×
メニュー 閉じる メニュー
全国

全国

47オピニオン

各テーマの専門家に原稿を依頼したり、取材してまとめたりした「識者評論」「視標」、編集委員や論説委員、専門記者らが執筆した「核心評論」を随時アップ。

誰一人殺さず、これからも 視標「憲法施行70年」

高千穂大教授 五野井郁夫

 いまから70年前の5月3日、日本国憲法が施行された。憲法体制としては、1947年から現在まで続いてきた平和憲法のほうが、1890年に施行されてのち、幾度となく戦争を行い、敗北と占領を経験した大日本帝国憲法よりも、いまやこの国で最も長い憲法体制となった。

 戦争の惨禍から抜け出せずにいる世界各国に先駆けて、憲法9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた。

 わが国の憲法は自由民権運動や大正デモクラシーの精神という日本の伝統のみならず、不戦を願う世界中の人々の希望をも先取りしたものだ。

 日本国憲法を安倍晋三首相は近年「みっともない憲法」と評し改憲を訴える。いま憲法は三つの批判にさらされている。

 第一の批判は平和憲法は「戦勝国の押し付け」というものだ。進駐軍を中心に草案を作ったことは事実だが、彼らの主張には史実に反する部分もある。戦争放棄の発案は幣原喜重郎首相(当時)によるものであり、連合国軍司令部側に提案した史料も見つかっている。

 昭和天皇も早い段階で新憲法を支持していた。さらに平和憲法が70年もの長きにわたって人々に内面化され血肉となり心性として根付き、この国のかたちそのものとなっている事実を、改憲勢力は直視しようとしない。

 第二は平和主義は身勝手な一国主義にすぎず「国際貢献の足かせ」にすぎないとの主張である。

 これは同盟国が血を流しているから日本も血を流すべきだとする「血の同盟」論という感情論と表裏一体だ。同盟の絆が血で贖(あがな)われるならば、自国と同盟国のみならず、交戦国の人々の血もまた流れるだろう。人殺しは国際貢献ではない。自衛隊員の命もこれ以上危険にさらしてはならない。むしろ今までわが国が行ってきた非軍事分野での協力支援こそ、真の国際主義と国際貢献なのだ。

 第三は平和憲法が「現実と乖離(かいり)している」がゆえに、支障を来しているとの批判である。

 安全保障関連法によって、様々な支障がなくなると説明してきたのは他でもない政府与党だったはずだ。現実にそぐわないので改憲すべしとの主張は一瞬正しいように聞こえるが、大いに問題がある。そもそも憲法とは希求すべき理想を定めたものだ。理想に向かって現実を変えるべく努力するのが政治である。他方で現実のほうに合わせて理想を引き下げるのは、政治努力の放棄に他ならず、単に怠惰なだけだ。

 もし改憲されても、それで終わりではない。変えられたら、また変え直して元に戻せばいい。自民の改憲草案では改正の発議要件が緩和されている。われわれは高邁(こうまい)な理想に立ち返り、復憲させることで再び平和憲法をはじめようではないか。

 国力からすれば、わが国は強大な戦力を保持しうる。だが、われわれはあえて戦わずに生きていくことを決めた。平和憲法を定めて以来、他国の誰一人をも殺すことなく、また殺されることもなく、これまで70年間歩んできた。凄惨(せいさん)な戦争を繰り返してきた人類史のなかで、これほど誇らしく尊いことはない。これからもずっと、この憲法とともに歩んでいこう。

  (2017年5月2日配信)

五野井郁夫

名前 :五野井郁夫

肩書き:高千穂大教授

プロフィール: ごのい・いくお 1979年東京都生まれ。専門は政治学、国際関係論。著書に「『デモ』とは何か」など。

最新記事