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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

【米挑戦スタート編①】流れは一気に米国行き 新聞飾った「日本人初!」

2014.4.1 16:11 鈴木 弘子 すずき・ひろこ
トライアウト合格のニュースが各メディアで大きく取り扱われた
トライアウト合格のニュースが各メディアで大きく取り扱われた

 帰国した晩、私は待ち構えていた「レディコング」の選手たちと夜の街に繰り出した。みんなが、我が事のように喜んでくれる姿を見て、いろんなトラブルは私の中ではなかったことになり、トライアウト合格だけがいい思い出として残った。

 朝焼けの中、ご機嫌で実家に帰り、うつらうつらしていると、玄関のチャイムがなった。「宅急便かな?」。母が出るから大丈夫と再度布団にもぐりこむと、母がどたばたと部屋にやって来て、私の〝生存〟を確認し、また階下に降りて行った。

 来客は、近所の人で、インターフォン越しに、「娘さんが新聞に出ている」と言ったらしい。私は母に「アメリカに1週間行って来る」としか告げてなかった。

 実は、母は私がアメフト選手なりたての頃も、ずっとアメフトチームのトレーナーとして練習に参加していると思っていた。

 このトライアウトの時も、スキューバダイビングの添乗で海外に行っているのだと思っていたらしい。近所の人の言葉に「ついにうちの娘が何かやらかしたか!」と思ったに違いない。母は帰宅している私を見て安心し、玄関を開け、新聞を見て、別の意味で驚くことになった。

 新聞の一面を飾る「日本人初!! アメフット女子プロ選手誕生」の見出しの横に私の写真が掲載されていたのだ。母が愕然とするちょうどこのころ、私の携帯にもあちこちからの祝福の電話が入り始めた。

 全国紙、地方紙、スポーツ新聞、たくさんの新聞に掲載され、そして、その隣には、「NFL殺人容疑のルイス、弁護士が無罪を主張」の記事が小さく掲載されていた。

 昨日の夢心地から一気に現実に引き戻された。さて困った、トライアウトに合格したものの、私が受けたのはリーグトライアウトであって、チームのトライアウトでなかったので、所属チームも決まっておらず、それよりなにより、私は本当に行くのかどうかも全く決めていなかった。

 そんな中、新聞の次には週刊誌の取材が入り、続いてテレビやラジオ、月刊誌の取材が入った。みんな一様に「おめでとうございます、今季の目標は?」と聞いてきた。

 小心者の(サービス精神旺盛ともいう)私は、せっかく来てくれた記者さん達を前に「まだ行くかどうか決めていません」とは言いだしづらかった。

 「目標」と聞かれても、所属チームも決まっていないのに、「優勝」というのも変だし、ポジションも決まっていなかったので、「スターターを取ること」っていうのもなんか現実味がない気がして、どっちに転がってもいいように「オールスターゲームに出場すること」というのをとりあえず取材返答用の今季の目標に掲げた。

 しかしこの目標を公にしたことで、私の渡米は急に現実味を帯びてくることになった。ぶっ飛ばして生きてきた私も、既に35歳、少しは分別のあるお年頃になっていたので、「本当にこの道に進んでしまって良いのだろうか?」という気持ちは常に心の中にあったのだと思う。

 「止めてくれないかなあ」なんてちょっとだけ思いながら、所属していた会社の会長を訪ねると、「おめでとう! いつから行くの? みんなで日本から応援していますよ。帰国しても君のポジションを空けておくから、何も心配せずに行ってらっしゃい」ともろ手を挙げて賛成されてしまった。

 そして最後の頼みの綱の母も、たくさんの人から「おめでとう、娘さんすごいね」と言われてしまい、反対することはできなかったようで、結局誰の反対票も得ることはできず、私のアメリカ行きは、当たり前のように現実的なものになっていった。

トライアウト合格のニュースが各メディアで大きく取り扱われた
トライアウト合格のニュースが各メディアで大きく取り扱われた

トライアウト合格のニュースが各メディアで大きく取り扱われた
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トライアウト合格のニュースが各メディアで大きく取り扱われた
トライアウト合格のニュースが各メディアで大きく取り扱われた
鈴木 弘子 すずき・ひろこ

名前 :鈴木 弘子 すずき・ひろこ

プロフィール:女子プロフットボール選手。日本の女子クラブチーム・レディコングでアメリカンフットボールを始め、2000年、米女子プロリーグのトライアウトに合格し、日本人初のプロ選手となる。2012年にはサンディエゴサージでチームを優勝に導いた。

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