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伝える・訴える

当たり前と思っていた自由が、突然変調を来す。決して人ごとではない。事実を伝え、思いを訴える。表現は今、どれほど自由なのか。あるいは抑圧、封殺、監視されているのか。世界の国々をめぐりながら考える。

【伝える 訴える】第50回(最終回) (フランス) 「味覚が呼び覚ます」

2017.3.22 11:38

亡き夫の励ましが聞こえる 名門ドメーヌ、悲劇越えて

ドメーヌ・シモン・ビーズの地下カーブで、たるに仕込んだ2016年赤ワインを試飲するビーズ千砂。生産量は例年15万本ほどだが、16年は遅霜の被害で大きく減りそうだ=フランス中部サビニー・レ・ボーヌ村(撮影・沢田博之、共同)
ドメーヌ・シモン・ビーズの地下カーブで、たるに仕込んだ2016年赤ワインを試飲するビーズ千砂。生産量は例年15万本ほどだが、16年は遅霜の被害で大きく減りそうだ=フランス中部サビニー・レ・ボーヌ村(撮影・沢田博之、共同)

  ブドウ畑に霧が立った。世界最高峰のワインを生み出すフランス中部ブルゴーニュ地方。11月中旬、黄色く色づいた葉がかすんで揺れている。

 「この時期、本当は葉が付いていてはいけないの。肥料の与え過ぎかしら。木を休ませないと」

 ビーズ千砂が、隣の畑を見ながらつぶやく。日焼けした顔、青のパーカに長靴姿。ワイン産業の中心地ボーヌ市に程近いサビニー・レ・ボーヌ村の名門ドメーヌ(自分の畑を所有するワイン醸造所)シモン・ビーズの当主として、ワイン造りを率いる。

 「土を触ったこともなかった都会の子」が、1880年創業の伝統あるドメーヌの将来を託されたのは3年前だ。

 
 

 ▽夫の死

 東京生まれの千砂は、大学でフランス語を専攻しフランスの投資銀行に就職した。1992年、24歳の時から2年間、パリの本社に赴任しワインに魅了される。

 帰国後、ワインをさらに勉強して競売会社への転職を考えていた96年、東京でフランスの顧客と出会う。当時のシモン・ビーズ当主パトリックだった。「ワインが好きなら、うちで手伝わないか」と誘われ、再び渡仏。2人は98年に結婚する。

 「ディジョンの大学でワインや醸造について学んだけれど、彼に質問すると『くだらん。誰がそんなことを言っている』とけんもほろろでした」

 見よう見まねでワイン造りを手伝い、子育てが一段落した2008年、地元の勉強会で学んだビオディナミ農法でのブドウ作りを実践させてもらった。農薬を使わず、自然由来の調合剤などを用いることで、ブドウの木が本来備えている生命力を発揮させる農法だ。「免疫を高める東洋医学みたいなもの。病気にかかりにくくなり、かかっても葉の表情が明るい」

 総面積22ヘクタールの畑の中で、ビオディナミに挑戦する畑を広げていった最中に悲劇が起きた。パトリックが急死したのだ。

ドメーヌ・シモン・ビーズの旗艦ワイン「サビニー・レ・ボーヌ・プルミエ・クリュ(1級)」の「オ・ベルジュレス」。2012年は、ビーズ千砂の夫パトリックが醸造・瓶詰めまで手がけた最後の年だ=フランス・ボーヌ市(撮影・沢田博之、共同)
ドメーヌ・シモン・ビーズの旗艦ワイン「サビニー・レ・ボーヌ・プルミエ・クリュ(1級)」の「オ・ベルジュレス」。2012年は、ビーズ千砂の夫パトリックが醸造・瓶詰めまで手がけた最後の年だ=フランス・ボーヌ市(撮影・沢田博之、共同)

 ▽制御不能の中で

 13年7月、ブルゴーニュは激しいひょう害に見舞われた。「育てたブドウが、目の前で傷つき死んでいく」。生産者にとって最もつらい災害だ。

 「僕らはワインメーカーと言われるが違う。ブドウを作るのだ」が信条のパトリックは、気が抜けたようになっていた。運転中に心臓発作を起こし、事故で他界する。まだ61歳。10月3日、ワイン生産者にとり最も繁忙な収穫初日だった。

 当主を突然失い、ドメーヌは制御不能になった。千砂は自ら数十人のスタッフらを率い、収穫、醸造、瓶詰めに奔走する。「シモン・ビーズは今後どうなるのか」。名門ドメーヌの行方は、フランスのワイン業界で大きな関心を集めた。

 翌14年、新たに当主となった千砂は重圧を感じていた。「失敗すれば、日本人だから、女だからと絶対に言われる。なにくそと思った」。スタッフも思いは同じだった。ドメーヌは結束した。

 今年発売の14年ワインに著名評論家のニール・マーティンは100点満点で92点を付けた。別の評論サイトは「著しいエレガンスと優美さ。それは14年だからか、千砂の手腕か、その両方か」と絶賛した。千砂とスタッフの努力は報われた。

フランス中部サビニー・レ・ボーヌ村のブドウ畑を歩くビーズ千砂。彼女の視線の先にドメーヌ・シモン・ビーズの所有する畑がある(撮影・沢田博之、共同)
フランス中部サビニー・レ・ボーヌ村のブドウ畑を歩くビーズ千砂。彼女の視線の先にドメーヌ・シモン・ビーズの所有する畑がある(撮影・沢田博之、共同)

 ▽メッセージを聞く

 実はパトリックの死から2年目の15年、ドメーヌの空気は沈んでいた。「死んで1年目は緊張があった。でも昨年は海に不時着した飛行機がずぶずぶ沈んでいくような落ち込みがあった」

 そのとき手にしたのが、13年のボトルだ。夫が死んだ年。「ああ嫌だな」と思いつつ飲んでみて驚いた。

 「何これってぐらい、おいしかったの」と千砂が笑う。ひょう害の年、畑で丹精込めていたパトリックの姿を味覚が呼び覚ました。夫に励まされている感じがした。

 「身近な人を失うと、その人の感触が失われるのがつらい。幸いワインには五感に訴えるものがある。味わうことで力をもらえる。それを残してくれたのが大きい」。元気が湧いてきた。

 ワインは不思議だ。ボトルの中で成長する。歳月がワインの香りや味に、複雑さを加える。

 パトリックは、「俺のワインはおいしい」とだけ言う人だった。他の表現はしなかった。だが、夫が造った過去のワインを改めて飲んでみて気付いた。「ワインが生きている。エネルギーがある」。千砂の理想とするワインだった。

 「夫が生きていたときに、一緒にワインを造ったという感覚はなかった。死んだ後の今、共同作業をしているような感じがある。彼のボトルを空けるたびに、異なるメッセージを聞いている」

 シモン・ビーズ所有のブドウ畑の木は、いずれも葉がきれいに落ちていた。ブドウに余計な負荷をかけていない証しだ。伸びた枝を払い、ドラム缶で焼く。ブドウ畑から、幾筋もの白い煙が立ち上るのが見えた。畑を覆っていた霧は、いつの間にか晴れていた。

 ◎テロワールの表現

 2016年4月、ブルゴーニュは遅霜に襲われた。ドメーヌ・シモン・ビーズ所有の高台のブドウ畑は実がつかず、収量は例年の8割減だった。「パトリックがいなくてよかった。(ショックで)2度死んじゃうから」とビーズ千砂は言う。

 ブルゴーニュの赤ワインはピノ・ノワールという単一品種で造られる。同じブドウなのに年によって、村によって、果ては畑によって香りも味も異なる。畑特有の地形、土壌、気候、さらに加えた人手の刻印。これらを総合してフランス語で「テロワール」という。ワイン造りとは、テロワールの表現なのだ。

 「悪い年というものはない。年の個性があるだけ」と千砂。収量が減っても、ワインを待っている人はいる。そこに手塩にかけたワインを届けたいと考えている。

 (共同通信編集委員 軍司泰史、写真 沢田博之、敬称略)=2016年12月21日

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