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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

ありがとう「宮ちゃん」 我が親友に捧げる鎮魂歌

2018.9.20 11:00 中村 多聞 なかむら・たもん
大学時代の「宮ちゃん」こと宮本英浩さん(72番)と筆者(31番)=写真提供・中村多聞さん
大学時代の「宮ちゃん」こと宮本英浩さん(72番)と筆者(31番)=写真提供・中村多聞さん

 

 大学に入学し必修科目を受講する時、40人ほどにクラス分けされた中に、いつもアメリカンフットボールの防具を入れる大きなバッグを担ぎ、ヘルメットを手に持った学生がいました。

 「フットボールのクラブ、この大学にあるんか?」と尋ねると、彼は「あるんやけど部員が10人もおらんねん。お前フットボールわかるんか?」と言われました。

 僕は昔からNFLの選手になることを夢見ていましたが、強いチームのある大学に行けなかったし諦めていました。

 「もし試合ができる人数になったら参加するから声かけてくれ。おそらく誰よりも役に立つぞ」と答えたきり、僕は大学にはあまり行かずアルバイト三昧の日々を送っていました。

 

 翌年、新入部員が入ったとかで10人になりました。「タモンが入れば11人だから試合ができる」と彼が言って来たので、「11人だけでできるか!」と一蹴しました。

 でも好奇心はあるので、1970年代の古い防具が散らかっている部室に行ったりして、だんだんとフットボール部に関わり始めました。

 

 そして3年生になった年から協会に登録し、公式戦出場にこぎつけます。弱いチームですから練習もキツくありませんし、遊びを中心に部員同士の交流が深まります。

 クラスメートでありチームメート、アメフト部の広告のために学内でアメフトの防具を持ち歩いていた彼とはとても気が合い、大学生活がこの上なく楽しいものになりました。このコラムでも度々登場している「宮ちゃん」こと宮本英浩君です。

 

 高校時代からウイスキーをたしなんでいたという宮ちゃんは、僕にお酒の飲み方も教えてくれました。

 たくさん飲んだ翌日に体がしんどいと電話で話すと「それは二日酔い言うんや。便所行ってからシャワー浴びたら治る」といい加減なことを教えてくれました。

 お酒を飲む前に栄養ドリンクを飲んでおけば翌日しんどくならないとか、今までの友人、知人が教えてくれなかったことをいろいろ教えてくれました。

 

 彼氏と彼女のように毎日電話で会話し、大学でもずっと一緒に過ごした一番の友人でした。

 僕のキツい性格がイヤで退部を希望する後輩たちが続出する中、包容力のある宮ちゃんが彼らを説得し部員を減らさない努力は大変そうでした。「またお前のせいで辞めたい言うてきてるやんけ。俺大変なんやぞ!」とよく怒られました。

仲間同士の楽しい思い出。スーツ姿が宮本英浩さん=写真提供・中村多聞さん
仲間同士の楽しい思い出。スーツ姿が宮本英浩さん=写真提供・中村多聞さん

 

 大学を出て僕は東京のチームに行きましたが、相変わらず毎日のように電話で話していました。

 つらい練習を終えてヘトヘトの時に宮ちゃんの上手なしゃべりとジョークにとても癒されました。

 「甲子園ボウルで活躍していた名選手らとどんな練習してるんや。彼らはどれだけすごいんや。うまいか。まだまだかなわへんか。そうか、やっぱりそうやろな」なんて話をいつもしていました。

 

 その後お互いが結婚したり環境が変わっても、ずっと僕のフットボールでの成功を応援してくれ、携帯電話が普及してからの連絡方法はメールなどに変わっていきましたが、時間が合えば酒場に集合するのが習わしでした。

 

 そんな宮ちゃんが、今から8年前の2010年に病気で倒れて手術を受ました。しばらくはリハビリが必要で、元の宮ちゃん流ジョークの切れ味が悪くなっていましたが、1年ほどで完全復帰しました。

 「まあ俺たちも40歳を過ぎて病気だとかいろいろあるね。お互い気をつけないとね」なんて言ってました。

 

 その宮ちゃんが今月半ばに急逝したと連絡が入りました。まだ50歳。最後に会ったのは、去年の甲子園ボウルの前日でした。

 3、4年前に初めてのお子さんができたので、そのお嬢ちゃんと宮ちゃんの3人で酒場に行き「タモンはお父さんのオトモダチ」と教えまくって仲良くなりました。

 僕が終電車で帰る時には「タモンちゃん帰ったらイヤイヤ」まで言ってくれた可愛らしいお嬢ちゃんを残して逝っちゃいました。

 

 100キロの大きな体とドスのきいた野太い声。18歳の時から40歳に見えるイカつい顔で、いつも3人の妹を思いやる兄貴でした。

 時給何百円とかで働く僕を横目に、親父さんの新品のベンツで現れたり、後輩らと宴会するときは常にオゴリ、みんなから信頼される攻守ラインのキャプテン。そんな宮ちゃんのおかげで僕がここまでアメフトを徹底的にやることができました。

 

 プロに受かったときも、自分のことのように喜んでくれました。Xリーグで活躍した時も「お前は俺らの誇りや!」といつも言ってくれました。

 どこかでお酒を飲んでる時に、初対面の人とアメフトの話になったら電話してきて「横の人がタモンのこと知ってる言うてはるぞ。めっちゃ有名やな!」とうれしそうに酔っ払ってました。

 

 その頃を思い出して、泣きながらこれを書いています。泣いても悲しんでも宮ちゃんとはもう遊べないのですが、宮ちゃんと経験したとてつもない量の思い出をずっと忘れないでいたいと思います。宮ちゃんありがとう。

中村 多聞 なかむら・たもん

名前 :中村 多聞 なかむら・たもん

プロフィール:1969年生まれ。幼少期からNFLプレーヤーになることを夢見てアメリカンフットボールを始め、NFLヨーロッパに参戦しワールドボウル優勝を経験。日本ではパワフルな走りを生かして、アサヒ飲料チャレンジャーズの社会人2連覇の原動力となる。2000年シーズンの日本選手権(ライスボウル)では最優秀 選手賞を獲得した。河川敷、大学3部リーグからNFLまで、全てのレベルでプレーした日本でただ一人の選手。現在は東京・西麻布にあるハンバーガーショップ「ゴリゴリバーガー」の代表者。

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