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47オピニオン

各テーマの専門家に原稿を依頼したり、取材してまとめたりした「識者評論」「視標」、編集委員や論説委員、専門記者らが執筆した「核心評論」を随時アップ。

笑い、闘志と希望生む  松元ヒロさん 連載企画「憲法 マイストーリー」第1回

 「こんにちは、憲法くんです」「憲法くんは、個人の自由が奪われないように、国を治める人たちが自分勝手な政治を行わないように、歯止めをかけているのです」

 コメディアンの松元ヒロさん(1952年生まれ)による、この一人芝居「憲法くん」は20年続いてきた。7分間で憲法の制定過程や役割を説き、前文を全て朗読する。作家の故井上ひさしさんは「感動した。あらゆるところでやってほしい」と語った。

 2017年も月に2~3回は演じたが、こんなせりふを加えている。「変なうわさを耳にしたんですけど、本当ですか。私がリストラされるかもしれないという話」

 ▽焼け跡から

 自民党が9条など改憲4項目の論点とりまとめを公表する前日の17年12月19日夜。松元さんは東京・池袋にある東京芸術劇場プレイハウスのステージに立った。834の客席はほぼ満員で、その多くが40代以上だ。

東京芸術劇場プレイハウスのステージに立つ松元ヒロさん=2017年12月19日、東京都豊島区(撮影・稲葉拓哉)
東京芸術劇場プレイハウスのステージに立つ松元ヒロさん=2017年12月19日、東京都豊島区(撮影・稲葉拓哉)

 

 「今年の漢字が『北』になりました。わざとらしいですよ。北朝鮮のミサイル、Jアラートが鳴って大騒ぎしましたね。地下鉄が止まりました。でも上の列車はどんどん動いているんですよ」

 矢継ぎ早の一言一言。大きな笑いが起こる。

 「テレビ局の人はヘルメットをかぶっているんですよ。でも、ヘルメットをかぶるんなら『北』ではなく『南』、沖縄ですよ。普通は窓から物が飛んでくるのに、窓自体が落ちてくるんだから」

 直近の時事ネタをテンポよく続けた後は、母校鹿児島実業高のネタに。松元さんは駅伝選手として活躍した。「当時、高校には二つのグループがあったんですよ。グラウンドを走るグループと非行に走るグループ」

 大笑いの客に「憲法くん」が絵本となり、出版されたことを伝える。

 「本には焼け跡の絵があります。二つの原爆を落とされ、(第2次大戦で)310万の日本人が死にました。アジアでは2千万人です。こんな戦争が二度とあってはならないからできたんですよ、日本国憲法は」

 「押し付けられたという人がいるけど、マグナカルタや米独立宣言、フランス人権宣言などのいいところを集めたんですよ。例えば、ご祝儀は押し付けられたからいらないと言う人がいますか。日本独自の憲法がほしいなんて、了見が狭いよ。『日本会議』は『地球会議』になりなさい」と畳み掛ける。1時間50分、笑いを取り続けた。

 ▽マルセさんと同じ

 チャプリンのファンだった松元さんは法政大卒業後、パントマイムの世界へ。皿洗いやセールスなどのバイトで収入を得ながら続けたが、30歳すぎ、話した方が早いと、コントの道に転じた。

 1988年9月、昭和天皇の闘病が公表されると、娯楽番組やCMの自粛が相次ぐ。松元さんは仕事を次々にキャンセルされ「ご時世ですから」と解約料も出ない。

 納得できない仲間と始めたのが、時事ネタのコント集団「ザ・ニュースペーパー」。故筑紫哲也さんがキャスターのTBS「ニュース23」に出て一躍有名になった。

松元さんがあこがれる故マルセ太郎さん。同じように一人舞台を続けた=1998年11月21日
松元さんがあこがれる故マルセ太郎さん。同じように一人舞台を続けた=1998年11月21日

 「憲法くん」は施行50年の97年、松元さんが憲法記念日のイベントに誘われ、憲法学者の水島朝穂さん(53年生まれ)と台本を練った。その後、市民団体や労組などから呼ばれ、各地で演じた。アドリブで政治ネタが出るようになったのと「憲法くん」が自信になり、松元さんは翌98年に独立する。

 「同じようにパントマイムから芸人となった故マルセ太郎さんにあこがれてきた」と松元さん。

 マルセさんはネタ切れをごまかそうと、たった1人で見た映画を語り、身ぶり手ぶりで内容を再現してみせた。後に「スクリーンのない映画館」と呼ばれる芸になった。

 松元さんは毎年春と秋「ひとり立ち」と題する公演を2008年秋から続けている。マルセさんと同じ一人舞台だ。18年3月の公演で20回目となる。

 ▽「負けない」

 17年12月17日放送のフジテレビ系「THE MANZAI」でウーマンラッシュアワーが福井の原発、沖縄の基地、在日米軍の思いやり予算、日米関係などをネタにした漫才を披露した。松元さんは「おもしろい。負けたと思った」と振り返る。

 「森友学園の籠池(泰典前理事長)夫妻は勾留されたままなんですよ。安倍(晋三総理)夫妻も早く入れろ」「きょうも客席は『こんな人たち』ばかりですね」「憲法は国民が国を縛るのに、国が国民を縛るものにしようとしています。アベコベ政権ですよ」

 松元さんのこうしたネタには、各会場で大きな拍手が送られるという。

 「憲法は危機にひんしているが、昔から多数派に付くのではなく、少数派で諦めずに頑張ってきた。怒りだけだと、引かれて広がらない。笑いからは、闘志と希望が生まれる。決して負けない」と松元さんは言葉に力を込めた。(共同通信編集委員 竹田昌弘)

 

【ヒストリー】改憲論

 日本国憲法の改憲論が最初に高まったのは、主権を回復した1952~60年。自由党憲法調査会の要綱(54年)は天皇元首化や再軍備、国家への忠誠、人権の制限、家族制度強化など復古的な内容を掲げ、これに反対する運動が広がり「60年安保」にも影響した。

首相官邸で開かれた憲法調査会の会合。立っているのは岸信介首相=1957年8月14日
首相官邸で開かれた憲法調査会の会合。立っているのは岸信介首相=1957年8月14日

 80年の衆参同日選で勝利した自民党は憲法調査会を再開させたものの、82年の中間報告では、多くが現状の確認にとどまった。91年の湾岸戦争を契機とする国際貢献論に伴い、改憲論が再浮上。93年の同調査会中間報告では「自衛隊の明確化」「集団的自衛権」などが点検事項とされた。

 2000年代以降、自民党は改憲草案を2回決定。12年の草案には「国防軍」や1950年代の復古的な内容が盛り込まれた。一方、07年に国民投票法が成立。両院に改正を発議する憲法審査会も設置され、改憲への準備は着々と進んでいる。(竹田)

     ◇     ◇     ◇

 改憲の論議が高まりそうな2018年。個人の尊重や表現の自由、平和主義といった「憲法の価値」を信じて活動する人々の生きざま(マイストーリー)を通して、憲法の価値を改めて考えてみたい。(竹田)

 (2017年12月31日配信)

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