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山への道、御所の中から 幼い日の思いが原点に 【陛下の峰々①】

2019.9.19 14:00 共同通信
浅間山5合目付近での上皇さまと天皇陛下=1966年8月
浅間山5合目付近での上皇さまと天皇陛下=1966年8月

 

 天皇陛下は「岳人」だ。幼い頃から登山に魅了され、これまでの山行回数は170回にも及ぶ。何時間もの忍耐の末に得られる爽快感や達成感。登山がもたらしてくれる多くのものは、陛下の人格形成に大きな影響をもたらしたに違いない。山で会う人々は「たまたまそこにいた人」であり、町で出迎える人々よりも「普通の国民」に近い。陛下が国内各地を巡り、国民との「親しみ」を身につける素地ともなった美しい山の世界を紹介したい。(共同通信社会部編集委員=大木賢一)

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 学習院初等科1年生の時、天皇陛下は学校の先生に「富士山が見えますよ」と言われ、友だちと一緒に校舎の屋上に上がられた。

 国立競技場の照明塔近くに、富士山が雲のように白く浮かび上がっていた。それを見て心を弾ませた陛下は作文に「ぼく、あんまりうれしかったので、おくじょうから、おっこちそうになりました」と書いた。

 「外に出たくともままならない私の立場では、道を通ることにより、知らない世界に旅立つことができた」。陛下は1993年、幼少時代を振り返り、著書でこう書いたことがある。

 ここで言う「道」というのは、塀に囲まれた東京・赤坂御用地で偶然見つけた古い街道の跡のことだ。この道の先には一体何があるのだろう。閉ざされた世界で育つことを強いられた幼い日の陛下は、想像の世界で塀の外へと飛び立ったのだろう。

 やがてその「道」は、「山」へと続く登山道となった。陛下の初登山は、わずか5歳のときだ。場所は長野・軽井沢の離山。父と共に立った標高1200㍍ほどの頂上が、陛下の人生を貫く柱の一つである登山の始まりとなった。

 軽井沢は毎夏に家族で訪れ、周辺で登山を重ねた。5歳で小浅間山(1655㍍)、6歳で浅間山(2568㍍)の頂上に立った。火口をのぞき込み、硫黄のにおいにびっくりした。7歳の夏には、早くも3千㍍峰の頂に。長野県の乗鞍岳(3026㍍)で1500人もの人々が出迎えた。将来の天皇として行く先々で一挙手一投足が注目される存在だった。

奇岩が連なる燕岳の山頂=2010年10月
奇岩が連なる燕岳の山頂=2010年10月

 

 奇岩で知られる北アルプスの燕岳(2763㍍)に登ったのは中1の夏。砂地に咲く小さく可憐な高山植物コマクサの群生を目にしたかもしれない。

 山頂の見晴らしは良く、北アルプスの盟主とも呼ばれる槍ケ岳(3180㍍)や穂高連峰を一望することができた。雲上にどこまでも広がる山々の世界は、圧倒的な美しさとして少年の心に焼き付いたに違いない。

燕岳付近の稜線(りょうせん)から見た槍ケ岳。左は穂高連峰=2016年8月(山岳図書編集者中村珠美氏撮影)
燕岳付近の稜線(りょうせん)から見た槍ケ岳。左は穂高連峰=2016年8月(山岳図書編集者中村珠美氏撮影)

 

 頂上近くの山小屋「燕山荘」の主人の赤沼健至さん(68)は大学生だったが、小屋でアルバイトをしていた。当時のことを鮮明に覚えているという。「陛下はしっかりとした足取りで登ってこられた。一緒に来た学校の友人たちがみんな『疲れたー』と荷物を投げ出してひっくり返っていたのに、陛下一人は毅然として、疲れた様子も一切見せなかった」

 槍や穂高は岳人の誰もが憧れる山だ。少しずつ経験を積んで、いつかは頂に立ちたいと思う。赤沼さんは、陛下がその山々を眺めながら「次は槍に行きたいな」とつぶやいたのを聞いた。傍らで警察関係者は「弱ったなあ」と頭を抱えていたという。

 槍の頂上直下は垂直に近い岩場で、はしごや鎖場が連続する。警護するにしても、ロープを使うなどして万全な安全を確保するには、大変な人手と手間がかかるだろう。相手は将来の天皇陛下なのだ。滑落や転落など万が一も許されない。

 陛下はその後の登山人生で、槍や穂高に登ることはなかった。赤沼さんは「警備のこともあって、遠慮されたんでしょう。最も華のある山です。どれだけ登りたかったことか」と推し量る。

 その46年後の昨年夏、秋篠宮家の長男悠仁さまは、母の紀子さまと共に、槍に登った。近年の登山ブームで頂上直下も整備が進み、安全性は当時より格段にアップしている。悠仁さまの登頂はそのせいからなのか、それとも立場の違いからなのか、それは誰にも分からない。

北アルプスの白馬岳の大雪渓に立たれる天皇陛下=1973年8月
北アルプスの白馬岳の大雪渓に立たれる天皇陛下=1973年8月

 

 次の北アルプスは白馬岳(2932㍍)だった。当時13歳。真夏でも融けない日本三大雪渓の一つ「白馬大雪渓」を、アイゼン(鉄製の爪)を付けた登山靴で踏みしめた。1泊2日、白馬三山を縦走する山旅だった。

八方池から見た白馬三山。左から鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳=2013年7月(山岳図書編集者森田秀巳氏撮影)
八方池から見た白馬三山。左から鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳=2013年7月(山岳図書編集者森田秀巳氏撮影)

 

 瑞牆山(2230㍍)や乾徳山(2031㍍)、金峰山(2599㍍)など、山梨県周辺の奥秩父の山々にも次々と登った。

 すっかり青年の顔つきになった18歳の夏には、群馬・新潟県境の谷川岳(1977㍍)に足跡をしるした。ロッククライミングの名所「一ノ倉沢」で知られるが、陛下が登ったのは一般登山道だった。

谷川岳の稜線(りょうせん)上に立たれる18歳の天皇陛下=1978年8月(山岳ガイド中島正二さん提供)
谷川岳の稜線(りょうせん)上に立たれる18歳の天皇陛下=1978年8月(山岳ガイド中島正二さん提供)

 

 ガイドした中島正二さん(72)によると、陛下は一ノ倉沢にも関心を示し、高さ千㍍もの大岩壁を見下ろせる場所に行きたがった。安全のため後ろからベルトをつかまれた状態で下をのぞき込み「すごい」と絶句した。中島さんは「登山道とは言え、700人以上の命をのみ込んだ『魔の山』谷川岳に登れたことに、非常に満足されていたようです」と話す。

天皇陛下が上からのぞき込まれた谷川岳一ノ倉沢の大岩壁。陛下は左側の尾根を登った=2015年9月(山岳図書編集者羽根田治氏撮影)
天皇陛下が上からのぞき込まれた谷川岳一ノ倉沢の大岩壁。陛下は左側の尾根を登った=2015年9月(山岳図書編集者羽根田治氏撮影)

 

 北海道の大雪山・旭岳(2291㍍)には19歳で登った。地元の町職員だった庄内孝治さん(82)は案内役でもなかったが、どうしても山の上で「浩宮さま」に名物のジンギスカンを食べてほしくて、40人分の食材を3人で担ぎ上げた。

 宮内庁側や山小屋で用意するもの以外の食べ物を差し出すのはご法度だが、陛下は食べてくれた。「はきはきした好青年でした」と庄内さん。食べ終えた陛下は「山でのジンギスカンはおいしいですね。ごちそうさまでした」と喜んでいたという。

 陛下は後にこの山行を「リスに迎えられ、チングルマなどの数々の高山植物に見とれてしまう山上漫歩」だったと振り返っている。