メニュー 閉じる メニュー
スポーツ

スポーツ

週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

欲しかった「リーディングラッシャー」のタイトル 自身が綴る中村多聞物語60

2017.4.13 11:55 中村 多聞 なかむら・たもん
1998年11月1日、リーグ戦でキックオフリターンTDを記録した多聞さん(27)=写真提供・中村多聞さん
1998年11月1日、リーグ戦でキックオフリターンTDを記録した多聞さん(27)=写真提供・中村多聞さん

 1998年11月1日。秋リーグ最終戦は井内盛栄堂ブラックイーグルス(現アズワン)との対戦です。

 すでに前節の勝利でウエスト地区優勝を決めているアサヒ飲料は、先発QBを2軍選手にしてプレーオフに備えました。

 けがのリスクを避けるのと、2軍の経験値を上げておくというチームの方針です。僕はこの日もスターティングメンバーになり、とても張り切っています。

 というのも、Xリーグの「リーディングラッシャー」に手が届く位置にいたからです。あともう少しだけヤードを稼げば確実にとれそうです。

 そうなるとDiv.1でのしっかりしたトロフィーを初めて手にするのです。まだ名の売れていないランニングバックにとって「リーディングラッシャー賞」は何が何でも手にしたいトロフィーです。

 日本の歌手なら「レコード大賞」、海外の歌手なら「グラミー賞」といった具合に絶対に一度はとってみたい物なのです。

 それがもう目の前にあるのです。うれしがりで目立ちたがり、有名になりたい欲が強烈にある僕は当然欲しくてたまりません。

 試合は順調な滑り出しです。ボールを持てばサササーっとゲインします。「この調子だと100ヤード以上稼げる。頑張るでー! リーディングラッシャーはもらったー!」って感じです。

 ランニングバックは3人で交代出場です。1回ボールを持つと交代して次の出番を待ちます。僕は1クオーターのうちに短い距離のタッチダウンを取りました。

 そうこうしていると、藤田ヘッドコーチ(HC)がサイドラインに戻って来てニヤニヤしている僕を呼びます。「おい、調子になるなよボケ!」というお叱りを受けちゃうに違いない、あーバツが悪いな…なんて考えていたら全然違いました。

 「おいタモン、リーディングラッシャー欲しいんか?」なんて聞いてきます。「何言ってんのこの人。京都大学出てるのに?」。先ほども書いたように僕らにとっては「レコード大賞」であり「グラミー賞」なのです。欲しくないわけがありません。

 でもなぜそんなことを聞くのかとよく考えると、「普段試合に出ていない選手を出す」「プレーオフに向けて1軍選手がけがをしないように」ということなんですね。

 僕はけがをする心配などありませんが、試合に出ていない選手を僕の欲だけでベンチに座らせておくことはできません。そこで、藤田HCに僕はこう返事します。「いえ、いりません!」―。

 「よしわかった!」と藤田HC。「あー、なんでー、ひどい! いらんわけないやん!」。これは僕の心の叫びです。

 初めて藤田HCにウソをつきました。本当はあと数十ヤード稼いでから温存されたかったんです。で、結局ここから交代してしまいこの日は5回で32ヤード1TD。これがまだ第1クオーターのことです。試合が始まってまだ30分も経っていない時間帯でした。

 ムズムズしたまま戦況を見つめるも、前半で27―0と圧勝ムード。そして第3クオーターが始まるのですが、後半はアサヒ飲料がリターンから。忘れていました。僕はキックオフリターナーなので試合に出ねばなりません。

 この日はまだ一度もやっていないキックオフリターンチームですから、いきなり2軍を出すというプランはありません。30分以上気を抜いて体も動かさず、ボヤーっとベンチにいた僕は危うく防具を外してしまうところでした。

 いつも通りフィールドの中央で円陣を組み、リターンの作戦を決め各ポジションに散ります。そしてなぜか僕の方にボールが飛んで来ました。しかもエンドゾーンの少し手前まで。

 「蹴りすぎやねん」なんて思いながらボールをキャッチした僕は、一度中央に向かうフリをして右に進路変更、一切減速せずに敵と味方の間を駆け抜けます。

 すると前方に相手の選手が全くいなくなってしまったのです。これはもしかして! そうです、キックオフリターンTDのチャンスです。

 公式戦に出場し始めてちょうど10年目のシーズン最終戦。初めてのリターンTDです。喜びまくってベンチに戻った僕は急に運動してびっくりしている心臓が破裂しそうで大変だったので、隅っこで大の字に寝転んでいました。

 すると、藤HCが「おい、どないしてん?」と心配して叫んでいます。「いえ、何でもありません!」と跳ね起きたことは言うまでもありません。

 「アンタが第1クオーターで俺をへこまして、急に動いたからしんどいだけじゃ!」なんて言えるわけもありませんので、息を飲んでグッと耐えました。

 そんな感じで全勝優勝を決め、僕はXリーグ全体のリーディングラッシャーは逃しましたがウエスト地区では「イチバン」の記録となったので少しは満足できました。

 さあ、次はまだ決まっていませんが関東のチームも参戦するプレーオフです。快進撃を続けたアサヒ飲料がどれだけ戦えるのか。

 NFLで成長した僕はどこまでやれるのか。ワクワクしますが不安もいっぱいです。そして私生活も一変するのでした。

中村 多聞 なかむら・たもん

名前 :中村 多聞 なかむら・たもん

プロフィール:1969年生まれ。幼少期からNFLプレーヤーになることを夢見てアメリカンフットボールを始め、NFLヨーロッパに参戦しワールドボウル優勝を経験。日本ではパワフルな走りを生かして、アサヒ飲料チャレンジャーズの社会人2連覇の原動力となる。2000年シーズンの日本選手権(ライスボウル)では最優秀 選手賞を獲得した。河川敷、大学3部リーグからNFLまで、全てのレベルでプレーした日本でただ一人の選手。現在は東京・西麻布にあるハンバーガーショップ「ゴリゴリバーガー」の代表者。

最新記事