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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

〈追悼〉日本アメリカンフットボール界の功労者・後藤完夫さんを偲ぶ

2018.4.11 16:55 宍戸 博昭 ししど・ひろあき
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1964年にハワイ遠征した「全日本学生選抜」の一員に選ばれた後藤完夫さん(横断幕の「学生」の文字の上)
1964年にハワイ遠征した「全日本学生選抜」の一員に選ばれた後藤完夫さん(横断幕の「学生」の文字の上)

 

 アメリカンフットボール専門誌「TOUCHDOWN」を創刊し、NFLなどのテレビ中継の解説者としても広くファンに親しまれた後藤完夫さんが4月9日、長い療養期間を経て亡くなった。75歳だった。

 

 「TOUCHDOWN」は、1970年に季刊誌として誕生した。中学生だった当時、横浜にある後藤さんのご自宅から送られてくる雑誌を、心待ちにしていた。

 ページ数は多くなかったが、斬新な内容にワクワクしながら活字を追った。何より、編集者のフットボールに対する深い愛情が伝わってきたからだ。

 

 後藤さんは、東京五輪が開催された1964年に結成された「全日本学生選抜チーム」に、慶応大からただ一人選ばれハワイに渡った。ポジションはRBだった。

 関学大の米田満監督、日大の篠竹幹夫監督の下「JAPAN」のジャージーで本場のチームと対戦した。

 

 大学卒業後に就職した会社を体調を崩して退社。病床でフットボールへの思いを募らせ、その情熱を日本初の専門誌の発行につなげたことはよく知られている。

 米国のフットボール関係者と太いパイプを持ち、米カレッジフットボールの年間最優秀選手に贈られる「ハイズマン・トロフィー」の選考委員に名を連ねていた。

 

 1999年に、シチリア島のパレルモで開催された第1回ワールドカップ(現世界選手権)に、日本は初めて本格的な「日本代表」を編成し大会に送り込んだ。

 

 選手団が現地に到着したとき、後藤さんは既にレンタカーで試合会場をはじめ島のあちこちを視察していた。

 このあふれるバイタリティーこそ後藤さんの真骨頂だった。初代王者に輝いた日本代表の快挙を、子どものように喜んでいた姿が忘れられない。

 

 「佐戸豪人」「ノースサウス」などのペンネームで書かれたコラムは秀逸で、とても勉強になった。

 TOUCHDOWN誌で連載を任された、駆け出し記者のへたくそな記事を褒めてくれた。テレビで解説をしてみないかと声を掛けてくれたのも後藤さんである。

 

 TOUCHDOWN誌は2016年8月に発行された「568号」を最後に休刊になった。

1970年秋に発行された「TOUCHDOWN誌」創刊号の表紙
1970年秋に発行された「TOUCHDOWN誌」創刊号の表紙

 

 568冊のバックナンバーには、編集者と読者それぞれの思いが込められている。復刊を願うファンや関係者の声を、後藤さんは病床でどう受け止めていたのだろうか。

 

 「朝起きたらおはよう、夜寝るときはおやすみなさい。どんなにひどいけんかをしても、この二つを忘れなければきっといい夫婦になれる。なぜなら、私と家内がそうだから」

 結婚披露宴で後藤さんから頂戴した言葉である。

 

 晩年はフラッグフットボールの普及に熱心だった。常に何歩も先を行く人だから敵も多かったけれど、その行動力は誰もが認めるところだろう。

 今となっては叶わないが、存命のうちに殿堂入りを果たしてほしかった。残念である。

 

 後藤さんの多大な功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りします。ありがとうございました。(編集長・宍戸博昭)

宍戸 博昭 ししど・ひろあき

名前 :宍戸 博昭 ししど・ひろあき

プロフィール:1982年共同通信社入社。運動記者として、アトランタ五輪、テニスのウィンブルドン選手権、ボクシングなどスポーツ全般を取材。日本大学時代、「甲子園ボウル」にディフェンスバック、キックオフ、パントリターナーとして3度出場し、2度優勝。日本学生選抜選出。NHK―BSでNFL解説を20年以上務めている。

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