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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

予想もしない大苦戦 日大が示した恐るべきタフさ

2018.8.20 11:05 丹生 恭治 にぶ・きょうじ
5月6日に行われた今年の日大―関学大定期戦=東京・アミノバイタルフィールド
5月6日に行われた今年の日大―関学大定期戦=東京・アミノバイタルフィールド

 

 関西学院大学のアメリカンフットボール部にとって、日本大学のアメリカンフットボール部は、常に意識の中にとどめておかねばならない相手だった。

 今年春の定期戦で、日大があのような反則タックルをして、フットボール界の大問題となった後、編集長の宍戸さんから「関学OBとして日大について何か書いてもらえないだろうか」と思いがけない依頼があった。

 

 その時は「ああ、いいですよ」と気軽な返事をしたものの、あれこれ考えてみると予想以上の難問だということが分かった。

 そもそも日大そのものについて、紙と電波から伝わってくる情報以上のものなど何も持っていないことに気がついた。「しまった」と思ったが、後の祭りだった。

 というような次第で「関学OBの目から見た日大」といったテーマに寄りかかって、筆を進めることにした。

 

 日本の大学フットボール界にとって、この両校の対戦は話題に富み、問題を提起し、時代の節目となっていることが多かった。

 一概には言えないが、日大が斬新な攻撃で学生界を風靡し、関学が苦労の挙句その解決策のようなものを提起するといったようなパターンを、これまで幾度繰り返して来たことか。とりわけ1950年代後半に、篠竹幹夫さんが監督に就任してからがその花だった。

 

 急ぎすぎている。最初に戻る。
 私たちが初めて戦った日大は、時期的に見てその直前のチームだった。指導者は1942年ご卒業の竹本君三さん。

 その竹本さんが監督に就任された1952年、日大のイヤーブックによれば、この年のリーグ戦開幕直前に大阪の馬場町のグラウンドで京都大学と第3回の定期戦を行っている。スコアは27―13で「日大の快勝だった」そうだ。

 

 関学高等部3年生の私たちはこの試合を観戦していた。むろん細かいところは覚えていない。ただ、当時のバックスとしては大柄な森本裕司さんが、この日の私たちの話題の中心となった。

 ゆったりとした動作から、バスケットボール用のシューズを履いた足を高々と上げて、滞空時間の長いパントを蹴っておられたのが、きわめて印象的だった。

 

 このときの関西は4校のリーグ戦で関西大学、同志社大学、京大を置いて関学が一歩抜け出し、関東リーグに相手を求め始めた時代だった。

 1949、50年は甲子園ボウルで慶応大学に連勝する上々の出だしだったが早稲田大学、立教大学の「Tフォーメーション」には難儀をしていた。

 その中で、日大は新興チームとしてあくまでも注意しておくべき相手だったが、それ以上の評価があったわけではない。もっともこの馬場町から2年後の日大は選手も大幅に増え、チームに風格も備わってきた。

 

 この試合、どちらから声をかけたのかはわからないが、秋に関西で京大との定期戦を持っていた日大としては、ここでもう一押しと、関学に声をかけたと考えるのが妥当だろう。

 日取りは1954年9月6日午後、場所は西宮球技場。この時の日大はなんと前日の5日に西京極球技場で、誕生したばかりの立命館大学と、次いで定期戦の相手京大と、ダブルヘッダーをしているのだから無謀というかタフというか、驚くべきスタミナだった。

 

 立命大は1953年に誕生したばかりのチームで、この日の試合は今日のような黄金カードではない。

 京大は今日同様しぶとかったが、11人の定員がすぐ割れる「人数に問題」のあるチームで、日大が真っ向から渡り合う相手ではなかった。

 私たちは日大が34―7と快勝した京大戦で、FBの小島秀一さん中心の攻撃力を評価し、京大にやらずもがなのTDを許した2軍の守備を危ぶんだりして、西京極駅前の喫茶店で時を過ごしたことを思い出す。だが、これはとんでもなく甘い判断だった。

 翌日、関学は西宮球技場にこの「難敵」を迎え、基本こそすべてと思い知ったのだった。

 

 一方の日大は2日間で3試合。とてもその前日に2試合を消化したとは思えないタフさを見せた末に、関学を試合終了まで苦しめ抜き、7―25のスコアを残した。

 関学もこの1週間前、8月30日に和歌山合宿を打ち上げ、3日間の休養の後、「甲子園へ向けた練習」を再開したばかりで、6日に組まれたこの試合はあくまでも練習の一環だった。

 どのような試合だったのか、それは次回にもう少し詳細に述べるが、これが今日ある関学と日大の定期戦の始まりだった。

丹生 恭治 にぶ・きょうじ

名前 :丹生 恭治 にぶ・きょうじ

プロフィール:1934年生まれ。関西学院大学卒業後、東京新聞社で運動記者としてスタートし、1962年に共同通信社へ移籍。著書に、中学時代から関学で親しんだアメリカンフットボール生活を描いた「いざいざいざ」がある。甲子園ボウルには高校時代と合わせて6度優勝。

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