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共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

「ザ・キャッチ」のドワイト・クラーク氏が死去 49ersの黄金期支えた名WR

2018.6.12 12:01 生沢 浩 いけざわ・ひろし
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49ersの黄金期を支えた(左から)WRドワイト・クラーク、ビル・ウォルシュ監督、QBジョー・モンタナ(AP=共同)
49ersの黄金期を支えた(左から)WRドワイト・クラーク、ビル・ウォルシュ監督、QBジョー・モンタナ(AP=共同)

 

 どのチームにも語り継がれるプレーというものがあり、それに関わった選手やコーチは時代を超えてファンから愛されるものだ。元49ersのWRドワイト・クラーク氏はまさにそういう人物だった。

 クラーク氏は神経疾患が原因で筋肉の機能低下が起こる筋萎縮性側索硬化症(ALS、通称ルー・ゲーリッグ病)のために死去したと、先週彼の家族が公表した。61歳という若さだった。

 

 クラーク氏と言えば「ザ・キャッチ」である。49ersが初のスーパーボウル出場を決めた、1981年シーズンのカウボーイズとのNFCチャンピオンシップでの決勝TDプレーのことだ。

 

 カウボーイズが27―21でリードして迎えた第4Q残り58秒。49ersはゴール前3ヤードまで進み第3ダウンを迎えていた。

 スナップと同時に右に大きく展開したQBジョー・モンタナがエンドゾーン内で自分と並行して走るクラーク氏にパスを投げる。軌道は身長193センチのクラーク氏をして「高すぎる」と思わせるものだった。

 

 助走の勢いそのままに高くジャンプして両腕をいっぱいに伸ばすクラーク氏。ボールはギリギリのところでクラーク氏の手の中に納まった。

 エキストラポイントのキックも決まって28―27。49ersは劇的な逆転勝ちを収め、2勝12敗のシーズン(当時は1シーズン14試合制)からわずか2年で王座決定戦出場を果たしたのだった。

 

 スーパーボウルではベンガルズを下して初優勝。この優勝はサンフランシスコの街にとってもプロスポーツ初の栄冠だった。

 名将ビル・ウォルシュ監督の下、49ersがここから黄金時代を迎えるのは周知のとおりだ。その幕開けの象徴的なプレーとして「ザ・キャッチ」は知られる。

 

 クラーク氏は1957年にノースカロライナ州で生まれた。

 名門クレムソン大学に進むが、カレッジでは3年間のプレーでわずか33回のパスキャッチ、3TDしか記録していない。

 その彼が10ラウンド目という低さながらモンタナと同じ1979年のドラフトで49ersから指名を受けたのはちょっとした偶然の結果だったらしい。

 

 当時、クレムソン大のQBスティーブ・フラーのドラフト指名を考えていた49ersはトライアウトに招こうと彼に直接電話を入れた。

 しかし、その電話をとったのはフラーとルームメートだったクラーク氏だったのだ。これをきっかけにクラーク氏はフラーのパスのキャッチ役としてトライアウトに招かれることになった。

 

 そのトライアウトでクラーク氏はウォルシュ監督の目に留まる。大きなサイズと俊敏な動きはウォルシュ監督がチームに導入しつつあった「ウエストコーストオフェンス」にピッタリの人材だったのだ。

 結局、フラーは他のチームに指名され、クラーク氏は3巡指名のモンタナと球団史に残るホットラインを形成することになる。

 クラーク氏を一躍有名にした「ザ・キャッチ」も、実は最初のターゲットは彼ではなく、WRフレディー・ソロモンだったという話もある。何がきっかけで人生が変わるか、本当に分からないものだ。

 クラーク氏は引退後、49ersのフロント入りをしGMまで勤め上げた。

引退後は49ersなどのGMとして手腕を発揮したドワイト・クラーク氏(AP=共同)
引退後は49ersなどのGMとして手腕を発揮したドワイト・クラーク氏(AP=共同)

 

 1999年からは新興チームとして復活したブラウンズで4年間手腕を振るった。

 ブラウンズがプレーオフに出場するのを見届けて2002年に退団。ちなみにブラウンズは、これ以降プレーオフの舞台から遠ざかっている。

 

 抜群のルックス、ユーモアのセンスもあったクラーク氏は多くの人に親しまれた。

 ALSが発症した昨年3月以降は公の場に出ることはほとんどなかったそうだが、サンフランシスコ市民に忘れられることはなかった。

 多くのファンがあまりにも早い死を悼むなか、恩師であるウォルシュ監督の待つ天国へと旅立って行った。

生沢 浩 いけざわ・ひろし

名前 :生沢 浩 いけざわ・ひろし

プロフィール:1965年生まれ。上智大卒。1991年にジャパンタイムズ入社。大学時代のアメリカンフットボール経験を生かし、フットボールライターとしても活動。NHKーBSや日テレG+でNFL解説者を務める。「Pro Football Writersof America」会員。

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