メニュー 閉じる

47NEWS

全国

全国

第3部「平和国家、続けますか」(3) 幻の大義、検証おざなり  次世代への「歴史」なく(検証なき社会③)

2018.10.30 7:01
Share on Google+ このエントリーをはてなブックマークに追加

 戦争にどう向き合ったのか、その姿勢の違いが明確に浮かび上がった。

 2003(平成15)年に始まったイラク戦争には、米国主導の有志連合に30カ国以上が加わった。参加国の中には、政府の政策決定プロセスを詳細に検証した国もあるが、開戦を支持した日本はわずか4ページの概要版を明らかにしただけだ。

 英国は、16(平成28)年7月に6千ページに上る詳細な検証報告書を公表した。当時の首脳陣が参戦に踏み切った根拠を丹念に掘り起こしている。

イラク戦争に関する英国の独立調査委員会の検証報告書(奥)と秘密指定を解除された文書(共同)
イラク戦争に関する英国の独立調査委員会の検証報告書(奥)と秘密指定を解除された文書(共同)

 同国の独立調査委員会は7年かけて、首相のブレアら150人以上への聞き取りを実施し「不完全な情報に基づき政策が決定された」と断定。15万件を超える政府文書を調べ上げ、「不必要な戦争で、失敗だった」と結論付けた。米大統領ブッシュの言いなりだとして「プードル」とやゆされていたブレアの判断を指弾する内容だった。

 「何があろうが、われわれはあなたと共にある」。開戦前年に無条件の支持を示唆したブレアとブッシュとのやりとりも、誰もがインターネットで見ることができる。英政府文書は20年経過しないと原則公開対象にならず、首脳同士の会話内容はその中でも特に秘匿度が高い「秘密文書」だ。

 元駐ロシア大使で調査委員のロデリック・ラインは「米国との関係悪化を気にする英国政府は開示に抵抗したが妥協はしなかった。情報の開示は、われわれの判断や調査に対する国民の信頼につながるからだ」と強調する。秘密指定の解除や公開許可は米国にも要求し、応じてもらった。

 「イラクには大量破壊兵器がある」。米国がもたらし、各国がイラク戦争に参加する大義となった情報は、米国自身も事実に反していたことを認めている。

 日本は何をどう総括したのか。民主党政権が倒れる直前の12(平成24)年12月、外務省は開戦支持の是非には踏み込まず、経緯をまとめただけの17ページの報告書を作成した。公表したのは薄い概要版のみで、大量破壊兵器が発見できなかった事実は「(当時は)証明する情報を確認できなかった」と釈明し、具体的な調査対象者も開戦支持の根拠も明かしていない。「各国との信頼関係を損なう」というのが理由だ。

NPO法人に開示された外務省のイラク戦争の検証報告書。黒塗り部分は非公開部分
NPO法人に開示された外務省のイラク戦争の検証報告書。黒塗り部分は非公開部分

 当時の閣僚の1人は「政権内にも(開戦時の)小泉純一郎首相や川口順子外相に聴取すべきだとの意見があったが、政権は末期で体力がなく、実現しなかった」と、おざなりな検証を認める。

 「自分はいつでもインタビューに応じる用意があったが、外務省から誰も聞き取りに来なかった」と語るのは、開戦時に官房長官だった福田康夫(ふくだ・やすお)(81)。イラク戦争後に首相を務め、自ら検証の旗を振る機会もあったが行動には移さなかった。

2005年7月、グレンイーグルズ・サミットでブッシュ米大統領(手前左)と握手する小泉首相。左端はブレア英首相(共同)
2005年7月、グレンイーグルズ・サミットでブッシュ米大統領(手前左)と握手する小泉首相。左端はブレア英首相(共同)

 イラクや南スーダンに派遣された陸上自衛隊部隊の日報の隠蔽(いんぺい)が相次いで発覚した平成末期の日本。次世代の平和構築に不可欠の「歴史」が、この国では手に入らない。(ロンドン、東京共同、敬称略、年齢・肩書は新聞掲載当時)

 小泉、ブッシュ会談 小泉純一郎首相は、イラク戦争開戦から2カ月たった2003(平成15)年5月、ブッシュ米大統領の私邸に招かれ首脳会談をした。ブッシュ氏の牧場を案内されるなど厚遇ぶりが話題になり、蜜月ぶりをアピールした。

最新記事

関連記事 一覧へ