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各テーマの専門家に原稿を依頼したり、取材してまとめたりした「識者評論」「視標」、編集委員や論説委員、専門記者らが執筆した「核心評論」を随時アップ。

被害者の権利、憲法に  渡辺保さん 連載企画「憲法 マイストーリー」第7回

 2018年6月3日、全国犯罪被害者の会(あすの会)が解散した。東京・市谷の会議・集会施設で同日開かれた「最終大会」には、200人以上が参加し、立ち見の人もいた。
 
東京・市谷で開かれた、全国犯罪被害者の会(あすの会)の最終大会=2018年6月3日
東京・市谷で開かれた、全国犯罪被害者の会(あすの会)の最終大会=2018年6月3日

 00年の結成時から活動を続けてきた幹事の仮谷実さん(1960年生まれ)が演壇へ。「被害者参加制度の前と後を経験した被害者として報告したい」

 仮谷さんの父親は95年2月、オウム真理教の幹部らに拉致、監禁されて亡くなった。当時は被告の裁判日程さえ知らされず、被告らの罪状は監禁致死ではなく「殺人だ」と言うためには、民事裁判を起こして当事者となるしかなかった。
 
 しかし、16年半逃亡した元幹部が2012年の元日に逮捕、起訴されると、この間に順次制定された被害者の権利に関する制度によって裁判は全く違ったものになった。
 
 ▽「役割終えた」
 
 「裁判がいつあるか知らされ、捜査記録も読めて当事者になれた。法廷で検事の横に座り、被告や(証人の)死刑囚の様子を見ることができた。被告に直接質問し、私はしなかったが、求刑もできる」と仮谷さん。検事によって扱いが違うことなどが残る課題という。
 
 仮谷さんに先立ち登壇した、顧問で弁護士の岡村勲さん(1929年生まれ)は結成時から2011年まで代表幹事を務め、会の中心だった。代理人として証券会社の紛争を担当中、逆恨みした顧客に妻を殺された。

 「結成当初は連日昼も夜も電話とファクスが相次いだが、17年の相談は13件。支援組織も各地にできた。役割を終えた」と岡村さんは解散する理由を説明した。

 最終大会の運営係で、副代表幹事の渡辺保さん(1948年生まれ)も被害者遺族だ。
 
 2000年10月16日夜、当時22歳の長女美保さんが横浜市瀬谷区の自宅近くで殺害された。帰宅途中だった。3年後、中学校で同級の男が自首したが、裁判で「虚偽の自首をした」と無罪を主張した。

 渡辺さんは「弁護士が接見した日から否認、黙秘に変わったと聞いた。無期懲役の判決を受け、法廷を出る男に『絶対に許さない』と声を掛けた直後、男は『おまえが迎えに行かなかったから、娘は死んだんだよ』と叫んだ。人間性のかけらもない。今も悔しさでいっぱいだ」と振り返る。

 06年8月1日。今度は妻啓子さんが自宅近くの踏切で電車と接触して亡くなった。53歳。「娘の死後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で心療内科に通っていた。心神喪失の状態で踏切に入ったのだろう。犯人1人に家族2人を奪われた」
 
あすの会の事務所で、これまでの活動や今後について語る渡辺保さん=2018年6月20日、東京都内(撮影・竹田昌弘)
あすの会の事務所で、これまでの活動や今後について語る渡辺保さん=2018年6月20日、東京都内(撮影・竹田昌弘)

 

 ▽総合的窓口が必要
 
 渡辺さんがあすの会に入ったのは03年4月。被害者参加制度や、刑事裁判で損害賠償を命令できる制度を求める署名運動を見て「傷をなめ合う会じゃない」と思った。

 署名運動に加わり、公訴時効の撤廃を求める運動にも取り組んだ。
 
 04年に犯罪被害者等基本法が成立し、10年までに被害者参加制度、損害賠償命令制度、時効撤廃が次々に実現する。

 ただ渡辺さんは、地元自治体が被害の回復や日常生活のサポートに動いてほしいと考えてきた。そのためには条例が必要なので、14年2月に「被害者が創る条例研究会」を立ち上げた。
 
 研究会は「犯罪被害者等基本条例案」を作り、1700余りある全国の市区町村へ送って制定を呼びかけた。18年版犯罪被害者白書によると、今年4月現在、全市区町村の25・3%で条例が制定された。例えば名古屋市の条例では、支援金支給や配食サービス、二次被害防止への責務などが定められている。

 「被害に遭った直後から何でも相談できる総合的な窓口が必要だ。自治体にしかできない。日本には、犯罪被害に遭うのは特別な人という、根拠のない思い込みがあるのではないか。誰でも被害者となる可能性がある」と渡辺さんは指摘する。
 
 さらに憲法には、31条から40条まで容疑者・被告の権利を守る条項が並んでいるが、被害者の権利を定めた条項は一つもない。「司法関係者、とりわけ弁護人が被害者をないがしろにすることにつながっているのではないか。ぜひ憲法に被害者の権利を入れてほしい」
                             (共同通信編集委員 竹田昌弘)
 
 
【ヒストリー】犯罪被害者の保護・権利
犯罪被害者の保護・権利に関する法整備の歩み
犯罪被害者の保護・権利に関する法整備の歩み

 

 犯罪被害者の保護・権利に関する法整備は、居合わせた人を含む多数の死傷者が出た1974年の三菱重工爆破事件を契機として、80年に成立した犯罪被害者等給付金制度が事実上のスタート。

 同事件を超える被害者を出した95年の地下鉄サリン事件や法相が検察の遺族対応を謝罪した片山隼君事件などがあり、公判での意見陳述権や優先傍聴などを定めた犯罪被害者等保護2法が2000年に制定された。

 さらに「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の活動などにより、04年成立の犯罪被害者等基本法には「その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利」が明記され、同法に基づき、政府は翌05年、258施策を掲げた基本計画を閣議決定した。

1996年に殺害された上智大生小林順子さんの遺影を手にする父賢二さん。公訴時効を廃止する改正刑事訴訟法が成立、「多くの遺族が報われた」と語った=2010年4月27日、参院議員会館
1996年に殺害された上智大生小林順子さんの遺影を手にする父賢二さん。公訴時効を廃止する改正刑事訴訟法が成立、「多くの遺族が報われた」と語った=2010年4月27日、参院議員会館

 基本計画に盛り込まれた被害者参加制度や刑事裁判での損害賠償命令制度などが順次実現し、10年には、殺人罪などの公訴時効も廃止された。(竹田)

 (2018年7月2日配信)

 

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