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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

我が恩師に捧げる鎮魂歌

2018.6.7 12:42 中村 多聞 なかむら・たもん
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多聞さん(左)が師と慕った板橋秀行さん
多聞さん(左)が師と慕った板橋秀行さん

 

 僕がこのコラムを書かせていただいたり、自分に関係のないボウルゲームで新聞にコメントしたり、一流のチームでコーチをしたりと、フットボール界で活動できるのは、そもそもある人のおかげなのです。

 その人は以前にもこのコラムでご紹介したことのある、僕が中学1年生だった1981年に出会った板橋秀行先生です。

 大阪体育大学でフットボールをプレーされていた板橋先生。僕が中学に入学した時に大学を出て新任だったので同じ「1年生同士」だった方です。

 

 当時でもすでにクラシックカーの仲間入りをしていた360CCのユニークなホンダの屋根にサーフボードを載せ、運転席と助手席には大学時代のユニホームが着せられている、とても学校の先生が通勤に使っているようには見えない車に乗っておられました。

 

 小学生の時からフットボールがやりたくて仕方なかった僕は、この先生に絡みまくってフットボールのことを少しでも習おうと一生懸命でした。

 初めて会うマトモなフットボール経験者ですから当然と言えば当然でしょう。自分はNFLに就職してスターになりたい。そうなるためなら何でもするから教えてほしい。でも、先生の答えは「お前じゃ無理や」でした。

 

 それでも、とにかく必死に頑張っていくにはこの先生と友達になるべきだと察して、気に入ってもらおうと自分の得意技についていろいろと話します。

 基礎スキーを経てこれから競技スキーを始めようと思っている。水球のジュニアオリンピックでは全国優勝した。当然泳ぐのはうまい。スケートボードもできる。オートバイも好きだ。もちろんフットボールでキャッチボールもできる。短距離もマラソンも速いと、フットボールをしていた大人が少しでも関心を持ってくれるような話題で気を引こうとしました。

 

 すると先生はスキーもする、オートバイにも乗ると共通の話題があったのです。それにプラス水球ができることに強く関心を示してくれました。

 話をすれば奥行きも幅もあり自分の世界から考えると豊富な人生経験をお持ちで、いつもワクワクすることばかりを話してくれました。

 

 小学生時代は学校じゃロクな先生に出会えなかったので、あまりにも新鮮で受験勉強は大変だったけど頑張って良かったと思っています。

 私立の学校は、先生までステキなんだと感激してしまいました。高校3年までの6年間通いましたが、この板橋先生だけが特別だったのは言うまでもありません。

 

 中学1年生の秋、体育祭が終わってグラウンドでキャンプファイアーが燃やされる中、高校生主体で「後夜祭」というものが行われていました。

 そこで高校生のお兄さんお姉さんたちにはやし立てられて壇上に乗った板橋先生は、ギターを渡され「何か歌え!」と言われています。

 気の毒にな~と眺めていたら「ほな、うとうたるわ」と言って演奏を始め見事に英語の歌詞で歌い上げたのです。僕は真下から見上げて聞いていました。「この人すごいな!」と感激したものです。

 

 ある時は「おいタモン、ログハウス作るから今度の土日ウチ泊まりに来て手伝え」と来ました。

 ログハウスの意味もわかりませんが、お家に泊めてもらえるならフットボールの話もたくさんできるだろうと意気揚々と出かけました。

 「ログハウスって家って意味か?」「丸太小屋か?」「え、この材料切って重ねて行くん、何じゃそら」。まあ中学生じゃそうなります。

 作業が大変でフットボールの話どころじゃありませんでした。そのログハウスは現在でも整備され改装されてしっかり遊び場として残っているそうです。

 

 中学3年では僕のクラスで副担任となった板橋先生ですが、親を交えた三者面談で呼ばれた時「ウチの家にも遊びに来ている板橋先生と学校でわざわざ何を話すん?」と母親は笑っていました。

 何度目かの三者面談で「ホンマのこと言いますね。タモンは成績も素行も悪いので高校の先生達から嫌われています。転校することをお勧めします。フットボールができる可能性のある進学先を検討しましょう」なんてことにもなりましたが、「フットボールへの愛が残っていれば大学から始めればいいか」と、転校はせずそのまま上の高校に進学しました。

 

 高校ではスポーツをしませんでしたが、16歳になってオートバイの免許を取ってからは板橋先生と一緒にどこかに走りに行ったりと相変わらず友達付き合いをしていました。

 お互いに「さすがにNFLはもう無理やろ」と感じていて、僕のフットボールへの夢はなかったことにしていた時期でした。

 でも当時夢中になっていたオートバイの扱い方や整備や改造の仕方も教えてもらいました。

 学校はもちろん、世間でも高校生のオートバイ接近を厳しく禁止する「三ない運動」全盛の時代でしたからやはり変わった先生と言えます。

 

 高3(18歳)になり車の免許を取りに教習所へ行き始めると「おい、俺今度BMWを買うから今の車を下取り出す。その金額でエエんやったら売ったるぞ」と言われました。

 かっこいいフォルクスワーゲンゴルフです。もちろん欲しい僕は父に頼んでお金を用意してもらい毎月コツコツ3万円ずつ返済していました。

 先生はBMWを買ってさっそうと出勤していましたが「BMWの方が遅いわ、最悪や!」とよくグチを言っていました。

板橋先生の愛車「ハーレーダビッドソン」
板橋先生の愛車「ハーレーダビッドソン」

 

 

 結婚式では仲人を引き受けてもらったり、NFLに行くチャンスが生まれた時も一番喜んでくれました。

 ライスボウルで優勝した時も報告に行きました。僕の成功を喜んでくれると同時に、強烈にヤキモチも焼いていました。「なんでお前ばっかり有名になんねん。ムカつくわ!」と、冗談を言って祝福してくれていました。

 

 先生のオモシロエピソードは35年以上の付き合いですので、いくらでも出てきますが、今回はこれぐらいにしておきます。

 

 フットボールにおいても中学と高校の6年間はもちろん、卒業して僕が大学で始めたときにもしょっちゅう会っていろいろ教えてもらいました。

 人として親として大切なこと、選手として大切なこと、今でも守っている先生からの教えは山ほどあります。そして今指導している選手達にその「教え」を現代風にアレンジして紹介し続けています。

 

 残念ながら僕ほどに根性を決めて「この人の言うことならどんなに変だと感じても絶対に正しいはずだから、とにかく全力でぶつかってやろう!」という選手が多くないので、板橋先生の孫弟子達にはまだ「板橋流」が浸透していませんが、「イタハシ流タモン式」の教えで、これからも一流の選手をドンドンと育てていきます。

 そして先生がどうしても立ちたかった「甲子園ボウルのサイドライン」にもいつかは連れて行きます。だから楽しみに待っといてくださいね。

 

 6月3日の早朝、数年間の闘病生活を経て永眠した12歳上の親友であり、人生とフットボールの師匠は、誰よりもパワフルなタフガイで憧れの存在でした。

 ノジマ相模原ライズの練習開始直前に訃報が入り、大切な練習で集中力を欠いたコーチ多聞はまだまだタフガイになれておりませんでした。ご迷惑をお掛けしたライズの皆さんにはここで謝罪させていただきます。

 

 今はパールボウルトーナメントの真っ最中です。教え子のランニングバックのみんなが活躍できるように、僕も悲しみを乗り越え集中します。

中村 多聞 なかむら・たもん

名前 :中村 多聞 なかむら・たもん

プロフィール:1969年生まれ。幼少期からNFLプレーヤーになることを夢見てアメリカンフットボールを始め、NFLヨーロッパに参戦しワールドボウル優 勝を経験。日本ではパワフルな走りを生かして、アサヒ飲料チャレンジャーズの社会人2連覇の原動力となる。2000年シーズンの日本選手権(ライスボウル)では最優秀 選手賞を獲得した。河川敷、大学3部リーグからNFLまで、全てのレベルでプレーした日本でただ一人の選手。現在は梅田と西麻布でバーガーショップを運営する有限会社 タモンズ代表取締役。。

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