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敗者の五輪   災厄から教訓を引き出す  保阪正康(ノンフィクション作家) リレー評論「解読オリンピック」

2021.7.27 11:00 共同通信
 
保阪正康氏
保阪正康氏

 

 関係者や関係機関には気の毒なのだが、これほど盛り上がらないオリンピックも珍しいのではないだろうか。街に出ても、日々の報道にしても、新型コロナウイルスが依然として猛威を振るっている中、東京五輪歓迎の機運は見えない。


 私は取り立てて五輪に関心はない。いや厳密に言うなら、五輪ではメダルの数や優勝者の晴れ晴れとした姿よりも、敗者の姿に引かれる。


 1964年の東京五輪の際、私はサラリーマン1年生であった。東京・銀座の広告代理店に籍を置いていたが、いくつかの競技のチケットも手に入り、球技なども見ることができた。しかし勝者の喜びよりも、敗者に自分の姿を重ね合わせ、あるいは敗者の涙に共感することが多かった。


 女子バレーボール、体操、レスリング、柔道などで日本が勝つのはうれしいことではあった。しかし陸上1万メートルで他の選手から2周も3周も遅れながら完走したセイロン(現スリランカ)のカルナナンダ選手や、マラソンの最後で英国のヒートリー選手に抜かれた円谷幸吉(つぶらや・こうきち)選手は、私に人生を教えてくれた。「勝つばかりが人生ではない。負けた時の涙が人生なんだ」。そういう涙にこそ慈しみがあり、栄誉があるとも感じた。


 一方で忘れられない光景がある。共産圏のある選手が格闘技で予想外の選手に敗れた時だ。そのふてくされた態度には、国家の罪を犯したような恐怖があった。敗者になることが慈しみでも栄誉でもなく、残酷な自己否定につながっていた。


 1940年にも、東京五輪が開かれるはずであった。結局中止になるのは、日本のかいらい国家満州国が参加することへの拒否、日中戦争への各国の反発などで、返上せざるを得ない状況だったからである。開催できないこと自体、日本の政治の敗北であった。


 この時の敗者・日本に慈しみや栄誉があっただろうか。私は1歳に満たなかったから知る由もないが、歴史上で見るなら、そのような重みは全くなかったと言っていいだろう。


 東京五輪は、今回で3回目である。1回目は政治、外交、軍事を含め帝国主義国家の敗北、2回目は戦後復興と日本国憲法の支えによるスポーツの祭典、そして今回は、ウイルスとの闘いを軸にする新自由主義的国家の挑戦と言えようか。


 現状を見ていると、今回の五輪には勝者の片りんもうかがえない。菅義偉首相は、安心・安全とかコロナに打ち勝った証しとか意気込むが、国民の声は呼応していない。


 これは私見になるのだが、かくなる上は敗者の覚悟、姿勢に徹してコロナと向き合い、人類が今後ウイルスとどう共存するか、あるいは克服するかの教訓を引き出してはどうか。敗者の栄誉を求めても、現実にどのような五輪になるのかは定かでない。だが少なくとも勝者を気取る姿勢は忘れる以外にないだろう。
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 ほさか・まさやす 1939年札幌市生まれ。昭和史の実証的研究を独自の視点で続ける。2004年に菊池寛賞。