メニュー 閉じる
スポーツ

スポーツ

週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

親子二代でRB ノジマ相模原、東松瑛介選手

2014.6.26 1:18 小西 綾子 こにし・あやこ
日本―フィリピン、MVPに選ばれた日本代表のRB東松=4月26日、アミノバイタルフィールド
日本―フィリピン、MVPに選ばれた日本代表のRB東松=4月26日、アミノバイタルフィールド

 フル代表による来年の世界選手権に向けて、日本代表が始動しました。全てはアメリカ、カナダを倒すために。実力、経験ともに十分というベテラン選手たちの選出をあえて見送り、新しい力をと、若手を中心に選抜された2014日本代表の試合が、4月に2試合行われました。

 その2試合目の「世界選手権アジア地区予選」のフィリピン戦で、MVPに輝いたのは、小柄ながらも持ち味のカットバックとスピードを生かしたランで大きな存在感を示した社会人3年目、日本代表初選出のRB東松瑛介選手(ノジマ相模原ライズ)でした。

 「RB東松」と聞けば、長年のアメフトファンの方であればピンとくるのではないでしょうか? そうです! 東松選手のお父様はシルバースターで活躍された名RBです。

 「僕にとって、幼いころからボールといえば楕円形でした」という東松選手に、幼少時代からのエピソードを聞いてみました。

 ▽保育園時代

 朝起きて保育園に向かうまでの時間は「アメフトタイム」。毎朝1時間ほどお父様の試合のVTRを見るのが日課でした。

 迎えた5歳の誕生日のプレゼントに、自らリクエストしたのはなんと、おしゃぶり型のマウスピース! NFLの試合を見ていて「これが欲しい」と言ったんだとか!

 ▽小学校時代

 アメフト部がなかったためサッカー部に入部しました。東松少年、「まん丸」のボールとの付き合いが始まります。それでもやっぱり興味があるのは「楕円」の方。この頃は帰宅後、お祖母様がキャッチボールにつきあってくれていたそうです。(お祖母様、すごいですね!)

 タッチフットボールチーム「世田谷ブルーサンダース」ができたのは小学6年生のとき。もちろん迷わず入りました。与えられたポジションはRB。「父ちゃんがRBだから。それだけの理由で決められていました」

 ▽高校時代

 日大三高に入学。ですがお父様は同じ東京都のライバル校、佼成学園の先生です。けんかになるから「試合前の家庭内でのアメフト話は禁止!」とは、お母様が決めたルールでした。

 やがて話は大学進学に及びます。お父様からは「大学ではアメフトの西高東低の図式をお前が崩せ」と言われていたそうです。お父様は「東」の日体大出身。自分と同じ大学でプレーしてほしいという思いもあったのでしょうか?

 ですが当時東松選手が見ていたVTRはいつも「西」の立命館大のもの。その様子を見たお父様は「本当はどこにいきたいんだ?」と問いかけます。

 すると東松選手は「立命館大学にいきたい」―。

 高校2年生のクリスマスボウル。お父様に「ここでアピールできなきゃ立命館にはいけないぞ」と言われ臨んだ試合です。日大三高はクリスマスボウルを制覇し、東松選手はこの試合でMVP獲得という大活躍をするのです。

 ▽立命館大学時代

 コーチには岸野公彦氏、4年生には松森俊介選手…。当時の立命館大は、東松選手いわく「RB王国」。あこがれだったパンサーズです。ですが、このころから東松選手はけがに悩まされることが多くなります。

 U―19日本代表はけがのためセレクションすら受けることができませんでした。一方で同期のRB北川瞬選手はU―19世界選手権日本代表に選出されました。

 切磋琢磨している仲間が日の丸を背負ってプレーしたことは、「悔しいといってもそれはけがをした自分に対する悔しさであって、むしろけがをしなければ自分も代表にいけたかもしれない、と励みになっていました」。

 東松選手は大学卒業後ノジマ相模原ライズに入団し、3年目を迎えました。

 楕円形のボールに初めて触れてから20年以上。ようやく日本代表の座をつかみ、一つ結果を残しました。

 次回は東松選手の今、そしてこれからについて書きたいと思います。(つづく)

小西 綾子 こにし・あやこ

名前 :小西 綾子 こにし・あやこ

プロフィール:国内アメリカンフットボール中継のリポーター、インタビュアー。大阪・豊中高時代のアメフット部マネジャーの経験を活かし、2007年シーズ ンから国内の試合を取材。08年シーズンからスカイAsports+で「小西綾子のホットサイドライン」を連載している。

最新記事