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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

移籍先は京大OB中心の若いチーム 自身が綴る中村多聞物語55

2017.3.2 10:37 中村 多聞 なかむら・たもん
多聞さん(左)が師と仰ぐ藤田智富士通ヘッドコーチ=写真提供・中村多聞さん
多聞さん(左)が師と仰ぐ藤田智富士通ヘッドコーチ=写真提供・中村多聞さん

 アサヒ飲料チャレンジャーズの藤田智ヘッドコーチ(HC)からは、会ってすぐに電話があり「今週末に練習の見学に来ませんか」となり、さっそく西宮市のグラウンドに行きました。

 この頃は現在の尼崎市にあるグラウンドではなく、西宮スタジアムにほど近いアサヒビール工場内の駐車場に盛土をして急造された土のグラウンドでした。

 ミーティングルームはなくウエートルームの隅っこを使い、小さなテレビをみんなで囲んで何度も何度も再録画して擦り切れる寸前のVHSテープを巻き戻しながら練習のビデオを見ていました。

 ライスボウル制覇を目指すチームの設備としてはかなり劣悪です。その点、サンスターのグラウンドは充実したファイニーズ専用の天然芝フィールドで、クラブハウスやシャワールーム、ロッカー用倉庫や駐車場も完備していました。

 ナイター照明もあったので練習のない平日の夜に走ることも可能でした。しかし! アサヒ飲料のグラウンドやその他の設備はアサヒビールから土日だけ借りているだけなので、平日にトレーニングをしたり走ったりもできません。プロを経験して図に乗っている僕としてはとても衝撃的なことでした。

 選手たちはとても若く、29歳だった僕は藤田HCよりも年上で最年長のDB斎木基さん(大阪体育大学OB)の次に年長者だったのです。

 所帯を持っている選手もごくわずかで、子供のいる選手もほとんどいませんでした。大学を出たばかりの人たちばかりの若い若いチームだったのです。

 学生時代にライスボウルで最優秀選手に選ばれNFLヨーロッパに行った阿部拓朗選手(京都大学OB)、ライスボウルで勝利と敗北の両方を体験した選手、甲子園ボウルで敗れた選手、甲子園ボウルを目指したがかなわなかった選手、大学の2部、3部や地方リーグ出身者、いろんなレベルのいろんなジャンルの若者たちが「アサヒ飲料チャレンジャーズをなめている他のチームに一泡吹かせたれ!」という思いで一心不乱に練習していました。

 当時のキャプテンは「機動戦士」ことDB内田良平選手です。京都大学OBらしい無骨でクレバーでミーンなプレースタイル。そして圧倒的な熱意で未成熟な社会人チームを引っ張っていました。

 後に医師となり、ドクターとしてチャレンジャーズに帰ってきた異色の人です。

 僕の顔見せも終わり、アサヒ飲料側も僕のことが好きではなかった人を説得できたようで、無事に迎え入れてもらうことになりました。浪人したのはたった3日間。幸運でした。

 翌週からは防具を持って練習に参加しました。カミソリのような小石ばかりの恐ろしい土のグラウンドで練習をするのは数年ぶりです。

 タックルありで練習するので、コケると肘をひどくすりむいて血だらけになる時代です。スクリメージプレー毎に砂埃が舞い、コンタクトレンズ派には大変な時間だったのを思い出します。

 当時はクラブ間の移籍はまだ珍しく、同地区内で前年度のファイナル6出場チームからNFLヨーロッパ経験者が放出されるというのは前代未聞でした。タッチダウン誌に「タモン電撃移籍」という記事が載りました。

 前年度(1997年)のアサヒビール飲料ワイルドジョー時代から、山崎博前監督(関西学院大学OB)がコツコツと守備選手を集めておられたので層は厚くハイクオリティー。内田良平、阿部拓朗両選手に加え上田拓、東前圭選手ら強い京都大学の主軸を担った猛者が大勢在籍していました。

 上田拓選手はこの後チャレンジャーズで守備コーディネーターを長年務め、現在はIBMのコーチをしています。

 東前圭選手は現在立命館宇治高校で監督として実績を残しています。この「上田、東前」のLBコンビは、体格には恵まれていませんでしたが、業界トップのインテリジェンスと古き良きギャングスターズらしい「PLAY HARD」をやり切る典型のプレーヤーでした。

 そして何と言っても守備の要は強烈なタックルがそのままニックネームとなった「串刺しシンゾー」です。関西学院大学OBのご存知「山田晋三(現IBMヘッドコーチ)」です。

 当時はまだ若く細い体ではありましたが、リーグを代表する選手であり、前週のコラムに書いた「フィンランド戦」にも日本代表として参加していました。

 「ドリームディフェンス」という異名を取るほど人材の宝庫。しかし攻撃がイマイチかみ合わず、前年度はDiv・2との入れ替え戦に出場しました。

 ここにK/P/QBの「和製スラッシュ」田中重光選手(京都大学OB)が藤田HCとともに入部。ライスボウルを2度経験したQBです。

 そして前年度は他チームでのホケツながらNFLを体験した僕が加入。チーム内には京都大学時代に藤田HCがしごいてきた京都大学OBもたくさんいます。

 「これは、もしかしたら強くなるんちゃうの」と僕はもちろん、日本のフットボールファンの多くが期待したに違いありません。

 つづく

中村 多聞 なかむら・たもん

名前 :中村 多聞 なかむら・たもん

プロフィール:1969年生まれ。幼少期からNFLプレーヤーになることを夢見てアメリカンフットボールを始め、NFLヨーロッパに参戦しワールドボウル優勝を経験。日本ではパワフルな走りを生かして、アサヒ飲料チャレンジャーズの社会人2連覇の原動力となる。2000年シーズンの日本選手権(ライスボウル)では最優秀 選手賞を獲得した。河川敷、大学3部リーグからNFLまで、全てのレベルでプレーした日本でただ一人の選手。現在は東京・西麻布にあるハンバーガーショップ「ゴリゴリバーガー」の代表者。

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