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日本武道館に描く五輪のドラマ 空手「長年の夢」、清水が歴史的メダル

2021.8.5 21:30 共同通信
女子形決勝 清水希容の演武=日本武道館
女子形決勝 清水希容の演武=日本武道館
 1964年東京五輪の柔道会場となった日本武道館はその後、「武道の聖地」となった。柔道以外にも剣道、相撲、なぎなた、少林寺拳法などの日本武道の振興を図る目的で利用され、多くの武道大会も開催してきた。2度目の五輪では柔道に加え、追加競技として実施された空手の舞台ともなった。武道館に新たな歴史が刻まれた。
 ▽高い天井に伝える思い
 64年東京五輪の柔道最終種目「無差別級」の決勝。日本の全階級制覇の期待を担った神永昭夫は、オランダの巨漢、アントン・ヘーシンクのけさ固めに抑え込まれて敗れた。本家ニッポンが最も重視していた体重制限のない階級での完敗。「日本柔道が負けた」との無念さで静まり返った館内。畳にあおむけにされた神永は武道館の高い天井を見上げていた、という。
 皮肉にも日本に衝撃を与えた神永の敗戦が、「柔道」から「JUDO」へと進化する競技の国際化につながった。
 スポーツ選手というより、「柔道家」であることにこだわったのが、今大会の男子73キロ級で五輪連覇を果たした大野将平だった。迷いのない柔道で勝ち進んだ大野は、試合前に顔を上げてじっと天井を見上げ、金メダルを決めると再び天井を向いた。届けたかったのは「武道の聖地」への感謝の気持ちか、柔道そのものへの敬意だったのか。
 ▽多様なイベントの「聖地」
 武道館に憧憬(しょうけい)を抱くのは武道家だけではない。66年には世界を席巻していたビートルズの公演が大成功を収めると、その後、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、クイーンといった海外大物アーティストが次々とコンサートを開いた。音楽界ではいつしか「ロックの聖地」と呼ばれるようになった。
 外国人スターの興行成功にならって日本のロックミュージシャン、ポップス系歌手からアイドルタレントまで、集客力のある芸能人が武道館を目指した。「武道館コンサート」は一流エンターテイナーの証しになった。
 東京・北の丸公園内にある日本武道館は63年10月に着工し、わずか1年弱の工期で64年10月の東京五輪に間に合わせて完成した。高さ約42メートルの八角の大屋根は壮観。2度目の五輪に備えて大改修が行われ、屋根の銅板は緑青色のステンレスにふき替えられて、かつての名残がある。化粧直しを終えて、再び多様なイベントの「聖地」の役割を担うことになった。
 ▽空手、長い道程の結実
 空手にとっては五輪への長い道程だった。国際化を目指した動きは1960年代後半から始まった。80年代半ばに将来の五輪競技参入を目指し、国際オリンピック委員会(IOC)に承認競技団体の申請をした。しかし流派が乱立、ルールも不統一、統括団体も群雄割拠している、などの理由で申請は退けられた。
 競技団体の統合が進み、IOCからは国際スポーツとして94年に仮承認、99年に正式承認を得た。2005年には五輪競技への採用がIOC総会で審議されたが、投票で否決された。「ルール、勝敗の行方が分かりにくい」などの批判に対応して試合方式を改革。開催国日本が提案する追加競技の一つとして今回、ようやく五輪デビューがかなった。
 空手にとっても「特別な場所」である武道館の大天井に選手の気合がこだました。東京五輪最初の種目、女子「形」では清水希容が決勝で敗れたものの歴史的なメダル第1号となる「銀」を獲得した。既に国際化が進んでいる空手。57年前の柔道での神永の敗戦ほどの驚きはなかった。
 各流派を合わせた世界の競技人口では柔道をはるかに上回るともいわれる空手だが、次回パリ大会では除外される。柔道のように五輪に復活、定着することはあるのだろうか。(共同通信・荻田則夫)