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当たり前と思っていた自由が、突然変調を来す。決して人ごとではない。事実を伝え、思いを訴える。表現は今、どれほど自由なのか。あるいは抑圧、封殺、監視されているのか。世界の国々をめぐりながら考える。

【伝える 訴える】第4回(中国・チベット) 「究極の抗議」(上)

2016.6.17 13:55

火柱となった19歳の娘 「私は幸せ」の言葉残し

娘ツェリン・キの形見の首飾りを握る母ドルマ。19歳の学生だったツェリン・キは、2012年、中国政府のチベット抑圧に抗議し焼身した=中国・甘粛省(撮影・高橋邦典、共同)
娘ツェリン・キの形見の首飾りを握る母ドルマ。19歳の学生だったツェリン・キは、2012年、中国政府のチベット抑圧に抗議し焼身した=中国・甘粛省(撮影・高橋邦典、共同)

 流れる雲に手が届きそうだ。だが群青の空はどこまでも高い。黒いヤクの群れが草原をゆっくりと動く。馬上の男の口笛がかすかに聞こえる。

 標高3千メートルを超える中国のチベット高原。ヒマラヤ山脈につらなるこの雄大な地で、チベット仏教と共に生きる人々の焼身抗議が続いている。中国当局の圧政の下で宗教と民族の自由を訴え、自分の命が他者の幸せにつながることに希望を託して火柱となる。2009年から約150人。中心は10代と20代だ。

 甘粛省の遊牧民の家族に生まれたツェリン・キは12年、19歳で焼身抗議の死を遂げた。尼僧以外の女性で初だった。「悲しくはないんです。娘が自分で決めて思いを遂げたんだから」。40代の母ドルマ(仮名)は数珠を手に涙をそっとぬぐう。額の深いしわと少女の純粋さが残る声。娘が残したサンゴ色の首飾りをセーターの下に着けている。

 

 

 

 
 

 ▽ただ生きていても

 ああ、そうだったのか―。真夜中に車を飛ばして来た親戚が娘の焼身を告げた時、ドルマはただ、そう思った。「私は幸せよ」「結婚するから、もう会えないかも」。あれは別れの言葉だったんだ。涙があふれたのは数日たってからだった。

 ツェリン・キは9歳で小学校に入学した。遊牧の仕事も好きだったが、勉強をしたがった。学校では成績優秀で得意科目はチベット語。中高一貫の民族学校では作文で何度も表彰された。人前で話すことや高音で発声するチベット民謡も得意。「記者になりたい」と言った。故郷を離れ寄宿舎生活だったが、母の健康をいつも気遣った。

 北京五輪開幕前の08年3月、チベット自治区ラサやその周辺で、宗教の自由を求める僧侶や住民の大規模なデモや暴動が起き、治安部隊との衝突で数百人が死亡した。中国政府は武力で一部の寺院を閉鎖し僧侶の「愛国教育」を強化。チベット民族にとって観音 菩薩 (ぼさつ) の化身であるダライ・ラマ14世を「悪魔」と呼び、僧侶らを厳しく監視した。1年後、四川省で25歳の僧侶が抗議の焼身をする。各地で僧侶や尼僧が続いた。

 10年、チベット語の授業を制限する方針を当局が発表すると、言語の自由と権利を求める学生デモが各地で起こった。ツェリン・キも学校の友人たちとデモをしたが、尊敬する詩人の学校長が責任を問われ解雇された。

 ツェリン・キは「ラギャ(チベットのための心)」を口にすることが多くなった。このままではチベット語が消滅し、文化が死ぬ。民族が滅んでしまう。「チベットのために 何かしたい。 ただ生きていても意味はない」。娘がそう言うたびにドルマはあきれて言った。「今は勉強でしょ」。

  ▽最後の夜

  12年1月からの冬休み。仏壇の前で娘が「心を決めなくちゃ」とつぶやくのを何度か聞いた。ドルマは「結婚でもするの」とからかった。ある日、ダライ・ラマ14世の帰還を願う文を娘がノートに書いていると知った。帰還はドルマの願いでもあったが、書くのは危険だ。「誰かに見られたらどうするの」。ドルマはいさめた。

 3月1日夜。ツェリン・キは「一緒に寝よう」とせがみ、母娘は布団を並べ朝までおしゃべりした。「家族にも学校にも恵まれて私は本当に幸せ。(巡礼のため)ラサに行ってないのが残念なの」。父親からもらった500元(約9千円)で「すてきな服を買って結婚しようかな」と笑った。ドルマは翌日、学校がある町へ娘を送り出した。

 ツェリン・キはその日、町の親戚の家に泊まった。夜、念入りに体を洗い、新学期が始まる3日は早朝に起き髪飾りをした。携帯電話を借りて誰かと長く話した後、同じ学校で学ぶ親戚の子と家を出た。途中、店で脱脂綿を買い親戚と別れた。その後の足取りははっきりしない。ガソリンを入れたタンクを手に歩く姿が街角の監視カメラに写っていた。

抗議の焼身を遂げたツェリン・キ。一般の女性では初めてだった。成績優秀でチベット民謡を歌うのが得意だったという(撮影・高橋邦典、共同)
抗議の焼身を遂げたツェリン・キ。一般の女性では初めてだった。成績優秀でチベット民謡を歌うのが得意だったという(撮影・高橋邦典、共同)

 ▽草原の歌声

 ツェリン・キは大通り沿いにある果物市場の奥のトイレでガソリンをかぶった。脱脂綿は体に巻き油をしみこませたらしい。炎となりながら何かを叫び、通りまでの数十メートルを走った、とドルマは聞かされた。

 「市場で焼身だ」。騒ぎを聞き市場をのぞいた親戚は、燃えた体のそばに落ちていた髪飾りなどからツェリン・キと知り卒倒した。警察は一帯を封鎖し、トイレの壁に書かれた文を消し、遺体を運び去ったという。サンゴ色の首飾りが親戚の家に残されていた。

 「大きな仕事をしたね、と言ってあげたい」。今ごろは転生し指導者になるべく育っているとドルマは考える。「でも歌声を録音しておけば良かった」。携帯電話に入れたチベット民謡を聞かせてくれた。夏の草原で幼いツェリン・キが大人をまねて歌っていた歌だ。

 チャン(地酒)を1杯飲んだら心楽しく/2杯飲んだら人生の苦難を忘れる―。

2012年と13年に3人の僧侶が焼身抗議をした僧院内の広場=中国・四川省(撮影・高橋邦典、共同)
2012年と13年に3人の僧侶が焼身抗議をした僧院内の広場=中国・四川省(撮影・高橋邦典、共同)

 なぜ彼らは最も苦しい抗議方法を断行できるのか。決意を誰にも告げることなく他者の幸せを祈り、油をかぶって自らに火を放つ。世界各地でテロが横行する中、チベットの人々が選んだ抵抗手段が、他者を傷つけない究極の非暴力抗議であることは衝撃的でさえある。

  仏陀 (ぶっだ) が前世、飢えた虎に自らの体を差し出した物語はチベットの若者の間でもよく知られているという。利他を目的とした自己犠牲は「 菩薩 (ぼさつ) の行い」とされ、チベット仏教ではより高いレベルの人間に転生すると考えられている。

 それでもやはり、なぜ、と思う。

 母ドルマは時に、せきを切ったように娘について話した。癒えぬ悲しみと祈りが、言葉とまなざしにあった。彼女にとって娘は空の向こうではなく、地上にいるのだ。

 (共同通信記者 舟越美夏、写真 高橋邦典、敬称略)=2016年02月03日

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