「ときを結ぶ」(26) 「海底地形」

悠久のロマン、後世に
逆境はねのけたダイバー 神殿のような水中遺産
瑠璃色の海中に、神秘的な景観がこつぜんと現れる。荘厳な神殿を思わせる段差や排水路のような溝。一条の光が差し込むと、輪郭がくっきりと浮かび上がった。
日本最西端の沖縄・与那国島の沖合。半潜水艇(海底観光船)の操縦席で新嵩喜八郎(72)は「あれが『海底遺跡』です」とマイクを握る。観光客は食い入るように窓に顔を近づけた。

▽下火の遺跡説
新嵩は東京の飲食店で働いていた青春時代、知人から教わったダイビングに目覚める。その後、帰郷して関連のショップを経営。1986年、安全なダイビングスポットを開拓中に、その景観を発見した。
「身の毛がよだった。まるで南米ペルーのマチュピチュ遺跡だ」。鉱脈を探り当てたようなロマンを感じた。
まか不思議な地形は深さ約25メートルに位置し、東西約250メートル、南北約150メートルにわたる。新嵩は琉球大名誉教授の木村政昭(79)=海洋地質学=らと協力、海底調査を実施する。自然の浸食や断層で説明できないとして「海底遺跡」と名付けた。
みこの隠然たる力が語り継がれる絶海の孤島。神話性も相まって、著名人が続々、来島した。地球上に超古代文明の存在を提唱した英国のベストセラー作家グラハム・ハンコックが潜水し、「日本沈没」で知られる作家の小松左京も姿を見せた。
新嵩もアイデアをひねる。「海底遺跡王国 国王新嵩喜八郎」。署名と印影を施した潜水認定書をダイバーに手渡すようになる。島の観光振興に一役買った。
しかし、水中考古学者や地形学の専門家のほとんどは、「遺跡説」に否定的だ。東京海洋大大学院教授の岩淵聡文(58)=海洋文化学=は「人類の痕跡が全く見つかっていない。学術的には、人工の構造物ではないことで既に決着している」と眉をひそめる。
▽揺るがぬ評価
新嵩が唱える「遺跡説」に向かい風が吹く。それは幼い頃から心身に刻み込まれた境遇と重なる。
戦後の混乱期に島で生まれた。台湾との密貿易で活況を呈する中、病苦へ突き落とされる。3歳の時に熱を出して打たれた注射が原因で左下半身が不自由に。ポリオ(小児まひ)だった。
「薬品が枯渇していた上、注射を打ったのも医者ではなかった」と後に母から聞かされる。足を引きずって小学校に入学すると、同級生から島の方言で頻繁にはやし立てられた。
大人になって、再び不運に見舞われる。約30年前、石垣島から与那国島に向かう船の甲板から足を踏み外して転落。まひしていた左足が階段の間に挟まって太ももを骨折した。以来、松葉づえを手放せなくなる。
「遺跡説」は根拠を失いつつあるが、悠久の時間を経て浸食されてできた希少な地形との評価は揺るがない。「遺跡説」を否定した岩淵も「世界的にも珍しい水中の自然遺産。それだけで観光資源、ダイビングスポットとして十分ではないか」とたたえる。
透明度の高い大海原。地形以外に大型のカジキから小さな熱帯魚まで観察できる。ダイバーにとって魅力的な楽園スポットだ。
ホテル経営など観光事業で生計を立てている新嵩も「人工か、自然か。今はどちらでもかまわない。たくさんの人に来てもらい、豊かな海を後世に伝えていきたい」と島の未来を見据える。

▽しまちゃび
ただ地理的な特性が島に重くのしかかる。同じ八重山諸島の石垣島より台湾が近い。島の発展に寄与した台湾との密貿易も取り締まりが強化され、戦後数年で途絶えた。新嵩が生まれた当時約1万2千人いた人口は約1700人に激減した。
「しまちゃび(島痛み)よ」と新嵩は、しみじみ言う。しまちゃびは沖縄の方言で離島苦を意味する。物価は高く、教育、医療の水準は沖縄本島に遠く及ばない。
東シナ海に面し、南西防衛最前線の地でもある。島民を二分する住民投票の結果、3年前に陸上自衛隊の沿岸監視隊が創設された。
時代の波に翻弄(ほんろう)された島。その歴史は新嵩の人生に、より合わさった糸のように絡み合う。足の不自由さも二枚腰の強さではねのけ、地元の事業家として地歩を築いた。
「負けず嫌い。障害がある人間の気骨かな」と自己分析する。古希を過ぎたが、ダイバーをやめるつもりはない。若い頃はやんちゃで、けんかが絶えなかった。屈折したエネルギーは心に複雑に沈殿している。
射るような眼光は鋭く、一見こわもて。でも酒席の場をいつも和ませては相好を崩す。周囲は「器が広い。考え方が違う人も邪険にしない」と口をそろえる。
海底見学を終えた新嵩の半潜水艇は港に向けてかじを切る。黒潮流れる荒波の中を、物ともせずに進んでいく。(敬称略、文・志田勉、写真・堀誠、鷺沢伊織)
3次元の地図作製へ

沖縄・与那国島沖で、九州大教授の菅浩伸(56)=自然地理学、地形学=らの研究グループは、精巧な海底地形図の作製に取り組んでいる。
与那国町との協力事業で、ダイビングなどの観光振興を図る。本年度中の完成を目指している。
船に取り付けた機器から水中に音波を発し、反射する時間から地形を測量。3次元で復元する。菅は「島の周囲には多様でダイナミックな自然地形が見られる。調査によって全体像を明らかにしたい」と話す。
与那国町教育委員会の文化財担当の村松稔(42)は「今後も海底の新しい『見せ方』を模索していきたい」と期待を寄せる。