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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

「東の日大」「西の関学」の時代到来

2018.10.3 15:51 丹生 恭治 にぶ・きょうじ

 前回で関西学院の華やかなバックス陣を紹介した。しかし、本当に実力を備え強力な顔ぶれだったのは日本大学である。

 当時はツープラトーンへの移行期だった。攻撃陣と守備陣が分かれていた年と、交代に制限があり選手は攻守ともにプレーする年とがあって、ルールはシーズンごとに揺れ動いた。私たちは両方を体験したが、この年(1955年)は後者だった。

 

 一方の日大だが、高名な選手や誰もが知るフットボール界のスターが集まっていたわけではなかった。

 しかし、鍛え上げた体、スピードを身につけ、攻守ともにバランスが取れた選手がそろっていたのは確かである。

 これには、1940年(昭和15年)の部発足時のチームにバックスとして参加し、卒業後再度学士入学してチームを指導してきた竹本君三の力が大きかった。

 

 竹本は1952年の監督就任後、数多い系列高校から人材を集めて鍛え上げた。その若者たちが今日、関東諸校をリードする礎を日大に築き上げた。

 竹本は4年間、骨身を惜しまず選手を育成し、攻守の理論を練り上げ、さらにヘッドコーチにグレン・マッキーを迎えて理論の構築に真っ向から取り組んだ。

 

 タックルの選手を二人、ラインのどちらかに並べ、攻撃ラインはシングルウイング。バックスはTフォーメーションの「アンバランスT」を作り上げ、日本のフットボール界に旋風を巻き起こしたことは、読者の方々はとうにご承知だろう。
 これに次いで、後の篠竹幹夫監督が「ショットガン攻撃」を作り上げた話は、あらためて日本のフットボール史を一から書き起こすつもりでもなければ、そう簡単にまとめきれるものでもない。

 

 つまりこの頃の日大は、日本のフットボールを根底から揺さぶり、鋭い質問を投げかけ、根本的な回答を迫る存在だったことを、もう少し知ってもいいのではないかと思う。

 竹本は55年に監督の座を1年後輩の小畑重夫に譲り、小畑はその2年後篠竹に後を託し、いよいよ日大黄金時代の始まりとなるが、この辺りの話はまだまだずっと先。つい深掘りしたくなるが、今回は事実をお知らせする程度にとどめたい。

 

 さて、この竹本、小畑時代から日大の戦力上昇を裏付けるものが、関東学連のデータの中に見え隠れするようになる。

 ほかでもない。東西対抗戦、例えばライスボウルや○○周年記念試合などへの出場選手の数である。

 竹本さんの選手集めの成果から、この55年は実に23人もの卒業生を出しているが、それと並んで、この年には選抜チーム出場者が飛躍的に増えている。

 

 戦後すぐライスボウルが始まり、この記念すべき1947年度(昭和23年1月17日)の第1回大会に、日大はFB町田与助、エンド(E)佐藤昭雄を送り出した。

 第2回大会は1軍の先発に名を連ねる選手は出なかったが、49年度の第3回大会にはTとGに平田栄ら2人がスタメンを飾っている。

 

 1年飛んで51年には京都・西京極競技場で、接収解除記念と銘打った全日本学生選抜チームと米軍キャンプ京都選抜とが対戦する試合が行われた。

 この時の加盟校は東西合わせて全9校(東5校、西4校)。そこから30人が選ばれており、日大はバックスの森本祐司が出場した。

 

 翌年51年度のライスボウルからは立大、慶大勢が大半を占め、先発メンバーから日大勢の名が消えた。

 52年度、53年度も情勢は全く変わらず、アメリカンフットボールが日本に紹介されて20年を祝う54年度の後楽園球場でのナイトゲームでT小沢茂が出場。元旦のライスボウルでは先発FBに小島秀一が選出された。

 

 55年度は、春の西宮ボウルの1軍に日大勢の名はなかったものの、元日のライスボウルには、6人の精鋭が1軍に名を連ねた。

 先に述べた日大黄金期がスタートしたわけで、東の日大、西の関学が肩を並べて学生フットボール界に君臨する時代が到来した。

 その結果、これまで西のメンバー発表で関学がやってきたように、1960年のライスボウルでは、東軍もメンバー発表に際して日大単独のチームを編成してゲームに臨んでいる。

丹生 恭治 にぶ・きょうじ

名前 :丹生 恭治 にぶ・きょうじ

プロフィール:1934年生まれ。関西学院大学卒業後、東京新聞社で運動記者としてスタートし、1962年に共同通信社へ移籍。著書に、中学時代から関学で親しんだアメリカンフットボール生活を描いた「いざいざいざ」がある。甲子園ボウルには高校時代と合わせて6度優勝。

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