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週刊TURNOVER

共同通信社が運営するアメリカンフットボール専門のウェブマガジン。国内外のフットボールを紹介するベテラン記者のコラムや、国内注目試合の見どころやリポートなどを毎週掲載する。監修は共同通信記者で、NFLの解説者でもある宍戸博昭。

【編集長の独り言】=「名DBイーズリー氏が殿堂入り」

2017.8.8 12:00
NFLの殿堂入りを果たした元シーホークスの名DBケニー・イーズリー氏(AP=共同)
NFLの殿堂入りを果たした元シーホークスの名DBケニー・イーズリー氏(AP=共同)

 8月5日にオハイオ州カントンで開かれたNFLの殿堂入り式典に出席した7人の中に、とても気になる名前があった。ケニー・イーズリー氏、58歳。

 守備のストロングセーフティー(SS)として活躍したイーズリー氏は、1981年にUCLAからドラフト1位でシーホークス入り。代名詞の「ハードヒット」を武器に、5度プロボウルに出場、オールプロの1軍には4度選ばれた。

 腎臓の病気で87年シーズンを最後に引退。30年後の殿堂入りとなった。

 過去にも候補になったが、7年という短い実働年数がマイナス要素になっていたようで、本人もスピーチでそのことに触れている。

 イーズリー氏が、日本のファンに強烈なインパクトをもたらしたのは80年11月、「ミラージュボウル」で来日したときだろう。

 オレゴン州立大との試合は旧国立競技場で行われた。191センチ、105キロの大型SSのダイナミックなプレースタイルは、それまでのDBのイメージを一新した。

 イーズリー氏のプレーを、この2カ月前の9月に見る機会があった。場所はオハイオ州コロンバスのオハイオ州立大のスタジアムである。

 この年「バッカイズ」は、ホームでの開幕戦に「ブルーインズ」を迎えた。たまたま当地にホームステイしていたので、この試合を現地で観戦する幸運に恵まれた。

 イーズリー氏の名声は、中西部の地方都市にもとどろいていた。いわば「おらが町の誉れ」にとって最も危険な選手。スタンドからは激しいブーイングが浴びせられた。

 試合の前半だったと記憶している。イーズリー氏がサイドラインを飛び出し、勢い余ってカメラマンと接触した。

 先に突き飛ばしたカメラマン氏にイーズリー氏が過剰に反応し、スタジアムは一気に険悪なムードになった。結局イーズリー氏は退場になった。

 翌日のコロンバスの新聞の見出しは「Easley Violence」。感情をコントロールできなかったことを悔いたスーパースターは、2カ月後に東京でファンを魅了する。

 手首から肘にかけてテーピングを施すスタイルは、当時日本の選手の間でも流行した。

 3年連続でオールアメリカに選出されたイーズリー氏が、大学時代に付けていたナンバー「5」は、UCLAの永久欠番になっている。(宍戸博昭)

1984年1月のレイダーズ戦でタックルするケニー・イーズリー氏(AP=共同)
1984年1月のレイダーズ戦でタックルするケニー・イーズリー氏(AP=共同)

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