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共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

NFLの名将チャック・ノックス氏が死去

2018.5.15 12:41 生沢 浩 いけざわ・ひろし
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ラムズなどを地区優勝に導いたNFLのかつての名将チャック・ノックス氏(AP=共同)
ラムズなどを地区優勝に導いたNFLのかつての名将チャック・ノックス氏(AP=共同)

 

 「持っている駒で勝負しろ」「言葉じゃない、行動で示せ」「波が荒いと文句を言うな。とにかく船を出せ」

 

 5月12日に86歳で亡くなった元NFLコーチのチャック・ノックス氏の遺した言葉だ。

 ノックス氏は1970年代から90年代半ばにかけてラムズ、ビルズ、シーホークスでHCを務め、そのそれぞれを地区優勝に導いた初めての指導者であり、HCを務めたすべてのチームで年間最優秀コーチ賞を受賞したただ一人の人物だ。

 

 ラムズ時代は5年連続の二けた勝利、3年連続のNFC決勝進出といった功績を残し、1983年から9年間指揮を執ったシーホークスではチーム誕生(1976年)から間もない弱小チームをプレーオフの常連に育て上げた。

 頑固なまでにランプレーにこだわるコーチで、付いたあだ名が「グラウンド・チャック」だ。

 80年代のNFLにパスが流行し始める中でもその方針はぶれず、自分の信じる道を突き進んだ。

 

 冒頭に引用した彼の言葉からもうかがえるように、選手には常に全力のプレーを求めた。弱音を吐くことを嫌い、言い訳する態度を許さなかった。

 その反面、選手に近い立場で行動する人で人望も厚かった。

 

 ラムズで指導を受けた殿堂入りDEのジャック・ヤングブラッドはツイートで「私が殿堂入りできたのは彼のお陰だ。私のNFL生活の序盤で最も影響力のある人物の一人だった。偉大なコーチであったし、それ以上に人として素晴らしかった」と述べている。

 

 ノックスがNFLでのコーチ生活を始めたのは1963年で、AFL時代のジェッツが最初だった。

 後にジェッツをスーパーボウル優勝に導くことになるQBジョー・ネイマスのジェッツ入団の陰にはノックスの影響があったそうだ。

 

 その後ライオンズなどでアシスタントコーチを務めた後、1973年にラムズで初のHC職を務めた。

 77年シーズン後に退団するまでチームはいずれもNFL西地区で優勝した。退団後はすぐにビルズのHCに就任して5年間指揮を執り、故ラルフ・ウィルソン・オーナーと仲たがいする形でシーホークスに移籍した。

 

 就任1年目(1983年)でノックスはシーホークスをチーム史上初のプレーオフとAFC決勝(当時のシーホークスはAFC西地区所属)にまで導いたのだった。

 9年間の在任で計4回のプレーオフ進出は、シーホークス黎明期の黄金時代を築いたと言って過言ではない。

 

 その後1992年にラムズのHCに復帰し、3年間指揮を執った。1994年シーズン後にロサンゼルスからセントルイスへの移転が決まったのと時期を同じくしてHC職を解かれ、それ以降はチームの指揮を執ることはなかった。

 

 厳しい指導方針で典型的な「オールドスクールタイプ」のコーチでありながら、同時にプレーヤーファーストを貫いた人でもあった。

 若い世代のNFLファンにはあまり馴染みがないかもしれないが、彼の名前はラムズ、ビルズ、シーホークスの球団史にしっかりと刻み込まれている。

生沢 浩 いけざわ・ひろし

名前 :生沢 浩 いけざわ・ひろし

プロフィール:1965年生まれ。上智大卒。1991年にジャパンタイムズ入社。大学時代のアメリカンフットボール経験を生かし、フットボールライターとしても活動。NHKーBSや日テレG+でNFL解説者を務める。「Pro Football Writersof America」会員。

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