹生さんだった。

 

 春の対戦は京大が35―0と関学大を圧倒。攻守に人材をそろえた京大有利の前評判通りに試合は推移したが、関学大が29―21で鮮やかな逆転勝ちを収めた。

 後輩たちの劇的な勝利に放送席で絶句し、涙を隠そうとしなかった丹生さんの姿には、深い母校愛がにじんでいた。

大学時代の丹生恭治さん
大学時代の丹生恭治さん

 

 専門誌に寄稿していた連載コラムでは、冷静で確かな視点で読者に旬の話題を提供した。

 「DBの時代」と題した一文では、当時大学2年生だった小欄と関学大の細田泰三さん(故人)を取り上げ「日本のフットボールにも、守備バックが注目される時代が来た」と書いた。

 この記事は大きな励みになり、「記者」という職業を目指すきっかけにもなった。

 

 先輩記者としては、とても怖い存在だった。「お前はそんなことも知らんのか!」と、数え切れないほどの叱責を受けたが、それも丹生さん流の愛情表現だった。

 

 「大好きなフットボールと愛する母校があり、素晴らしい仲間や後輩の皆さんに恵まれた主人は幸せでした」。奥様から頂戴した電話に、胸が熱くなった。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響を考慮して、葬儀はご家族だけで営まれるという。

 直接お別れと感謝の言葉を伝えられないのが、ただただ残念でならない。(宍戸博昭)

宍戸 博昭 ししど・ひろあき

名前 :宍戸 博昭 ししど・ひろあき

プロフィール:1982年共同通信社入社。運動記者として、アトランタ五輪、テニスのウィンブルドン選手権、ボクシングなどスポーツ全般を取材。日本大学時代、「甲子園ボウル」にディフェンスバック、キックオフ、パントリターナーとして3度出場し、2度優勝。日本学生選抜選出。NHK―BSでNFL解説を20年以上務めている。

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