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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

初出場日大の夢砕いた鈴木―西村のTDパス 第10回甲子園ボウル

2018.10.17 15:03 丹生 恭治 にぶ・きょうじ
1955年の第10回甲子園ボウル。日大と対戦した関学はRE西村(11)のTDで同点に追いついた=毎日甲子園ボウル70回の軌跡から
1955年の第10回甲子園ボウル。日大と対戦した関学はRE西村(11)のTDで同点に追いついた=毎日甲子園ボウル70回の軌跡から

 

 1955年(昭和30年)11月23日、のちに日本のフットボール界をけん引する重責を担う日大が、甲子園ボウルの檜舞台に初めて姿を現した。

 この年の5月、単なる親善試合とはいえ王者・関学をぐうの音が出ぬほど押さえつけ、18―6と快勝を収めたのは記憶に新しい。その関学が、再び紺のジャージーに身を包んで真紅の上下の日大を待ち構えていた。

 

 関学はいつも通り、リーグ戦の相手4校に対して平均80点にもなろうかという攻撃力を示した。

 失点の方はこの秋、わずかに7点。リーグ7連覇を果たした。

 日大も立ち上がりの連勝の後、慶大と引き分け、優勝候補筆頭と目されていた立大を19―7と破り、最終戦の法大に快勝して4勝1分けの成績で念願のリーグ戦初優勝を遂げた。この両校が甲子園で初めて顔を合わせたのだった。

 

 日大は立ち上がりから攻守にスピード豊かだった。きびきびとしたプレーで、関学を圧倒したが、中でも竹本君三監督苦心の「アンバランスT」からのテンポの速い攻撃が炸裂した。

 特に先発メンバー唯一の2年生、QBの須山匡が変化に富んだ素早い身のこなしで、攻撃チームをリードして好機を生み出し続けたのは見事としか言いようがなかった。

 先取点も軽やかなフットワークで快走して関学ゴールラインに迫り、エースRB小島秀一の左オフタックルでTDをものにした。TFPにも成功して7―0と先制。

 

 関学もすぐさま反撃、RB大藤努がきれいに穴の開いた左のオフタックルを小気味よいスピードで通り抜け、いきなり55ヤードを快走して6点を返した。

 この大藤のオフタックルは、この日関学が示せた唯一の切り札だったが、日大は小島、筒井真澄両RBの素晴らしい突進力が関学の切り札をしのいでいた上に、QB須山の軽妙な走力が威力を発揮した。

 

 TフォーメーションでQBが要所で走るというのは、今では何の不思議もないが、この当時のように、ランの軸とする考え方はほとんどなかったと言っていい。少なくとも関西では見たことがなかった。慣れるまで時間がかかり、その間どれだけ進まれたことか。

 この後日大は、この須山のランに、小島―RE篠竹幹夫へのパスで関学ゴールに迫り、第2Qに入ってすぐ、RB筒井が中央を突破してTD。続いてパントレシーブでの関学のミスを突いて小島が追加点。20―6と差を広げた。

 この後関学は、自陣35ヤードから再び大藤の左オフタックル独走で差を詰め、勝負を後半へ持ち込んだ。

 

 後半になっても日大の優位は変わらないように見えた。第3Qには関学が連発するミスや反則につけ込んで小島がこの試合3本目のTDを挙げ26―13とした。

 この辺りから関学はようやく立ち直りの兆しを見せ始め、FB芳村昌悦のランとQB鈴木智之の短いパスを軸に反撃、第4Q半ば、芳村の30ヤードの突進で20―26とその差6点にまで迫った。

 

 しかし日大はここからの関学の反撃を落ち着いて防ぎ、試合終了40秒前には関学を陣地奥深くへ追いやることに成功した。小島の絶妙なパントだった。20ヤード地点で止まり、関学の反撃もここまでと見えた。

 ここで鈴木がコールしたプレーは「REのアウト・アンド・ゴー」だった。つまりREがほぼ真っすぐ縦へ出てDBの少し手前で外へ直角にコースを取る。これが「アウト」である。次いでDBを引き付けたまま10ヤードばかり走った後、直角にダウンフィールドへコースを取り直し、あとはひたすらフィールドの奥へ「ゴー」とばかり直進する。このようなロングパスである。

 

 これが一発通れば、もはや間違いなくTDである。しかしこうしたパスは、成功するまでにいくつもの乗り越えねばならない壁があった。

 まずボールを投げ終えるまで、大概のロングパスをしのぐほどの時間がかかる。QBはうかつな場所から球を投げるわけにはいかない。ブロッカーたちが、そのポケットを作れるかどうかが鍵である。

 レシーバーも同様にこまごました約束事を果たさねばならない。投げる方も受ける方も、その能力が正確に計られる。

 

 はなはだうろ覚えだが、当時のフィールドのサイドラインは外野の塀とほぼ平行だった。反対側のサイドラインは内野の2塁ベースのあたりにかかっていた。

 プレーが始まった。センター関本正美がボールを鈴木に渡す。鈴木は思いがけないほどのスピードで一気に10ヤード下がった。鈴木がこれほど忠実にプレーブックの指示通りに、あれほど深く下がったのは、初めてだったという。ポケットに入った鈴木はレシーバーの方向へ顔を向けた。

 縦へ出て、右へ曲がって、さらに左へ向いてRE西村一朗がダウンフィールドへ顔を出したのは、ちょうどこのときだった。

 

 レシーバーがたった一人。本来はDBがいても不思議ではないのだが、西村の周りには誰もいなかった。理由は不明だが、ノーマークだった。
 鈴木の右腕が一閃した。ボールは西村の肩越しに、すっぽりとその手の中へ収まった。西村は関学のレシーバーの中では間違いなく一番足が速かった。ドッ、ドッ、ドッという足音を残してライン際を快走した。

 

 日大の夢はこの瞬間に砕け散った。続くTFPを必死の形相で食い止めたものの、26―26の同点引き分け。両校優勝の言葉は日大の選手たちにとってむなしく響いた。

丹生 恭治 にぶ・きょうじ

名前 :丹生 恭治 にぶ・きょうじ

プロフィール:1934年生まれ。関西学院大学卒業後、東京新聞社で運動記者としてスタートし、1962年に共同通信社へ移籍。著書に、中学時代から関学で親しんだアメリカンフットボール生活を描いた「いざいざいざ」がある。甲子園ボウルには高校時代と合わせて6度優勝。

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