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消えぬテロリストの烙印  故郷追われるウイグル族 中国・トルコ

2019.11.8 15:48 共同通信

 柔らかい日差しが降り注ぐベンチに腰掛けていると、漢族の少女が駆け寄ってきた。「おじさん、あなたはビンラディンなの」。イスラム教徒の少数民族、ウイグル族の作家アブドゥエリ・アユプ(46)は絶句し、笑顔の少女を見つめた。国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者と自分は、似ても似つかないのに。
 2001年9月11日の米中枢同時テロの直後。中国・甘粛省蘭州の西北民族大で、ウイグル文学の教師を務めていたころの出来事だ。
 テロ以降、ウイグル族が多数住む新疆ウイグル自治区では、中国当局の監視が強化された。政府はテロ対策の名の下に、不審とみなしたウイグル族住民を次々と連行。多数を占める漢族の間で「ウイグル族はすりかテロリスト」とのイメージが定着させられていった。

 ▽変わった雰囲気
 自治区と隣接する甘粛省の蘭州でも雰囲気は一変した。アユプは当時、大学の教室に入ると、学生たちの顔がこわばるのを感じた。バスに乗れば周りの客が自分を避けるようになった。街頭では自治区で誘拐されたウイグル族の子たちが犯罪集団の一員にされていた。
 「このままでは民族が分断される」。アユプは大学で英語のスピーチコンテストやサッカー、ダンス大会などを主催。漢族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族の学生に参加を促した。「私たちは敵同士ではない」と伝えたかった。
 07年に自治区の区都ウルムチ市の新疆財経大に赴任してからも、漢族の学生らにウイグル語やウイグル族の文化を積極的に伝えた。ある日、漢族の学生たちに持ち掛けた。「モスク(イスラム教礼拝所)に行ってみないか」。テロ対策の強化以降、モスクは危険な場所との印象を持たれていた。授業を通じてイスラム文化への興味を持ち始めていた学生たちは関心を示した。
 ところが大学側はアユプの計画を阻止した。「本当の分裂主義者は誰か。私か、それとも大学か」。アユプは学生を前に、怒りをぶちまけた。

2009年7月、中国・新疆ウイグル自治区ウルムチで警官とぶつかる住民たち(共同)
2009年7月、中国・新疆ウイグル自治区ウルムチで警官とぶつかる住民たち(共同)

 理想の教育を行えないことに失望し、09年6月に留学のため渡米した。翌月、抑圧への不満を爆発させたウイグル族による大規模暴動がウルムチで発生。漢族と衝突し、約200人が死亡した。

 ▽突然の連行
 暴動後、政府はウイグル族の取り締まりを加速させた。そんな中、アユプは11年、あえて帰国を決意する。「ウイグル族が置かれた状況に危機を感じた」。故郷の自治区カシュガル地区でウイグル族の子どもたちを対象に幼稚園を開設。米国式の教育を取り入れつつ、英語、ウイグル語、中国語を教え、使用が制限されていたウイグル語を守ることが目的だった。
 13年8月、幼稚園の改修工事に立ち会っていると、3人の私服警官が無言で近づいてきた。黒い袋をかぶせられ、公安車両で連行された。
 「米国で独立派組織と接触していたんだろう」。動くと針が刺さる拷問用のいすに固定されたアユプは、警察官の質問に首を振り続けた。電気ショックを受けながら、もはや祖国に居場所はないのだと悟った。
 裁判は奇妙なものだった。取り調べの際は分裂主義者の疑いがかけられたが、身に覚えのない経済犯罪で起訴され、懲役1年3月の実刑判決を受けた。幼稚園運営に協力した仲間たちも投獄された。
 刑期を終えたアユプは亡命を決意。公安当局のシステムエラーで前科が表示されず、奇跡的にパスポートを取得することができたのも幸いし、40歳の妻、ミフィギュルと12歳、6歳の娘を連れてトルコに渡った。

亡命先のトルコ・イスタンブールの自宅で、家族と撮影に応じるアブドゥエリ・アユプ(左端)。無国籍のままでの不安定な生活が続く=3月(共同)
亡命先のトルコ・イスタンブールの自宅で、家族と撮影に応じるアブドゥエリ・アユプ(左端)。無国籍のままでの不安定な生活が続く=3月(共同)

 ▽無国籍のまま
 その後も、自治区ではウイグル族の取り締まりが続いた。当局は「再教育」「職業訓練」を名目に、イスラム教の聖典コーランを所持したなどとして住民らを施設に収容。国連人種差別撤廃委員会は昨年、推定100万人超のウイグル族らがテロ対策名目で長期間収容されていると懸念を示した。
 海外に逃れたウイグル族のほとんどは、中国にいる親戚と連絡が取れないと証言する。ビンラディンの烙印(らくいん)を押された者たちが恨みを募らせ、将来、“本物のビンラディン”になる―。そんな不安を口にする人もいた。
 トルコ・イスタンブール。多くのウイグル族亡命者が暮らす地域の喫茶店でアユプと落ち合った。中国籍を捨てたが、トルコ国籍取得が難航し、無国籍のままだ。労働許可が下りず、ウイグル語の教科書などを自費出版して生計を立てている。同様に祖国を追われたウイグル族の多くは難民申請に苦労し、彼らの子どもたちは正規の教育を受けることができない。
 「あなたをビンラディンと呼んだ少女に、どう答えたのですか」。こう質問すると、アユプの目に涙が浮かんだ。「お嬢さん、僕はビンラディンではないし、悪魔でもない。僕はウイグル族で、君と同じ人間なんだよ」(敬称略)

取材後記

日本のおばあさん

地図
 

 アユプはトルコに渡る前、日本への亡命を考えていた。西洋文化を取り入れながら自国の伝統を残す日本が、異なる民族が共存する成功モデルに思えたからだ。
 亡命を模索するため、ミフィギュルは2015年、4カ月間、長女と共に川崎市に滞在した。その際、ある日本人女性と知り合った。ミフィギュルと娘はその女性を日本語で「おばあさん」と呼んだ。「おばあさん」は2人に日本語を教え、生活の面倒を見たという。
 結局、政治難民としての受け入れの難しさから日本亡命を断念した。それでも、ミフィギュルは「おばあさん大好き。いつまでも長生きしてほしい」と声を弾ませた。その女性が何者かは分からないが、見ず知らずのウイグル族の母子を温かく受け入れた「おばあさん」に頭が下がる思いがした。(敬称略)

  

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