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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

それはボール探しから始まった 自身がつづる「中村多聞物語」①

2013.10.25 9:05 中村 多聞 なかむら・たもん
初めてスキーに挑戦する2歳時の中村多聞さん=1971年
初めてスキーに挑戦する2歳時の中村多聞さん=1971年

 プレーヤーを引退して何年も経った僕のような者が、これほど立派な場所でコラムなど書かせていただいておりますが、そもそも無名弱小大学の出身で、なぜここまで偉そうに振る舞うのかを、年代別で数回に分けて自慢と苦労話を交えて書かせていただこうと思います。これから何かの目標に向かって頑張る方の参考になれば、とてもうれしいです。

 小学校4年生くらい(注1)の時に「フットボール鷹(注2)」を読んでフットボールのカッコ良さに感激していたら、アメリカのニュースを流すテレビでは毛皮を着たスターQB(注3)がオープンカーで葉巻をくわえていました。

 しかし我が国のヤキュウスター(注4)はまだまだ野暮ったく、ヤキュウがうまいこと以外では何も感じなかった記憶があります。この日米スポーツスターを比較した少年時代の僕は、フットボールが圧倒的にカッコ良く見えました。

 そしてたまたまタイミング良く近所に住むアメリカ好きなお兄ちゃん(注5)が「タモン、今からアメリカンフットボールを買いに行くからついて来い!」なんて言って、近所のスポーツ店を巡りまくるけどラグビーボールしか置いてなくて苦労したトコロから始まります。

 お兄ちゃんはメーカーに注文して何日後かに入手しキャッチボール三昧の日々。そうなれば自分も欲しくなり親にねだって淀屋橋の美津濃でライン無しのプロ用ボールを買ってもらい、当時は全面芝生フサフサの西宮球技場の試合会場にボールを持って行き、隅っこで選手気分になりながらキャッチボールを楽しむ週末。社会人チーム近畿コカ・コーラのゲームは観客にコーラを無料でくれるので、欠かさず観戦に行ったことを思い出します。

 大学生選手がとてつもないオッサンに見えたのを思い出します。小学生は入場無料だったのもいい作戦でしたね。

 スポーツではスキーと水泳。スキーでは基礎スキー(注6)はもちろん、回転と大回転(注7)で地方レースなどに出場していました。しかし、アレは過保護な親がガンガン子どもを試合会場に連れ回し用具代や整備代に大金を使わなくては(注8)なかなか勝てないことがわかってきたので、ソコソコでやっていました。

 2歳からやっていた水泳(注9)では浜寺水練学校で水球チームに入団。チームメート(注10)に恵まれ、ジュニアオリンピックで全国優勝の経験があります。水球の練習は結構キツかった記憶があります。水球の基本は競泳と立ち泳ぎ。そして片手でのボール(注11)さばき。ボールを確保して移動することをサッカーと同じく「ドリブル」と呼びますが、ボールをコントロールしておかねばならないので顔を上げたままクロールします。

 速く泳がなくてはならないのに、水の抵抗を受けやすい顔を上げた(注12)姿勢。これがしんどい。フットボールでいうと、ボールを四つ持って走るようなものでしょうか。

 コーチの気合いが入っている日は、この「顔上げダッシュ」を100m×100本という時もありました。計算の速い僕はすぐにわかるのですが、合計10キロですね。1万メートル。50mプールを100往復。120秒で1往復のインターバルですから3時間以上。これを小学生が大会で勝ちたいがために、文句も言わず黙々とやり切るのです。ここにイマドキもユトリも関係ないでしょう。

 目的を達成するためには、考えられることを全てやってもまだ足りないという、「勝者の理屈初級編」を浜寺水練学校で叩き込まれたワケですね。プロのクオーターバックを目指す僕には、ボールを投げる競技で練習が超過酷な水球との出会いはとても幸運でした。

 水泳と水球で体力とガッツを大いに養うことができたと思います。年齢差、体格差、能力差というさまざまな不公平の中で泣こうが落ち込もうが関係なく「金メダル」という目標に向かう厳しさの中にいられたことはラッキーでした。

 こうなってくるとNFLへの“就職”は当然の目標としても、まずはフットボールの名門、関学中学(注13)への進学を熱望し始めます。とりあえずアメリカ文化の基本(注14)であるキリスト教の教会に通わせてもらい、受験勉強も猛烈に始めさせてもらいます。

 関学OB古川明さんの「少年少女アメリカンフットボールスクール」にも通い、楽しくフットボールを習いますが、親に無理矢理やらされている感じの奴ばかりで、張り切っているのが僕だけだったので、つまらなかったという印象があります。

(注1)1970年代終盤、ヒデキのYMCAが流行していた頃

(注2)陽気で小柄な日本人が、気合いと根性と運でNFLのスターになる世界最高のフットボールバイブル。これを100回読んでからフットボールをプレーすることが成功への近道

(注3)ジョー・ネイマスの時代が終わり、テリー・ブラッドショーが活躍する時代

(注4)「4番ファースト王」の時代

(注5)5歳上のアコギ氏。生活圏に誰がいるかで大きく変わる人生

(注6)カタチの美しさを競う採点競技

(注7)赤と青の旗を抜ける速さを競う競技

(注8)用具や環境を整える力もスポーツにおける重要な才能の一つであり不公平は世の常

(注9)泣き散らかす2歳の僕を心を鬼にしてスイミングスクールに連れて行き続けた母のおかげで強い体に育ちました

(注10)中心選手らはその後日本代表や海外プロ選手になるなどの活躍

(注11)水球はゴーリー以外片手しか使えません。ボールキャッチも片手がルールなのでワンハンドキャッチで、目立ちたいウレシガリは水球の練習をしましょう。練習方法教えます

(注12)オリンピックでは顔を上げて泳ぐ自由形の選手いません。なぜなら遅いから

(注13)小学生の僕にとって関学の何から何まで全てがスマートでカッコ良く見えたのは言うまでもありません

(注14)アメリカ文化に慣れ親しまねば、とうてい駄目な世界なのだろうと薄々感づいていた僕の感の鋭さは特筆物ですが、まさかこれほどまで重要な事だとわかった時にはもう手遅れでした

浜寺水練学校の水球チームに所属していた中村多聞さん(前列右)
浜寺水練学校の水球チームに所属していた中村多聞さん(前列右)

アサヒ飲料の攻撃の軸として日本選手権を制したRB中村多聞さん=2000年、東京ドーム
アサヒ飲料の攻撃の軸として日本選手権を制したRB中村多聞さん=2000年、東京ドーム
中村 多聞 なかむら・たもん

名前 :中村 多聞 なかむら・たもん

プロフィール:1969年生まれ。幼少期からNFLプレーヤーになることを夢見てアメリカンフットボールを始め、NFLヨーロッパに参戦しワールドボウル優勝を経験。日本ではパワフルな走りを生かして、アサヒ飲料チャレンジャーズの社会人2連覇の原動力となる。2000年シーズンの日本選手権(ライスボウル)では最優秀 選手賞を獲得した。河川敷、大学3部リーグからNFLまで、全てのレベルでプレーした日本でただ一人の選手。現在は東京・西麻布にあるハンバーガーショップ「ゴリゴリバーガー」の代表者。

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