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各テーマの専門家に原稿を依頼したり、取材してまとめたりした「識者評論」「視標」、編集委員や論説委員、専門記者らが執筆した「核心評論」を随時アップ。

「すごい勢いで戦前に」    三上智恵さん 連載企画「憲法 マイストーリー」第6回

       第6回
       第6回

 那覇市の国際通りから少し入ったところにあるホール付きカフェ「ゆかるひ」。那覇生まれの屋嘉道子(やか・みちこ)さんが2016年10月にオープンさせた。ゆかるひは沖縄の方言で「良き日」の意味だ。

 長野の農家へ嫁いだ屋嘉さんが四半世紀近くたって故郷に店を持ち〝単身赴任〟したのは、沖縄県東村高江での米軍ヘリパッド(離着陸帯)抗議闘争などを追ったドキュメンタリー映画「標的の村」(13年)を見たのがきっかけだった。屋嘉さんが「帰郷宣言」と題した、雑誌への寄稿にはこのように書かれている。

 「穏やかな日々の営みと基地負担の過酷さ、人々の願いが暖かい視線で描かれ、闘争に付きものの歌も出てくる。私は高校生の頃、祖国復帰運動で『沖縄を返せ』を歌った。帰ろう、抵抗の歌を同胞と歌おうと決めた」

 ▽暮らし、闘争描く

 2018年5月19日午後。ゆかるひのホールで開かれたトーク会に「標的の村」の監督、三上智恵(みかみ・ちえ)さんが来た。屋嘉さんが同作とゆかるひのいきさつを話した後、三上さんがステージ中央へ。

 同作に続き、米軍普天間飛行場移設先の辺野古などで撮った「戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み」(15年)と自衛隊ミサイル部隊配備が計画されている宮古、石垣両島などが現場の「標的の島 風(かじ)かたか(風よけの意味)」(17年)を製作。両作も住民の暮らしや反対闘争が描かれている。

トーク会で話す三上智恵さん。右は「ゆかるひ」の屋嘉道子さん=5月19日、那覇市(撮影・竹田昌弘)
トーク会で話す三上智恵さん。右は「ゆかるひ」の屋嘉道子さん=5月19日、那覇市(撮影・竹田昌弘)

 

 「基地があると、攻撃対象になる恐れがある。沖縄が戦場にならないようにと、三つの映画を撮ってきたが、すごい勢いで(次の戦争の)戦前になっている。沖縄が、日本が米国の風かたかにされそうだ。沖縄戦から処方箋をもらおうと、元少年兵たちを取材した」

 三上さんは、4作目となる「沖縄スパイ戦史」(大矢英代(おおや・はなよ)さんと共同監督)が7月から公開されることを紹介し、その予告編も上映した。

三上智恵さん監督作品(写真は三上さん提供)
三上智恵さん監督作品(写真は三上さん提供)

 「護郷隊」の少年兵たちは沖縄本島北部、名護市の山中などに潜み、上陸した米軍の武器を拾って戦ったり、爆弾を背負って戦車に向かったりした。一方、陸軍中野学校から送り込まれたスパイが村社会を分断する。生存者の証言と凄惨(せいさん)な写真などで語り継いでいく。

 三上さんは「沖縄戦で日本軍は住民を守らなかった。自衛隊は守るだろうか」と問い掛ける。

 沖縄戦の証言者に「みなさんが担いできた荷物は無駄にしない。だから少しでも気を楽にしてください」と伝えたい。そんな思いもこの映画に込めたと明かした。

 ▽地方自治に憧れ

 東京で生まれ、父親の転勤で引っ越しばかりだったという三上さん。小学6年のとき、父親の仕事で沖縄を訪れ、風葬や遺骨を洗う「洗骨」の慣習を知って大きなカルチャーショックを受けた。

 沖縄にひかれ、沖縄のテレビ局に就職したかったが採用がなく、大学卒業後の1987年、毎日放送(MBS、大阪)のアナウンサーに。しかし95年8月には開局間近の琉球朝日放送(QAB)へ移り、以来沖縄に住む。

 「(95年1月の)阪神大震災で神戸の家に住めなくなり、数多くの遺体を見た。あす死ぬなら何をするだろうと考え、やはり沖縄へ行こうと決めた」と振り返る。

 局の規模が小さいQABでは、アナウンサーやニュースキャスターにとどまらず、自分で企画、取材し、ナレーションを入れて番組を仕上げる仕事もこなした。

 「標的の村」はこうしてつくったテレビ番組だったが反響が大きく、多くの人に見てもらいたいと映画化した。その後、QABを辞めた。「権力が進める基地建設で反対住民だけでなく、賛成の人も扱えという、おかしな中立論にはへきえき」

 日本国憲法の前文に書かれた「平和のうちに生存する権利」や92~95条の地方自治は、復帰前の沖縄の人にとって憧れだったと三上さん。

訪米する翁長雄志沖縄県知事(右手前)の見送りに駆け付けた県民ら=2015年5月27日、那覇空港
訪米する翁長雄志沖縄県知事(右手前)の見送りに駆け付けた県民ら=2015年5月27日、那覇空港

 「渡米する翁長雄志知事を空港で見送り、出迎える県民は多い。こんな都道府県は他にないだろう。米軍基地を巡り、国と利害が対立し、平和的生存権も地方自治も十分でない沖縄で、県民は憲法を自分たちのものにしたいと思い続けている」

(共同通信編集委員 竹田昌弘)

 

 

       第6回
       第6回

 

名護市民投票

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の代替施設を同県名護市辺野古沖に建設する計画を巡り、名護市の条例に基づく市民投票が1997年12月21日に実施され、反対が有効投票の過半数となる1万6639票、賛成は1万4267票だった。

 ところが、名護市長は建設の受け入れを表明して辞職。市民約500人が前市長と市に慰謝料などを求めて提訴した。

名護市民投票で反対票が賛成票を上回り、万歳して喜ぶ反対派住民=1997年12月21日、沖縄県名護市
名護市民投票で反対票が賛成票を上回り、万歳して喜ぶ反対派住民=1997年12月21日、沖縄県名護市

 那覇地裁は2000年5月9日の判決で、市民投票の法的拘束力について「仮に肯定すると、間接民主制によって市政を執行しようとする現行法の制度原理と整合しない結果を招きかねない」との判断を示した。

 その上で条例も「過半数の意思を尊重する」としているだけで、市長が尊重しなかった場合の措置を定めていないなどとして、請求を退けた。原告側は控訴せず、この判決は確定している。(竹田)

 (2018年6月2日配信)

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