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47オピニオン

各テーマの専門家に原稿を依頼したり、取材してまとめたりした「識者評論」「視標」、編集委員や論説委員、専門記者らが執筆した「核心評論」を随時アップ。

「正しい情報が必要だ」   布施祐仁さん 連載企画「憲法 マイストーリー」第5回

 財務省の決裁文書改ざんに抗議する千人以上の市民が東京・永田町の首相官邸前に集まった2018年3月12日夜、布施祐仁(ふせ・ゆうじん)さん(1976年生まれ)がマイクを握った。

 「南スーダン日報隠蔽(いんぺい)のときと似ている。官僚に責任を押し付け、トカゲのしっぽ切りに終わらせてはいけない」

 自衛隊の日報問題に火を付けたジャーナリストが語気も鋭く訴えると、「そうだ」とひときわ大きな歓声が上がった。

 布施さんが自衛隊海外派遣の実態を調べるため、情報公開請求による取材を始めて10年以上。開示文書は白黒コピーが1ページ10円だが、膨大な量のため、出費は年50万円以上と負担は大きい。時間と労力もかかるが、公開請求にこだわってきた。

 ▽廃棄あり得ない

 南スーダンの日報も、2016年7月に首都ジュバで大規模な戦闘が起きた際、国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊がどんな状況だったのかを調べるため、同年9月末に開示請求した。

 しかし回答は「廃棄済み」。日報は現地情勢を伝える基礎資料であり、廃棄はあり得ない。「直感でおかしいと思った」

防衛省が開示した2016年7月9日の南スーダンPKO派遣部隊の日報。地図上に「ジュバで戦闘」と書かれている
防衛省が開示した2016年7月9日の南スーダンPKO派遣部隊の日報。地図上に「ジュバで戦闘」と書かれている

 結局、同年末に日報のデータが見つかり、17年2月に一部黒塗りで公開された。防衛省は内部調査の結果、隠蔽を認め、当時の稲田朋美防衛相らが引責辞任した。

 18年に入り、南スーダンだけでなく、布施さんが以前から請求していたイラク派遣部隊の日報も続々と「発見」されている。4月16日には、約1万5千ページに及ぶイラクの日報が公開された。

 布施さんは4月中旬、北海道千歳市の陸自第7師団を訪れた。ジュバで大規模戦闘があった時期の第10次隊は第7師団を中心に編成されていた。

 派遣された隊員には会えなかったが、別の隊員は隠蔽について「何でなのかなとは思う。雲の上の人たちがやることだから、現場には分かりませんよ」と話した。

 布施さんは、日報隠蔽の背景に憲法9条があると指摘する。「内戦中なのに治安は安定しているなどと現実をねじ曲げ、武力行使を禁じる9条との整合性を図り、派遣を繰り返してきた」

 派遣ありきの政府が今後も情報を隠し、偽り、駆け付け警護などの新任務付与を強行して派遣を繰り返していればどうなるか。「いつか戦死者が出る」とみる。

陸上自衛隊第7師団の司令部がある東千歳駐屯地を訪れた布施祐仁さん。南スーダンのPKOに派遣された部隊は第7師団を中心に編成された=4月11日、北海道千歳市(撮影・角南圭祐)
陸上自衛隊第7師団の司令部がある東千歳駐屯地を訪れた布施祐仁さん。南スーダンのPKOに派遣された部隊は第7師団を中心に編成された=4月11日、北海道千歳市(撮影・角南圭祐)

 

 ▽非武装の貢献を

 「主権者である国民が責任を持って自衛隊の任務を決めるのが民主主義だ。正しい判断をするためには、正しい情報が必要」。情報公開請求を続けてきたのは、そう信じているからだ。

 布施さんは元々、社会問題に何の関心もなかった。きっかけは大学生だった1995年8月。一人旅で訪れた広島・平和記念公園のベンチで休んでいると「50年前、ピカに遭った」と老いた男性が話し掛けてきた。「原爆も戦争も、歴史の中の話だと思っていた。被爆者が生きているとさえ想像していなかった」と当時の衝撃を振り返る。

 男性に勧められ、公園内の広島平和記念資料館を見学した。「世界には何万発もの原爆や水爆があり、起爆ボタンを持つ数人の指導者に自分の運命を握られているような嫌悪感を持った」

 翌月には、沖縄で米兵による少女暴行事件が発生。沖縄県民総決起大会で、何万もの群衆を前に「軍隊のない平和な島を」と堂々と訴える1歳下の女子高校生の姿をテレビのニュースで見た。

 「自分にも何かできるはずだ」。戦争被害を繰り返したくないと、ジャーナリストを志した。

 以来、自衛隊の他、核や米軍基地問題に向き合う。「自衛隊が他国軍と違うのは市民に銃口を向けないこと。9条を生かし、非武装の国際貢献に徹することができるのでは」との考えに至った。

 自民党は自衛隊を9条に書き込もうとしているが、その前にできることがあるはず。情報を公開させ、冷静に考えたい。布施さんは「自衛隊は政権の道具じゃない。隊員が犠牲になれば、責任は主権者全員にある」と説く。(共同通信社会部記者 角南圭祐)

 

【ヒストリー】PKO

 1991年の湾岸戦争で、日本政府は米軍を中心とする多国籍軍などの戦費130億㌦を負担したが、米国からは「資金提供だけで済ますのか」などと批判された。

 政府は国際貢献の柱として、停戦監視や復興・人道支援、治安部門の改革などに当たる国連平和維持活動(PKO)への参加を決め、92年にPKO協力法が成立した。

 同法は憲法9条を踏まえ、①紛争当事国が停戦合意、②PKOと日本の参加に同意、③中立的立場の厳守、④①~③のいずれかを欠いた場合は撤退、⑤必要最小限の武器使用―を義務付けた。「PKO参加5原則」と呼ばれる。

カンボジアのPKOに参加し、活動拠点のタケオに到着した陸上自衛隊の部隊=1992年10月17日
カンボジアのPKOに参加し、活動拠点のタケオに到着した陸上自衛隊の部隊=1992年10月17日

 これまでにカンボジアや中東のゴラン高原、東ティモール、南スーダンなどのPKOに自衛官や警察官らが派遣されてきた。カンボジアのPKOでは93年、武装集団に襲われ、警察官ら日本人2人が亡くなっている。(共同通信編集委員 竹田昌弘)

(2018年5月2日配信)

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