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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

日本人初のラッシング記録 自身が綴る中村多聞物語36

2015.7.24 12:15 中村 多聞 なかむら・たもん
遠征先でファンと交流する多聞さん
遠征先でファンと交流する多聞さん

 盛り上がった世界選手権も閉幕し、我々ファンも普段の生活に戻りました。で、僕がお店に立っていて、お客様からよく質問されることがあります。

 それは「アメリカのレベルってどんなの?」「NFLヨーロッパってどんなレベルなの?」「NFLはどうだった?」「NFLに日本人はいつ入れるの?」という、アメリカ人のプロはどのようなレベルなのか、日本の選手とどの程度の差があるのか、という内容です。

 この場合、残念ながら「絶望的な差がありますよ」と答えています。ただし、日本人(や東洋人)という人種や体躯の強さ大きさが絶望的なワケではありません。オリンピックなどの世界大会で通用している人は沢山存在していますし、プロスポーツの選手もかなりのものです。

 彼ら全てがフットボールを愛し、楽しみ、NFLでの活躍が家族全員の夢であり目標なのだ! となれば、NFLとの契約どころか大活躍する日本人も大勢出て来ることは間違いありません。

 それは野球界が証明しています。大型の人間同士がコンタクトするスポーツなので野球よりは大幅に分が悪いという考え方も成り立ちますが。

 しかし、悲しいかな日本のフットボール界は中学より高校、高校より大学の方がチーム数が多いという逆三角形のピラミッド。若年時から他のスポーツに人員を取られ過ぎており、それらを何らかの理由で辞めた人や運動未経験者が多く集まる仕組みです。

 これでは弱肉強食の理屈がイマイチ成り立たず、トップ層での競争はほとんどないのが正直なところです。ですからライバルが少ないので上級者は無敵となりつつも伸び悩み、井の中の蛙となってしまいます。今回のようなアメリカ人との対決ぐらいしか自身を奮い立たせてくれるゲームも目標もなく、結局歳を取り引退していくのです。

 このような寂しい状態の業界で、たとえトップ選手だろうと「アメリカ人の夢と誇りと文化」が詰まりまくったNFLに潜り込むのは容易ではありません。

 世界選手権でプレーした日本選手が、アマチュアを寄せ集めたアメリカ人チームとの試合で体力的に猛威を振るった、大和魂でアメリカ人を震え上がらせた、スピードで目立ちまくっていた、というような場面はほとんど見ることができませんでした。そんな日本を一蹴した彼らでも、NFLには相手にすらされていないのが実情です。

 ならばどうすればいいのか。 「スポーツのレベルはその国の人気と正比例する」という偉い人が出した方程式に則り、人気スポーツにしていく努力が必要です。コレを読んでおられるようなフットボールがお好きな方々が率先して、生活のあらゆる場面でフットボール愛を表現し続けることが、まず誰でもできることだと思います。

 「巨大なスポンサーを見つけて100億円出してもらおう」だとか「総理大臣になってフットボール以外のスポーツを法律で禁止にしよう」「主人公はフットボール選手という人気ドラマを!」と言う寝ぼけた夢がかなう確率は極めて0%に近いわけです。

 そのために、古き良きフットボールを思い出し、自分たちに素敵な体験や仲間を作ってくれたフットボールに恩返しを、という思いで関学OBのホリコ氏がSNS上に「日本アメフト復興会議」というものを作られました。

 こちらの働きで大学OB対抗のフラッグ大会が大盛り上がりしています。今は単なる大同窓会ではありますが、皆さんがフットボールを思い出し家族や友人に「昔フットボールをしていたんだ」と思い出させているのです。これも人気スポーツになるための大きな一歩です。

 6000人以上の会員全員が、いつもフットボールのグッズを一つは身につけ、1日に1度は必ずフットボールの話をする。

 今はそれしかできないかもですが、小さな啓蒙活動はフットボール愛に満ちあふれた人にどうか継続してもらいたいですね。ちなみに僕は大学時代からずーっと派手な啓蒙活動を継続しています。

 そうする事で、逆三角形のピラミッドが正しい形に変化していくはずです。かつて自分が大きなチャンスを目前にしていながら、逃してしまった魚はとても大きなものでした。

 そんな僕がNFLヨーロッパで日本人初のラッシングを記録する日が来ます。このファーストステップから、まだ日本は2歩目を踏み出せていないのではないのかな、と感じています。

 「タモンがその時にNFLへ行けなかったからやろが!」というご意見もわかるのですが、僕ではとても無理な世界だと感じていました。確かにランニングバックとしては最も近いかもしれませんが、月に行くためには最高のロケットが必要なのに、垂直跳びの高さを競っていてはどうにもなりませんでした。

 1998年4月11日(土)(Week2 at London)

 ゲームデー。ホテルからバスに乗って15分ほどで会場に到着。フィールドの周りに陸上のトラックがなく、観客席が非常に近い設計。西宮球技場やエキスポ、関東なら駒沢第2のような球技専用場です。もちろんサッカー用の。しかし、今回は対ロンドン・モナークス用の練習で一切スクリメージに入れてもらえず、出場の見込みなし。キッキングのみに集中するしかない状況でした。

 しかし試合終盤にまさかまさかで名前を呼ばれ、ニヤついてハドルに。チームメートも「ウヒヒヒー、ファンブルとかすんなよー」という半笑いの目で僕とアイコンタクト。そしてインサイドゾーンでボールをキャリー。3回連続でキャリーしファーストダウンを取り、もう1プレー。自分だけしかわからないけど、日本記録樹立。4回11ヤード。

 しかしザコなので、Play by Playの集計ではアメリカ人選手と間違われているところがありました。そして遥か海を越えたロンドンまで、ドイツからファンクラブのみなさんも大勢いらしていて、出待ちしてくださっていました。

 「ナイスランだったよー」「よかったねー」なんて大勢のファンに寄ってきていただき、感激でした。試合後はそのまま解散で、コーチや選手たちと一緒にいろんなBARをはしごし、行く先々でライン・ファイアーのファンクラブ(ファンクラブはいくつもあり、それぞれにチーム名がある)が宴会していて、大歓迎を受け、ビールが自動的に手渡され(タダ!)ます。

 せっかくのロンドンですが、アメリカ人選手とドイツ人ファンに囲まれバドワイザーを飲むといういつも通りの夜となりました。

 円からドルに、そしてそれをマルクに、マルクをポンドに両替をしているので、メニューを見ても日本円でいくらなのかが全くわからない上に、硬貨やお札もどういう順番なのかもわからないままベロベロに酔うて「ロンドンタクシー」なるものに乗ってホテルに帰りました。初遠征は、こんな感じで無事に終わりました。

中村 多聞 なかむら・たもん

名前 :中村 多聞 なかむら・たもん

プロフィール:1969年生まれ。幼少期からNFLプレーヤーになることを夢見てアメリカンフットボールを始め、NFLヨーロッパに参戦しワールドボウル優勝を経験。日本ではパワフルな走りを生かして、アサヒ飲料チャレンジャーズの社会人2連覇の原動力となる。2000年シーズンの日本選手権(ライスボウル)では最優秀 選手賞を獲得した。河川敷、大学3部リーグからNFLまで、全てのレベルでプレーした日本でただ一人の選手。現在は東京・西麻布にあるハンバーガーショップ「ゴリゴリバーガー」の代表者。

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