メニュー 閉じる

47NEWS

全国

全国

(16)インクルーシブな避難所 障害者も高齢者も共に 学生の働き、目覚ましく 

2018.7.12 17:20
Share on Google+ このエントリーをはてなブックマークに追加

 昨年4月、震度7の猛烈な揺れが2度にわたって熊本を襲った。熊本市中心部にある熊本学園大は最大時750人の避難者を受け入れる。車いすの障害者や高齢者が共に暮らし、多くの学生がボランティアとして活躍した。統括責任者だった教授の花田昌宣(まさのり)さん(水俣学研究センター長)は「インクルーシブな(排除も隔離もしない)避難所」と呼ぶ。なぜ実現できたのか。 熊本学園大の避難所で関係者と話す花田昌宣さん(左)。教職員は緑のベストだ=熊本学園大提供

 熊本学園大の避難所で関係者と話す花田昌宣さん(左)。教職員は緑のベストだ=熊本学園大提供

 

 悲愴感はない
 「ここは指定避難所ではありません。教室を開放する義務もなかったけれど、多くの人が避難してきたので開放した。いわば自主避難所でした」

 障害者が約60人いた。災害救助法によれば、福祉避難所へ行くことになる。「それは違うと思った。地域に在宅で暮らしている人たちです。災害時も他の地域住民と一緒にいるのが当然です」

 普通の避難所では車いすの人は暮らせない。皆が居場所を段ボールで区切っている中ではトイレにも行けない。入り口にかたまっていることになる。「ここでも発生から30時間ぐらい車いすに乗りっぱなしの人がいて、お尻が赤くなっていた。褥瘡(じょくそう)が心配でした」

 隣接するホールのいすを片付けてスペースを作り、体育館のマットを運んで横になってもらった。

熊本学園大の対応
熊本学園大の対応

 自宅に戻ったり、転居したりする人が出て空間に余裕ができると、マットは段ボールベッドに。段ボールを組み合わせて作るので高さが調整できる。使う人の希望を聞きながら、学生たちが工夫して一台一台作った。

 学生の働きは目覚ましかった。トイレを流すためのプールからの水運び、炊き出し、掃除、食べ物や物資の配給…。「若い人の力は信用するべきだと思いました」

 衛生環境の大切さを教えると、丁寧にトイレ掃除をした上に「知らない間にちょこっと花が生けてあったり、『きれいに使いましょう』と張り紙がしてあったり。掃除でも食事でも悲愴(ひそう)感はなく、楽しげにやっていた」。

 管理はしない
 運営の原則は「管理はしない、配慮する」。だから規則で縛らなかった。「ルールを作ると、守ってもらわなきゃいけない。避難者は普通に生活してきた人です。そんなの必要ないでしょう」

 名簿も作らなかった。「余裕もないし意味もない。物資の供給には人数が分かっていればいい。24時間いつ来ても、いつ帰ってもいいんです」

 この原則は運営にも適用された。厳密な役割分担は決めない。問題があれば、その場で対応する。学生の1人も「当番はなくて、必要に応じて空いている人がやるという感じだった」と話す。主体性を引き出せた理由もこの辺にありそうだ。

炊き出しの準備をする学生ボランティアたち=熊本学園大提供
炊き出しの準備をする学生ボランティアたち=熊本学園大提供

 避難者が半分以下に減った段階で、残っている人に事情をヒアリングした。自宅が散乱して帰れないという人には、片付け支援をした。倒れた家具を起こし、物を整理して動線を確保する。背中を押してもらった気持ちになって「後は自分でやります」と戻っていった。

 多くの避難所がゴールデンウイーク明けの学校再開に合わせ閉鎖した。だが花田さんは「最後の1人がいる限り避難所は閉じない」と言い続けた。5月28日、最後の避難者が「まーだ、おるごと(もっといたい)」と言いながら避難所を出た。

 水俣病に学ぶ水俣学は「命の価値を中心に弱者の立場に立つ学問」だという。それが実践された。

 

自分もできることやりたい  つながりの大切さ実感 

 熊本学園大の避難所で、学生ボランティアはどんな思いで動いたのか。

 社会福祉学部4年の佐藤りささんの実家は熊本県山鹿市。地震の後、実家に帰ったが、大学が避難所になったと知り、すぐ戻った。「県外出身で地元に帰った友達も、募金活動をしたり救援物資を集めたりしていた。自分もできることをやりたかったんです」

 経済学部3年の原田素良(はらだ・そら)さんは、最初のころの印象をこう話す。「お年寄りと話すと、やっぱり地震のこと、暗い話が多くて2、3時間話す人もいた。つらい気持ちをため込んでいると感じた。子どもたちも乱暴な言動が目立ちました」。それが少しずつ、穏やかになっていったという。

 崎浜健二(さきはま・けんじ)さんは社会福祉学部4年。本震が起きた日から大学に詰めた。トイレの水が止まったので、まずプールの水くみ。次に炊き出し…。「電気や水、ガス、いつも当たり前に使っているものが、ありがたいという気持ちになりました」

 人のつながりの大切さも実感した。「いろんな人から心配してもらって、自分は大切にされ

最近の被災者支援を紹介する掲示を見ながら話す佐藤りささん(左)と原田素良さん。ピンクのベストは学生ボランティアの目印=熊本学園大
最近の被災者支援を紹介する掲示を見ながら話す佐藤りささん(左)と原田素良さん。ピンクのベストは学生ボランティアの目印=熊本学園大

ていると感じました。これまで全く関係なかった人、避難してきたおじいちゃん、おばあちゃんと話すことで自分の気も紛れた。会話することって大事だなと思った」

 炊き出しのご飯を配っているとき「こんだけ」と言われたのはつらかった。「後になって、その人も必死で大変な状況だったんだと思いました」

 佐藤さんはその後、被災した子どもと遊ぶ活動を中心にするボランティア「くまがく応援隊スマイリア」をつくり、原田さんも被災者交流サロン「おひさまカフェ」を続けている。崎浜さんは震災がきっかけになって「自分のやりたいことをやろう」と進路を決めた。

「記者ノート」隔離しない 

 ケアマネジャーが訪問してくるたび、泣いている高齢女性がいた。「どうしたのか」と聞くと「ここにはもういられないから老人ホームに行きなさいと言われた。断ると次は、こっちの施設が1部屋空いたからどうかと言われる」と話す。

 震災後、自宅は改修が必要になり「なかなか住めないけれど自宅に帰りたい」。それが本人の希望だった。めいと連絡を取り、ケアマネジャーを代え、めいの自宅でしばらく過ごすことになった。「隔離しない」という熊本学園大の原則が、ここでも生きた。


「一口メモ」ピンクのベスト 

 「避難所始めるよって言うと、学内にいた学生たちが出てきた。学生自身も家やアパートが被災している者が多かったけれど運営に参加してくれました」と花田昌宣教授。

 避難所では学生がピンク、教職員や卒業生の支援者は緑のベストを身に着けた。「命の絆、ピンクのベストって呼んでました」。それほど学生たちがよく動いた。

 落ち着いてくると、学生たちが避難者とおしゃべりしている。声を掛け、掛けられて「何気なく関係をつくっていく。若者恐るべしでした」。(共同通信編集委員・佐々木央)=2017年3月取材

最新記事

関連記事 一覧へ