メニュー 閉じる

47NEWS

全国

全国

第3部「平和国家、続けますか」(4) 「なぜイラクに軍を」  米国追随、日本に憤り(戦い終えて①)

2018.10.30 7:02
Share on Google+ このエントリーをはてなブックマークに追加

 「おまえたちは日本人か」「日本人、よくない」。イラク戦争が始まって約1年が経過した2004(平成16)年4月7日、イラク西部ファルージャ郊外のガソリンスタンド。地元住民が拳を振り上げ怒りをぶちまけた。殺気だった視線。路上生活を送る子どもたちを支援するため、現地を再訪していた高遠菜穂子(たかとお・なほこ)(48)ら邦人3人を乗せた車は、瞬く間に数十人の住民に囲まれた。

 顔を布で覆い、ロケット砲や自動小銃を所持した男たちが直後に現れ、3人を拘束した。

イラク戦争関連のイベントに出席した高遠菜穂子=3月、東京都千代田区(敬称略)
イラク戦争関連のイベントに出席した高遠菜穂子=3月、東京都千代田区(敬称略)

 日本が支持した米国主導の戦争で、イラク各地で戦闘が続いていた。米軍の攻撃で一般市民の犠牲が相次ぎ、激しい反米感情がわき起こっていた。自衛隊は国連の枠組みを外れ、米主導の有志連合の一員として南部で展開した。政府は「非戦闘地域」と説明したが、戦後初の「戦地」への派遣と批判が高まった。

 「おまえは日本人だから殺す。なぜ軍をイラクに送ったのか」。高遠は、拘束された武装勢力の男に脅された。一方的な主張に言葉を失ったが、一部のイラク人が日本を「敵」とみなしている現実を思い知らされた。

 開戦後、米軍の攻撃を受けた町への支援のため現地入りを重ねていた。「日本が支持した戦争で命の危険にさらされている人がいる。償いの気持ちもあった」。沖縄からも米海兵隊がイラクに飛び立っていた。反日感情がくすぶり始めていたのは感じていたが、予想以上だった。

 米軍の空爆で手足を失った子どもがいた。脳に損傷を受けた子どもの姿も目の当たりにした。米軍への怒りは、有志連合に加わったイタリアやオーストラリアにも向けられ、両国の民間人が拉致される事件も起きた。

 高遠は日本を紹介する催しで訪ねた首都バグダッドの小学校の女性教師から、首相の小泉純一郎へのメッセージを託された。「なぜ日本はイラク戦争に参加したのか。これは自由の戦争ではなく虐殺だ。あなた方が主張する民主主義はどこにいったのか」

過激派「イスラム国」の攻撃を受け、避難民となったイラクのクルド民族少数派ヤジド教徒の家族を支援する高遠菜穂子=2014年8月、イラク北部クルド自治区(本人提供・共同)(敬称略)
過激派「イスラム国」の攻撃を受け、避難民となったイラクのクルド民族少数派ヤジド教徒の家族を支援する高遠菜穂子=2014年8月、イラク北部クルド自治区(本人提供・共同)(敬称略)

 開戦から15年。この間、米軍との連携を強化する安保法制が整備された。中東のテレビ局アルジャジーラは「戦後初めて自衛隊は海外での『戦闘』が可能になる」と報道。エジプト紙は「平和国家から軍事国家へ転換」との論評を掲載した。

 自衛隊が撤収し、日本人が忘れてしまったイラクでは、日本が支持した戦争で現地住民が苦しみ続ける。混乱に乗じて生まれた過激派「イスラム国」(IS)が一時台頭し、今も300万人超が故郷を追われたままだ。

 元ISの少年兵の社会復帰や、難民支援のためイラクと関わり続ける高遠は、護憲派の集会に招かれる機会も多い。「あれだけ自衛隊の派遣に反対していたのに、撤収後は皆さんは現地の惨状に目を向けていない」。高遠の訴えを、聴衆はただ黙って聞いていた。(敬称略、年齢・肩書は新聞掲載当時)

 安保法制 集団的自衛権の行使は憲法の許容範囲を超えるとして歴代政権が禁じてきたが、可能にすることを柱とする安全保障関連法が2015(平成27)年に第3次安倍政権下で成立した。専守防衛を掲げた戦後安保政策の転機となった。

最新記事

関連記事 一覧へ