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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

たくましい日大の攻守に完敗 伝統の攻撃力封じられた関学

2018.9.19 12:37 丹生 恭治 にぶ・きょうじ
同大対慶大で行われた第1回甲子園ボウル=昭和22年4月13日
同大対慶大で行われた第1回甲子園ボウル=昭和22年4月13日

 

 1954年(昭和29年)の秋口に我々を苦しめた日大は、その直後に始まった秋のリーグ戦で、初戦の早大には快勝したものの、続く慶大に惜敗。立大には大敗して、優勝の望みは早々と消え失せていた。

 関西のリーグ戦を難なく制した関学は、甲子園ボウルでその立大と対戦することとなった。

 

 予想通りの顔合わせで、大方は立大強しの声が上がっていた。しかし関学は攻守ともに新しい工夫を取り入れ、武田建コーチの指導も実って、15―7で勝利を飾った。

 点差は8点。僅差で厳しい中身の試合だったが、フィールドの中にいた私たちにとっては、むしろ楽に感じたゲームだった。このあたりが観戦者と選手との立場の違いで面白い。

 

 54年は日本でアメリカンフットボールが生まれて21年目である。といっても1934年も押し迫ってからの記念すべき開幕第一線から数えると、こうなるわけで、途中の年は戦争での中断ばかりで、21シーズンを謳うほどゲームが展開されたわけではない。
 ただようやく動き始めた日本のアメリカンフットボールとしては、区切りの年にはそれだけの記録を残しておかなければ、将来につながらくなる危険性が残る。

 

 事実54年と55年には協会創立20周年記念事業として、数多くの催しが行われた。中でもナイター設備を備えたばかりの後楽園球場での、オールスターによる初の夜間試合などはいかにもそれらしいゲームだったし、甲子園、ライスに続く三つ目のボウルゲームとして、また関西初の夜間試合として西宮ボウルが発足した。

 大学、クラブチームを合わせた西日本大会というのも始まっているし、東西対抗戦も普段より多く行われもした。

 

 5月はその東西対抗の盛りだった。関学は5月15日の明大との伝統の定期戦で激しい点の取り合いを演じ、41―20で白星スタート。翌日は法大を西宮球技場に迎えて81―0と大勝した。

 5月24日に行われた3戦目が日大だった。前年の苦戦が思い出されたものの、日程的に見て今年は違うだろうと、たかをくくっていた。

 大認識不足である。私たちは「6―18」と完敗した。

 

 きちんと記録を取っていなければならない試合だったが、関学の3年生に在籍する若者、つまり私は日記帳を前に茫然自失。まるでメモ書きのような言葉を書き残しているだけだった。

 その頼りなさにはあきれ返るほかない。この試合について書き残しているところ(「」内)だけをご紹介する。

 「ショックが私の頭の中を空っぽにしてしまった」
 その結果
 「攻撃振るわず、パスの成功率も低く、いたずらにパントを繰り返すのみ」
 と無意味なセリフを連ねた末
 「パスプレーでいくつか不運が重なり、パント処理にも不手際があって……」苦杯を喫したのだった。

 

 いくら何でもこれだけではどのようなゲームだったのかは、さっぱりわからない。

 後年、中学生から大学を卒業するまでの、私の約8年間のフットボール生活について書き留めたエッセイ集「いざ、いざ、いざ」を出版するに際して、記憶をたどって、覚えている限りの言葉と試合情景の断片をつなぎ合わせてページを埋めたが、恥ずかしながら私個人が所有する「資料」はこれがすべてである。

 

 55年春の最終戦だった。練習試合をたっぷり積んだ末の最後のゲームなら、気分は弾んでいただろう。

 しかしチームのムードは逆だった。気は重かった。つい2日前に、西宮ボウルを終えたばかりで、関学単独チームとしての練習を何ひとつしないまま臨んだ試合だったからである。

 それでも心の片隅には、負けることはあるまい、何とかなるだろうと無責任な気持ちを抱えていたようである。

 ただ秋のシーズンへの重要な資料収集のゲームであることだけは確かだった。

 

 前年、私たちをたっぷりと苦しめたスタミナ豊富で粘り強い日大が、秋を迎えてどんな戦いぶりを見せるか。私たちは関東の各校の実力を的確に把握するには最も適したチームだと考えていた。

 ただその日大が2位、3位どまりではなく秋の関東をあっという間に制覇してしまうとは、この試合前の関学では誰も思い至っていなかった。

 

 卒業の痛手が最も少なく、東のリーグでは立大、慶大に迫る高い評価を受けていることも把握していたし、昨年当たり合ってみて、基本に忠実で真っ向勝負を挑んでくるチームだ、との認識もあった。

 油断さえなければ、そう考えていたが、これが油断だった。

 蒸し暑い日で、午後からは雲が出た。風はほとんどなく前夜の雷雨でたっぷり水を含んだフィールドから、よどんだ空気が立ち上ってきた。

 

 さてゲームである。どのような得点経過をたどったのか。誰が点を取ったのか。こんな肝心なことが何ひとつ残っていないことを心底お詫びする。

 もっとも先取点したのは関学だったようである。「いざ」には楽に得点したと述べられているが、かえってこれがまずかったようだ。

 関学にとって良かったのはこの先取点のあたりだけで、あとは日大の一方的な試合となったらしい。

 

 第2Qに入り、2TDを奪われ、6―12と逆転され、第3QにもTDを追加された。TFPはすべて防いだものの、流れは完全に日大。この前年の試合の話を書いたときに、ランを封じられた屈辱感を述べたが、この試合では間違いなくTDそのものを抑え込まれる悔しさを味わうこととなった。

 

 3TDは9日前の明大定期戦でも相手に許している。だが、攻撃でその失点を楽々と上回って見せた。

 もともと私たちは伝統的に豊かな得点力を誇ってきたチームだったはずである。 

 1948、9年の米田満、井床由夫のコンビに始まり、その翌年の高橋治男、藤井浩月、段中貞三、鈴木博久、徳永義雄、二宮哲夫といった名バックスらの攻撃力は、関学の名を一気に高めたものだ。

 その伝統が、もろくも砕け散った。2TDの12点差。これをどうにもできないまま試合が終わった。

丹生 恭治 にぶ・きょうじ

名前 :丹生 恭治 にぶ・きょうじ

プロフィール:1934年生まれ。関西学院大学卒業後、東京新聞社で運動記者としてスタートし、1962年に共同通信社へ移籍。著書に、中学時代から関学で親しんだアメリカンフットボール生活を描いた「いざいざいざ」がある。甲子園ボウルには高校時代と合わせて6度優勝。

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