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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

スーパーボウルの名付け親 チーフス創始者ラマー・ハント氏

2014.6.19 13:22 生沢 浩 いけざわ・ひろし
練習を見守るカンザスシティー・チーフスのリードHC=(AP=共同)
練習を見守るカンザスシティー・チーフスのリードHC=(AP=共同)

 今回はやや「都市伝説」的な話を。先週のコラムで紹介した、「America’s

 Team」ことダラス・カウボーイズ。このカウボーイズが存在しなければ、スーパーボウルは誕生しなかった!

 カウボーイズが創設されてNFLに参戦したのは1960年だ。これより前に、ダラスにNFLチームを招致しようと働きかけていた人物がいた。のちにカンザスシティー・チーフスの創始者兼オーナーとなるラマー・ハント氏である。

 若い頃からスポーツビジネスを広く展開していたハント氏は、1950年代に急速にファンを獲得し、人気ナンバーワンスポーツであったMLBに追いつく勢いを見せていたNFLに目を付けた。

 そして、自分のビジネスの拠点であり、テキサス州最大のマーケットでもあるダラスにチームを誕生させようと図ったのだ。

 まだシカゴにフランチャイズを置いていたカーディナルスを買収してダラスに移転しようとするが、NFLオーナーたちの反対にあって失敗。NFLがダラスに新チームを誕生させる計画を発表するや、そのオーナー候補に名乗りを挙げるが、カーディナルス買収活動が心証を悪くしたのか、これも失敗に終わる。

 ダラスの新チーム創設の権利はハント氏の石油ビジネスのライバルでもあるクリント・マーチソン氏の手に渡り、カウボーイズが誕生した。

 2度までもNFLチーム所有のチャンスを逸したハント氏は、その悔しさを晴らすべく、財力にものを言わせて新プロフットボールリーグの発足を決意する。

 やはり石油ビジネスで成功を収めていたバド・アダムズ氏(のちのヒューストン・オイラーズ/テネシー・タイタンズのオーナー)らと力を合わせて1960年に設立したのがアメリカンフットボールリーグ(AFL)である。

 ハント氏自身はダラスにテキサンズというチームを創設し、夢をかなえた。しかし、後発のAFLは実力や人気面で既存のNFLにはかなわず、テキサンズもファン獲得に苦心した。

 ダラスでのフットボールビジネスに限界を感じたハント氏は、テキサンズをミズーリ州カンザスシティーに移転させ、チーム名も変えた。現在のチーフスである。

 かつてこのコラムでも紹介したとおり、1960年代後半にはNFLとAFLが合併することで合意し、それを契機に両リーグの優勝チームが王座決定戦、すなわちスーパーボウルを行うこととなったのだ。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」的な話だが、信じるか信じないかはあなた次第だ。

 ちなみに、「スーパーボウル」の名付け親はハント氏である。娘がよく弾むスーパーボールで遊ぶ姿を見て思いついたというのは有名なエピソードだ。

 「ボール」をフットボールスタジアムの形状の象徴である「ボウル」に置き換えたこの名称は第3回大会から使用されている。そして、この第3回大会こそ初めてAFL代表のジェッツがNFL王者のコルツを破った記念すべき大会だった。

 NFLとAFLの合併後はチーフスのオーナーとしてリーグの発展に貢献してきたハント氏が、最後に夢見たものはカンザスシティーでのサンクスギビングデーゲーム開催だった。ところが、NFLでは伝統的にカウボーイズとライオンズの主催試合が行われる決まりで、他のチームが参入する余地はなかった。

 もともと木曜日開催の試合はオーナーや選手、コーチには不評だった。アメリカでは金曜日に高校フットボール、土曜日は大学、日曜日と月曜日はNFLが開催されるという習慣が長く続いている。

 この「棲み分け」があったため、木曜日にプロフットボールを見る習慣はなく、注目度は低いとみられていた。選手たちも日曜日から中3日で試合を行うには体力的に厳しかった。

 しかし、全米放映されるサンクスギビングデーゲームは、ビジネス面ではマーケットを広げるチャンスである。NFLの人気が定着し、マーチャンダイジングによる収入が拡大するにつれて、ハント氏はチーフスが開催するサンクスギビングデーゲームの実現を渇望するようになる。

 何度も提案しては却下されたが、辛抱強く主張を続けるうちに他のオーナーたちも次第にサンクスギビングデーの「うま味」を享有したいと考えるようになった。

 そこで、2試合制だったサンクスギビングデーゲームを3試合に増やし、カウボーイズとライオンズを除く30チームが交代でホームゲームを主催することが決定された。

 第3のサンクスギビングデーゲームが初めて開催されたのが2006年で、その主催権はチーフスに与えられた。ハント氏の長年の貢献にNFLが応えたのだ。

 そして、11月23日にチーフスは地元ファンで真っ赤に染まったアローヘッドスタジアムで同地区ライバルのブロンコスを19―10で破った。

 しかし、悲願かなったこの試合にハント氏の姿はなかった。この直前に体調を崩し入院していたためだ。

 そして、その20日後に帰らぬ人となった。74歳だった。ハント氏の数々の功績をたたえ、現在AFCの優勝トロフィーにはその名前が残っている。

生沢 浩 いけざわ・ひろし

名前 :生沢 浩 いけざわ・ひろし

プロフィール:1965年生まれ。上智大卒。1991年にジャパンタイムズ入社。大学時代のアメリカンフットボール経験を生かし、フットボールライターとしても活動。NHKーBSや日テレG+でNFL解説者を務める。「Pro Football Writersof America」会員。

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