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第3部「平和国家、続けますか」(5) 発砲すべきか、緊迫の夜  「戦死」に備え、ひつぎも(戦い終えて②)

2018.10.30 7:03
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 自衛隊幹部への要請は執拗(しつよう)だった。「米軍の輸送や給水の支援をしてほしい。日本の国際貢献をアピールできる絶好の機会だ」。依頼の主は首相である小泉純一郎の側近や外務省幹部。

 イラクでの復興支援を巡り、米軍が展開する首都バグダッド周辺や北部に、陸上自衛隊を派遣してほしいとの打診だった。「目に見える」支援を日本に強く求める米国への配慮が透けて見えた。

 2003(平成15)年5月の米大統領のブッシュによるイラク戦争の大規模戦闘終結宣言後も、地元の武装勢力による米軍への攻撃は絶えなかった。バグダッドでは国連事務所を狙った爆弾テロもあり、国連の外国人要員が一時引き揚げた。

2005年7月、イラク南部サマワの陸上自衛隊宿営地のゲートで警戒に当たる陸自車両(共同)
2005年7月、イラク南部サマワの陸上自衛隊宿営地のゲートで警戒に当たる陸自車両(共同)

 悪化する治安情勢を実感していた自衛隊幹部は「米軍は住民から『占領軍』と見られている。一緒だとわれわれが危ない。安全を確保できないと任務が達成できない」と激しく抵抗し、首相側近らの要求を押し戻した。

 派遣先は米軍が駐留せず、比較的治安が安定しているとされた南部サマワに落ち着いたが、安全なはずの場所も危険と隣り合わせだった。

 陸自の宿営地には約2年半の派遣期間中に、十数回のロケット弾や迫撃弾による攻撃があった。死傷者が出た時に備えて陸自は内密にひつぎを約10個、一般隊員に分からないように持ち込んでいた。自衛隊幹部は「陸自が狙われているという情報もあり、気が抜けなかった。戦地に近い状況だった」と明かす。

 隊員の動揺や恐怖感を詳述した貴重な記録がある。陸自の精神科医官、福間詳(ふくま・しょう)(60)の備忘録だ。

福間詳の備忘録。「恐怖からパニック状態に陥った」など自衛隊員の動揺や恐怖感が詳述されている(敬称略)
福間詳の備忘録。「恐怖からパニック状態に陥った」など自衛隊員の動揺や恐怖感が詳述されている(敬称略)

 宿営地に初めてロケット弾が着弾した04(平成16)年10月22日深夜。警備に当たっていた20代の隊員の頭上をごう音とともにロケット弾が飛び越えた。「ぴかっと光った発射場所はすぐ近くに見えた」。しばらく動悸(どうき)が収まらなかった。

 この20代の隊員はその後も暗くなると、当時の発射音や光景が思い起こされ恐怖感がぶり返した。寝付けない日が続き、急性ストレス障害と診断された。

 同じ時、30代の隊員もすぐに身構えた。「まだそこに敵がいるかもしれない」「実弾を詰めるべきか、今度光ったら発砲すべきかもしれないと(同僚と)相談した」

 翌日、宿営地にあるコンテナのカウンセリング室に、警備を担当した8人が集まった。惨事体験を共有し、ストレス症状を緩和させる「デブリーフィング」という心理カウンセリング。日本では銃を扱う経験が少ない施設部隊の隊員らが、テーブルを囲み、福間やカウンセラーを前に心境を打ち明けた。

 海外では一発の銃弾も発射していないことを自負とする自衛隊。だが、隊員の心理状態を把握した福間は、備忘録に明確に記した。「敵が至近距離に接近していると勘違いしたり、恐怖からパニック状態に陥ったりして発砲した可能性は十分考えられた」(敬称略、年齢・肩書は新聞掲載当時)

 惨事ストレス 大規模な災害や事故で、自衛隊員や警察官、消防隊員、ボランティアら救助者が受ける強いストレス。不眠や無力感、怒りなどの症状が出る。1995(平成7)年の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を機に認知され始めた。

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